※演出のため、敬称略にて失礼致します。
2007年シーズン。
恒例となった横浜での日産応援団決起集会を皮切りに日産応援団のシーズンが始まった。
眞田裕一NISMO社長(当時)は、この年のマシンに「直線番長」というテーマで取り組んだ事を語った。
フェアレディZにV8エンジンを搭載しこのシーズンを戦う。
日産応援旗は前にも書いたが、NISMOからのレンタルである。
ところが、自前でオリジナルの応援旗を準備する仲間が現れた。
開幕戦鈴鹿戦。
ライバル応援団である関西寿一會の谷角氏がNジャンを訪ねてくれた。
既に黒澤日産応援団長とはコミュニケーションを行っていたが、Nジャンとは初めてだった。
聞けば関西寿一會を記事にしてくれたことが嬉しかったのだという。
特に前年のTOM’Sのチャンピオン獲得の際、関西寿一會への祝福をブログに書いた事が心底嬉しかったのだという。
現在でも日産応援団と関西寿一會とのコミュニケーションが続いている。
そしてこの年、鈴鹿に日産応援団ニューキャラクターが彗星のごとく現れる。
彼の名は「煮相撲 君」。
今で言う「癒し系 ゆるキャラ」であろう。
レースは開幕戦から波乱の展開。
まさかのファイナルラップはドラマチックとしか言いようがなかった。
Nジャン。
よりリアルにレポートを書きたいと思った。
画像が欲しかった。
自分にはウデも機材も持っていなかった。
名乗りを上げた男がいた。
それがフォトヤマだった。
作品を見たNジャン。
ド肝を抜かれた。
後にフォトヤマは日産応援団きっての名カメラマンと認知されるようになった。
※画像提供:フォトヤマさん
第2戦、岡山戦。
岡山にも日産応援団が登場。
新たな仲間も加わった。
しかしレースではライバルチームが他を圧倒。
そのまま勝利を手にしてしまう。
数日後、私設応援団共同企画「ウェーブ」が企画された。
実は当初、レクサス応援団と日産応援団とのコラボであった。
Nジャン、お誘いもあってmixiに参加。
その際、ホンダ応援団(私設)の代表である「ぱこぱこ」さんから申し入れがあった。
その件を黒澤日産応援団長に伝えるとすぐさまアクションをとった。
遂にレクサス・日産・ホンダ(順不同)の応援団が繋がったのである。
第3戦、富士戦。
日産応援団に「青組」こと「カルソニック IMPUL 応援団」が登場。
スポンサー系応援団とのコラボによりカラフルな応援席が出来上がった。
※画像提供:フォトヤマさん
日産応援団に(株)オーテックジャパンの「
すて☆るび夫」氏が登場。
旗振りにチャレンジするとマイケル(ミハエル・クルム選手)がトップに立った。
レースはNISMOの1-2フィニッシュ。
歓喜に沸いた。
この事をレポートに書いたNジャン。
日産応援団内でも話題になったと聞いた。
※画像提供:フォトヤマさん
Y32に頼んでNジャンの旗とポールを友達登録者に各サーキットで振ってもらおうとリレーを開始。
菅生戦では「
くま2315」が、もてぎ戦では「
しろー」が振ってくれた。
くま2315は、その感触が忘れられず、自前でポールを準備。
遂に日産応援団でも本格的にデビュー。
もてぎ戦では、ヘアピンで旗を掲げ、ウィニングラップではライバルを含む全車がパッシングで応えてくれたというエピソードもある。
第8戦、オートポリス。
最終戦を待たずしてライバルチームがドライバーズチャンピオン確定。
望みはチームチャンピオンだが…
最終戦、富士。
しかし…
ニスモフェスティバル。
既に日産は翌年のSuperGTにGT-Rで挑戦することを発表。
そのマシンがファンの目の前に現れた。
※画像提供:フォトヤマさん
その際…
日産応援団からのサプライズが…
当日早朝から字幕の製作に入っていたのだった。
※画像提供:フォトヤマさん
翌年、チャンピオン奪回を再び誓った。
~つづく~
Posted at 2013/06/06 20:36:54 | |
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日産応援団物語 | 日記