※演出のため、敬称略にて失礼致します。
SuperGT 2006年。
GT500、トヨタチームはトヨタ・スープラからレクサス・SC430へ。
伝統の鈴鹿1000kmレースがSuperGTシリーズに組み込まれるなど話題が豊富のシーズン。
3月、日産応援団は決起集会という名称でミーティングを横浜で開催。
イベント終了後、日産応援団の若者達は居酒屋に集った。
「レースが終わったら、応援席のゴミ拾いをしよう!」
立派な提案だった。
日産応援団クリーン作戦の素となった。
開幕戦は鈴鹿サーキット。
いきなりGT500 #36 OPEN INTERFACE TOM'S SC430がパフォーマンスを見せ、他を圧倒する。
SC430旋風吹き荒れるシーズン。
第2戦、岡山国際サーキット。
「日産応援団がいないからボクが応援するんだ!」
前年の富士戦で観戦し、知り合った少年が一人で応援していた。
この件をキッカケにキッズ応援団が誕生する
(注:1)。
注1:今現在は事実上自然解散。とはいえキッズの皆さんは積極的に応援に参加してくれています。
日産応援団の情報発信。
黒澤団長からNジャンへ本格的に広報活動を依頼。
厳しい事もあったがスタイルが出来上がる。
それがあってか新しい仲間を呼んだり、応援活動が具体的にアピールできるようになった。
第3戦、富士スピードウェイ。
日産応援団ではメンバーの本職が生きる。
お客さんへの企画がある時は、看護婦さんが上手にガイドする。
店員さんの呼びかけ。
PCに携わる方はアート作りなど…
スターティンググリッド。
このエピソードが有名となった。
日産応援団の前に#36 TOM'Sのマシン。
日産応援席から脇阪寿一選手へ場を和ませるユニークなヤジが飛んだ。
応える寿一選手。
それが日産応援席から寿一コール、ロッテラーコールの大声援が起きた。
脇阪夫人が「信じられない光景」と感動し頭を下げてくれたという。
第6戦 鈴鹿サーキット。
真夏の鈴鹿1000kmは日産応援団初の本格的な耐久レース。
「いつものレースの3倍」「GW富士の2倍」という声もあったが「ルマンの1/3」という声もあった。
この時、Nジャンが黒澤へ「円陣を組んで気合を入れよう」と提案した。
それが現在も行われている「気合入れ」だ。
後に、お客さんも一緒にやらせて欲しいという事になった。
それだけ大事な事になるとは…
Nジャン、自信に繋がった。
日産応援団にとって初のナイトセッション。
レースはGT500、#12 カルソニック インパル Z、#22 MOTUL AUTECH Zの1-2フィニッシュ達成。
日産応援団、歓喜に沸いた。
目頭を潤ませた仲間も居た。
第7戦 ツインリンクもてぎ。
関係者さんの御協力により日産応援席での応援となった。
この時、(株)オーテックの関係者さんと日産応援団のコミュニケーションが実現した。
すて☆るび夫さん、覚えてます(笑)?
そしてこの第7戦よりカルソニック応援旗が登場(レンタル)した。
第8戦 オートポリス。
日産応援団の一部の仲間の手で初の九州上陸。
現地に行くことができない日産応援団メンバーがフォロー。
TVカメラは堂々と応援旗と旗手達を映し出した。
GT500、#23 XANAVI NISMO Zが見事に優勝。
黒澤団長は嬉しさ爆発。
たまらずメンバーに電話したというエピソードがある。
最終戦、富士スピードウェイ。
GT500、#24 WOODONE ADVAN KONDO Zが3位に入賞するものの、ライバル達が強かった。
GT500は#36 OPEN INTERFACE TOM'S SC430が、GT300は#7 雨宮アスパラドリンクRX7がチャンピオンを決めた。
日産応援団、またも悔しさを握り締めた。
ニスモフェスティバル。
前年の雪辱を晴らすべく日産応援団も気合が入った。
日産応援団、結成10周年。
通行のお客さんにはサプライズでお誘い。
記念撮影を行った。
撮影終了後、更にサプライズは続く。
知らぬは黒澤団長だけ(笑)。
日産応援団による団長の胴上げを行った。
グランドフィナーレでは、観客の皆さん、眞田裕一NISMO社長(当時)とともにチャンピオン奪回を目指す事を誓った。
~つづく~
Posted at 2013/06/05 22:41:12 | |
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日産応援団物語 | 日記