![[2012] 24 heures du Mans Lace week [2012] 24 heures du Mans Lace week](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/026/790/036/26790036/p1m.jpg?ct=c451801999d4)
今年もルマン24時間耐久自動車レースがやってくる。
早いもので自分が行ったのは13年も前の事。
毎年ながらあの時の事を昨日の出来事のように思い出す。
サルテサーキットが盛り上がる時。
いよいよ予選が始まる。
↑1999年 現地新聞
ルマン24時間を知ったのは少年時代。
タミヤのプラモデル。
ポルシェ935ターボの説明書き。
その事を親父に言うとルマンを知っていた。
親父は若かりし頃、洋画のファンで、あの「栄光のルマン」を見たらしい。
子供心に「何で日本のメーカーはルマンに参加しないのだろう?」と思っていた
※。
※お恥ずかしながら後に知ったのですがシグマ・マツダが参戦していた事がありました。
後にマツダがほぼプライベートチームのRX-7で参戦するも最初はねぇ…
そんな時、童夢がルマンに参戦。
「日曜特バン」という番組でもドキュメンタリー放送。
Rolandがスポンサーだったせいか、覚えています。
日本勢にとってルマンの頂点は遥か彼方に思えた。
マツダがRX-7でワークス参戦を開始。
完走したニュースが駆け巡った。
スポンサーのNikonも広告に掲載していた。
時代はGr.Cへ。
石油ショックの尾を引いていた各メーカーのワークス活動が本格的に再開。
マツダは既にワークス活動。ロータリーエンジンに情熱を注いだ。
トヨタが参戦を表明。
日産も参戦を表明。
王者ポルシェ、ライバルのランチアに挑む。
しかし、完走できるのがやっとだった。
やがてメルセデスもジャガーも参戦。
まず日産が勢いを見せる。
一時は3位を走行し、慌てたライバルチームがスパイを送り込んだという有名な話がある。
しかしそのマシンもリタイヤに終わった。
その後、手が届きそうで届かない日本勢の勝利。
ルマンのレギュレーションも変更となる。
そして…
その後、GTとプロトタイプ時代の到来。
トヨタも日産も表彰台まで手が届くようになったが優勝まで一歩及ばず。
しかしながら日本人ドライバーも2名が優勝する時代にもなった。
日本で活躍したドライバーもトップチームに参戦、優勝する事になった。
2012の今年。
新たなる挑戦がはじめる。

Posted at 2012/06/12 21:11:06 | |
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