※演出のため、敬称略にて失礼致します。
1999年11月。
ルマン・イン・富士1000kmレースが開催。
急遽、日産はR391でエントリーを表明。
グランドスタンド、日産ピット前に日産応援団、歴代ルマンツアー参加者が集った。
日産応援団、初の国内ステージだった。
黒澤は、有りったけの日産大応援旗を用意した。
旗が余ってしまうほどだった。
黒澤は呼びかけた。
ダンボールに書き込んでの呼びかけもあった。
「日産応援旗、振ってくれる方を募集します!」
観客の皆さん数名が名乗りを上げてくれたのだが…。
ある親子が現れた。
「私達も参加していいですか?」
それが
Y32氏率いる、田上一家だった。
後にセンセーションを起こす事になろうとはこの時誰が思っただろうか…
ルマンのTV中継で日産応援団を見ていた彼ら。
田上一家は夢中で旗を振っていた。
レースがスタート。
序盤、トヨタTS020とニッサンR391のバトルが勃発。
トヨタに不運が続き順位を落す。
ニッサンがトップに戻りそのまま死守。
そしてチェッカー。
ニッサンR391が優勝。
本場ルマンでの屈辱を晴らす。
拍手喝采の日産応援団。
翌年ルマン24時間レースの予備予選免除となる。
日産応援団の誰もが2000年のルマンが楽しみになった。
しかし、後日…。
日産はルマン24時間から撤退を表明。
12月。
ニスモフェスティバル。
黒澤団長とNジャンとメンバーさんと数名で応援旗を振った。
声をかけてくれるお客さん。
「日産応援団だ!」
「ルマン行ってきたんですね!」
その度、応える黒澤団長。
この時、カルロス・ゴーン氏が現れた。
エリック・コマス氏がドライブするR390 GT-1に同乗。
日産応援団、気合の旗降り。
ゴーン氏は「あの旗は何だ?」と関係者に聞いたという。
フィナーレ。
ニッサンモータースポーツインターナショナル(株)代表取締役社長「安達二郎」氏が日産応援団を紹介。
顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった(笑)、Nジャンだった。
しかし…
日産応援団、その後は誰もわからなかった。
~つづく~
Posted at 2013/05/30 11:20:27 | |
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日産応援団物語 | 日記