※演出のため、敬称略にて失礼致します。
2000年、JGTC第2戦富士。
グランドスタンド、チームピット前に日産応援団が遂に集った。
応援旗はルマンの時から黒澤が自前で用意したトリコロールカラー。
フラッグポールは商店などで見られる「のぼり竿」。
「物干し竿じゃないの?」とジョーク混じりの会話もあった。
レースはGT500、#2 カストロール・ニスモGT-Rの片山右京・M.クルム組が2番手、GT300、#81 ダイシン ADVAN シルビアの大八木信行・青木孝行組がクラス3番手でゴールなどなかなかの好成績だった。
日産応援団も微笑みが溢れた。
しかし初登場の日産応援団。
「アレは日産の関係者じゃないのか?」
「ビジネスでの応援じゃないのか?」
そのような声が聞こえてくるのも時間がかからなかった…
日産応援団がその後、各サーキットに転戦。
但し、現在とは違って登場するサーキットは限られていた。
富士、鈴鹿、もてぎ、オートポリス…
2000年のルマン24時間レース当日。
田上は落ち着くことができずニスモ・大森ファクトリーでのイベントに行った。
日産撤退が背景にあるのか、どこか寂し気に展示されていたR391…
日産応援団としても別イベントに招待されていた。
ゲストに長谷見昌弘氏、星野一義氏が登場。
余談だが、長女が誕生したNジャン家は出席を断念。
とはいうもののNジャンの書いたメッセージが会場内で読まれたという。
長谷見、星野の両氏はじめ会場は爆笑に包まれたというエピソードもある。
現在はSuperGTのシリーズに組み込まれているが、当時は別のレースだった伝統の鈴鹿1000kmレースにも日産応援団が登場した。
JGTC最終戦鈴鹿。
GT500。
ホンダ勢、念願のチャンピオンに向けて好発進。
ニッサン…チャンピオンの灯火は#1 ロックタイト・ゼクセルGT-R にあったのだが…
ホンダ勢、巧みな作戦で逃げ切りゴール。
上位をNSXが占めた。
ニッサン勢、両カテゴリー、チャンピオンを逃してしまう。
田上…うなだれる。
黒澤… 悔しさで目が潤ませ「田上君…」と言って肩を叩く。
二人は感情が一気に溢れてしまった。
TV向こうの日産応援団メンバーも悔しくない筈は無かった。
2000年、ニスモフェスティバル。
このニスモフェスティバルには日産応援団が出揃っていた。
そして名手、長谷見昌弘氏の引退セレモニーも行われた。
場内、長谷見コールが響き渡った。
~つづく~
Posted at 2013/06/01 10:48:33 | |
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日産応援団物語 | 日記