※演出のため、敬称略にて失礼致します。
1998年。
日産はR390 GT-1をアップデート。
特にエアロダイナミクスと泣き所だったミッションに手を入れていた。
更に衝撃的なニュースが入る。
長年、日産のエースとして活躍してきた星野一義氏が「ルマン ラストラン」を表明。
98年をもってルマンチャレンジを終了するという。
※画像提供:フォトヤマさん
この時、ルマン挑戦に名乗りをあげたワークスは、ポルシェ、BMW、メルセデス、フェラーリ、クライスラー、ニッサン、トヨタという大激戦となった。
「Club Le Mans(現:Club NISMO)」のルマン観戦ツアーも例年通り行われた。
参加者の4割がリピーターだという。
そして、日産応援団メンバーでも頭角を現す人物(個性的なキャラクター)が現れることになろうとは…
現地サルテサーキットの観客の皆さんは既に日産応援団の存在を認知していた。
応援旗を手にする日本人達を見れば「ニッサン、ニッサン!」と声を掛けてくれる。
7大ワークスの大激戦劇場の幕が開けた。
先頭争いはAMGメルセデス・ベンツCLKとトヨタTS020の激しい攻防。
更にBMW V12が様子を伺う。
日産は自分たちのレースを行うという作戦。
エース序盤は先頭に水を開けられていたことは否めない。
日産応援団、応援するしかない。
とはいえ、応援も過酷な24時間である。
ルマン名物スコール。
突然降り出す雨。
トリコロールカラーの日産応援旗は綿で水を含んで重量が増し旗手を苦しめた。
6月のルマンの日没は21時半~22時頃。
太陽が沈めば一気に気温が下がる。
マシンもドライバーも疲労が見えてくるのもこの頃だ。
グランドスタンドに応援旗を掲げる。
酒に酔ったギャラリーが絡んでくることもある。
それでもお構いなしに応援を続ける日産応援団だった。
ナイトセッション。
正直、マシンが近くを通過しないとどのマシンかわからない。
ところが遠くからNISSAN R390 GT-1を見極める男が居た。
松島だった。
他の誰よりも早くR390を見つけると応援団に合図を送った。
驚くことに彼の合図を見ていたのは日産応援団だけでは無かった。
なんとNISSANのピットクルーも彼の合図を見てサインボードを出していたというエピソードもある。
ルマンは夜明けを迎える。
NISSAN R390、アクシデントに見舞われながらも全車走行。
強豪チームの脱落もあって#32号車が3位浮上。
ゴール直前、ある男に「星野完全燃焼」の旗を託された。
その旗を掲げたのは、GT-Rパパ(
http://profile.ameba.jp/princessariel/)だった。
ファイナルラップ。
NISSAN R390 GT-1は全車ベスト10内走行。
#32号車は3位、表彰台圏内走行。
ルマン・ラストランの星野一義氏と影山正彦氏、鈴木亜久里氏もメンバーに連ねる日本人3人が乗り込むマシン。
ヴォルテージは最高潮。
しかしゴール前、なかなかNISSANのマシンが日産応援団の前に現れない。
そして…
なんと日産全車揃ってゴールラインを通過した。
「星野完全燃焼」の旗が揺れた。
その旗が入ったゴールシーンがプレス関係者により撮影され記事になった。
柿元総監督と一緒に万歳三唱。
3位でも応援団は涙でぼろぼろだった。
表彰後のサーキットを歩いているときでも数々のレースファンが日産応援団に、日産応援団の応援を口々に称えた。
そして、来年もまた会おうと握手を交わした。
祝勝会。ポディウムの最高位に上るまでは、行き続けると誓った夜だった。
~つづく~
Posted at 2013/05/28 11:50:09 | |
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日産応援団物語 | 日記