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2013年06月01日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #11

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #11※演出のため、敬称略にて失礼致します。

2002年シーズン突入。
このシーズンは激動だった。
そして試練の時…

JGTCシリーズは前年同様TIサーキット英田で開幕。
NISMO勢は現在にも継続している赤にスプラッシュのカラーデザインとなった

しかし、開幕戦からGT500のスカイラインGT-Rはライバル達に水をあけられてしまう。
GT300のシルビア勢は善戦していたが…

第2戦、日産応援団、十八番の富士決戦も…

レスポンスは優れるがこの時代には重量級となってしまった直列6気筒エンジンなのか…

市販車のスカイラインGT-Rはこの年の8月で生産終了を発表。
次世代スカイラインはV6エンジン搭載としていた。

NISMO代表取締役社長、安達二郎氏の退任を発表。
ファンクラブ、Club Le Mans(現:Club NISMO)を立ち上げファンの為に様々な企画を発案し日産応援団誕生の基礎を作り上げた一人でもある。

第4戦、マレーシアを最後に星野一義氏が腰痛を訴えマシンを降りた。
数日後引退発表。

第4戦、真夏の富士。
予選終了後、日産応援団は食事会を開催。
日産応援団は初めてひとつになった気がした。

NISMO代表取締役社長、安達二郎氏の退任挨拶。
広報関係者の挨拶、交流。
そして現在の赤い旗への交換式が行われた。

それまでのトリコロールカラーの旗は黒澤団長個人所有のモノ。
新応援旗は、NISMO(日産自動車)からのレンタルとなった。



第五戦よりV6エンジンを搭載するGT-Rが登場。
伝統の直列6気筒エンジンのGT-RがGTのフィールドから去る事となった。

日産応援団、次々と駆け巡るニュースに何を思っただろうか。
それでも勝って欲しい、がんばって欲しいと旗を掲げた。

季節は巡って最終戦鈴鹿になった。

GT-R…一度も勝利を手にすることが無い屈辱のシーズンとなった。

2002年、ニスモフェスティバル。
日本一速い男、星野一義氏の引退セレモニー。
雨の中のラストラン。
F3000がチェリーがシルビアがスカイラインがR92CPがR390が走り抜けた。

日産応援旗、新旧すべて出揃った。
お客さんにも呼びかけ旗手をも増員。


☆特別に撮影許可を頂きました。

1999年の高橋国光氏、2000年の長谷見昌弘氏。
そして2002年の星野一義氏。
往年の日産名ドライバーが駆け抜けて行った。



この時のニスモフェスティバルのキャッチコピーを覚えている。
¨次の時代へ…¨

~つづく~
Posted at 2013/06/01 16:23:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年06月01日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #10

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #10☆メイン画像提供:フォトヤマさん

2001年、JGTCシリーズが開幕。
恒例のGW、第二戦富士。
開幕戦からライバルに圧倒されるスカイラインGT-R。
この富士で挽回できるか…。

日産応援団も応援開始。
この富士のレースも好成績で終えた。

鈴鹿も富士もなかなかの成績を納める日産勢。
日産応援団も熱が入る。

この頃だっただろうか。
黒澤団長が観客の皆さんに呼びかけをするようになった。

シリーズは大混戦となった。
GT300、ドライバーズチャンピオンは日産勢、#81DAISHIN シルビアの大八木信行・青木孝行組。
GT500、チームチャンピオンは日産勢、#22,#23 NISMO 。

2001年ニスモフェスティバル。

プログラムが進行。
日産応援団参加は完全に恒例となった。

そしてグランドフィナーレ。
イベントはM・クルム&伊達公子夫妻結婚報告。
祝福が贈られた。
もちろん日産応援団も盛り上げる。
大盛況のうちにこの年のニスモフェスティバルが終わった。


↑誰、この茶髪&ロン毛(笑)?

ところが…

年が明けた2002年。
日産応援団に大きな試練が待ち構えていた。



~つづく~
Posted at 2013/06/01 11:36:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年06月01日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #9

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #9 ※演出のため、敬称略にて失礼致します。

2000年、JGTC第2戦富士。
グランドスタンド、チームピット前に日産応援団が遂に集った。

応援旗はルマンの時から黒澤が自前で用意したトリコロールカラー。
フラッグポールは商店などで見られる「のぼり竿」。
「物干し竿じゃないの?」とジョーク混じりの会話もあった。

レースはGT500、#2 カストロール・ニスモGT-Rの片山右京・M.クルム組が2番手、GT300、#81 ダイシン ADVAN シルビアの大八木信行・青木孝行組がクラス3番手でゴールなどなかなかの好成績だった。

日産応援団も微笑みが溢れた。

しかし初登場の日産応援団。
「アレは日産の関係者じゃないのか?」
「ビジネスでの応援じゃないのか?」
そのような声が聞こえてくるのも時間がかからなかった…



日産応援団がその後、各サーキットに転戦。
但し、現在とは違って登場するサーキットは限られていた。
富士、鈴鹿、もてぎ、オートポリス…

2000年のルマン24時間レース当日。
田上は落ち着くことができずニスモ・大森ファクトリーでのイベントに行った。
日産撤退が背景にあるのか、どこか寂し気に展示されていたR391…

日産応援団としても別イベントに招待されていた。
ゲストに長谷見昌弘氏、星野一義氏が登場。

余談だが、長女が誕生したNジャン家は出席を断念。
とはいうもののNジャンの書いたメッセージが会場内で読まれたという。
長谷見、星野の両氏はじめ会場は爆笑に包まれたというエピソードもある。

現在はSuperGTのシリーズに組み込まれているが、当時は別のレースだった伝統の鈴鹿1000kmレースにも日産応援団が登場した。

JGTC最終戦鈴鹿。
GT500。
ホンダ勢、念願のチャンピオンに向けて好発進。
ニッサン…チャンピオンの灯火は#1 ロックタイト・ゼクセルGT-R にあったのだが…

ホンダ勢、巧みな作戦で逃げ切りゴール。
上位をNSXが占めた。

ニッサン勢、両カテゴリー、チャンピオンを逃してしまう。

田上…うなだれる。
黒澤… 悔しさで目が潤ませ「田上君…」と言って肩を叩く。
二人は感情が一気に溢れてしまった。

TV向こうの日産応援団メンバーも悔しくない筈は無かった。

2000年、ニスモフェスティバル。
このニスモフェスティバルには日産応援団が出揃っていた。
そして名手、長谷見昌弘氏の引退セレモニーも行われた。
場内、長谷見コールが響き渡った。



~つづく~
Posted at 2013/06/01 10:48:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記

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何シテル?   06/13 19:25
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