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2013年05月30日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #7

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #7※演出のため、敬称略にて失礼致します。

1999年11月。
ルマン・イン・富士1000kmレースが開催。

急遽、日産はR391でエントリーを表明。
グランドスタンド、日産ピット前に日産応援団、歴代ルマンツアー参加者が集った。
日産応援団、初の国内ステージだった。

黒澤は、有りったけの日産大応援旗を用意した。
旗が余ってしまうほどだった。
黒澤は呼びかけた。
ダンボールに書き込んでの呼びかけもあった。

「日産応援旗、振ってくれる方を募集します!」
観客の皆さん数名が名乗りを上げてくれたのだが…。

ある親子が現れた。
「私達も参加していいですか?」
それがY32氏率いる、田上一家だった。
後にセンセーションを起こす事になろうとはこの時誰が思っただろうか…

ルマンのTV中継で日産応援団を見ていた彼ら。
田上一家は夢中で旗を振っていた。



レースがスタート。
序盤、トヨタTS020とニッサンR391のバトルが勃発。
トヨタに不運が続き順位を落す。
ニッサンがトップに戻りそのまま死守。

そしてチェッカー。
ニッサンR391が優勝。
本場ルマンでの屈辱を晴らす。

拍手喝采の日産応援団。

翌年ルマン24時間レースの予備予選免除となる。
日産応援団の誰もが2000年のルマンが楽しみになった。

しかし、後日…。
日産はルマン24時間から撤退を表明。

12月。
ニスモフェスティバル。

黒澤団長とNジャンとメンバーさんと数名で応援旗を振った。

声をかけてくれるお客さん。
「日産応援団だ!」
「ルマン行ってきたんですね!」
その度、応える黒澤団長。

この時、カルロス・ゴーン氏が現れた。
エリック・コマス氏がドライブするR390 GT-1に同乗。
日産応援団、気合の旗降り。
ゴーン氏は「あの旗は何だ?」と関係者に聞いたという。

フィナーレ。
ニッサンモータースポーツインターナショナル(株)代表取締役社長「安達二郎」氏が日産応援団を紹介。

顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった(笑)、Nジャンだった。

しかし…
日産応援団、その後は誰もわからなかった。



~つづく~
Posted at 2013/05/30 11:20:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月30日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #6

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #6※演出のため、敬称略にて失礼致します。

1999年ルマン予選二日目。
日産は前日に1台失ったが、残りの2台は順調にラップタイムを刻む。

予選終了。
日産勢、予選順位は中盤。
上位はやはりトヨタとメルセデスだった。

翌日。
ルマン市では恒例のパレード。



ここでハプニングが起こる。
ニッサンチーム#23のR391がクラッシュ・リタイヤしたことでパレードランのクラッシックカーに乗るドライバーが不在となった。
「日産応援団に乗って欲しい」と依頼があった。
最初は断っていたようだが、「どうしても…」ということで根負けしてしまう。

黒澤は言った。
「Nジャンさん、行きましょう!」

突然の出来事にアタマは真っ白。
「これでイイのか、オレみたいのが…」

何千何万人の大観衆の中、二人は鈴木亜久里・影山正美・エリック・バン・デ・ポール各選手の変わりにパレードランに…

サインを求める大観衆。
その度二人はこう言っていた。
「アイム ノット ドライバー」



ルマン決勝。
オープニングイベントが催される。
日本とは全く違ったお祭り状態。
モータースポーツファンのみならず、老若男女、ルマンを楽しんでいる。

毎年、ルマンに登場する日産応援団。
現地の方々が再会を楽しみに訪ねてくれる。



そして午後4時、その時はやってきた。



ルマンは4時間に一度、場内放送が日本語放送になる。
最初の日本語放送、どうやら順位の案内だ。
ところが突然、あちらの言葉の叫び声に切り替わる。
あの衝撃的なシーンだった。

太陽が傾く。
早くも戦線離脱するチーム。
粘り強く走り続けるチーム。
様々だった。
R391は4位浮上。
日産の本領発揮かと思われた。



真夜中のサルテサーキット。
気温が一気に下がる。
なんとトヨタTS020がクラッシュ。
アクシデントもあってTS020は2台失った。
日産R391は電気系トラブル発生。
リタイヤとなった・・・・・

BMW V12と日本人トリオの乗り込むトヨタTS020とのトップ争い。

日産としては期待の#21、クラージュ日産C52。
しかし順位が上がらない。
途中、30分に渡るピットストップ。
日産コールは続いた。
ピットアウトするものの、順位は下がる。
そしてゴール。

日産・・・・勝つことは出来なかった。

帰りの飛行機。
黒澤は悔しくて眠れなかったという。



~つづく~
Posted at 2013/05/30 10:45:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記

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