
入社して間もない頃から「兄キ」と慕う先輩がいる。
オイラの9コ年上。今年53歳。
最初のコンタクトから覚えている。
「君がゲンさん(仮名:Nジャン父)の息子さんだって?クルマ好きなんだってな。どうだ、一緒にカートやらないか?」
兄キは藤枝にあるTAKASUに所属していた。
愛車もブルーバードSSSにはじまりランサーEXターボに乗り換え、家族持ちとなってラルゴになった。
彼の自慢…自慢といっていいのかあるエピソードがある。
つま恋のカートコースを走るのが得意だったが…
当時、某レーシングチームの小学生にブチ抜かれたらしい。
しかもその小学生はこの時「今日は乗れてないね」と言っていたモンだから兄キは相当ショックだったそうだ。
小学生の名前は「高木虎之介」君。
ご存知のとおり、後にF-1ドライバーになった少年である。
いつの日か兄キの誘いでカートの全国大会に行った。
場所はもちろん「つま恋」。
兄キはエントリーしなかったがTAKASUの応援に行ったのである。
この時、後に大活躍することになる道上龍、脇坂寿一両選手もエントリーしていたらしい。
プレゼンターも鈴木亜久里サンだったような(チト うろ覚え)。
兄キはクルマもモータースポーツも大好き。
「GT-R、いつか乗るんだもんね。ぶぉんぶぉんだもんね!」
そう言っていた。
やがてオイラが今のNジャン号を購入。
「オマエ、GT-R買ったのか!!」と驚き。
「こんにゃろー!!」と一言。
この時の兄キの愛車は前にも書いたが、日産のラルゴ。
家族持ちでもあるがカートの運搬用でもある。
ある日、オイラが機材の運搬のために兄キのラルゴを借りた。
兄キにはわがNジャン号を代車にしてもらったが、コレがメチャクチャ嬉しそうで(爆)結構乗り回していたらしい(笑)。
やがて兄キは子供の手が離れたこともあってV35 スカイラインに乗り換えた。
それもまた結構嬉しそうだったが、この時異変がはじまっていた。
視力に異常が見つかって夜の運転は差し控える様、ドクターストップがかかってしまった。
ところが今度は視界が極端に狭くなって自動車運転は禁止。
免許は返却となった。。。。。。。
ドライバーとしての彼のカーライフは終わってしまった。
「もう孫もいるし、クルマ運転しなくてもいいわ。」と言ってはいるが、本当はクルマもモータースポーツも大好きなのは知っている。
彼が夢見たGT-Rを唯一運転したのはあの時が生涯最初で最後。
Nジャン号だった。
「兄キ… 今度一緒に箱根にでも行こうか?」
言えないよな…やっぱり。
「うっせぇ、早くやめちまえよ、あのポンコツよぉ!」と言われるのがオチだし。
兄キも象潟(出身)の人だったな…
Posted at 2011/12/23 02:59:20 | |
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