※演出のため、敬称略にて失礼致します。
☆画像提供:フォトヤマさん
2009年末、日産応援団(参加可能な一部メンバー)は「
イイコトチャレンジ」に挑戦。
筑波サーキットでのランニングリレーである。
132位と164位で完走した。
「イイコト チャレンジ」は現在でも日産応援団は挑戦している。
年が明けて2010年。
シーズン前、日産応援団のオリジナル応援旗を自主制作した。
シーズンイン。
国内モータースポーツニュースにおいての話題は、久々にJAF GPが開催されることになったという事。
JAF Grand Prix SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2010である。
SuperGTではHONDA勢がニューマシン、HSV-010を導入してきた。
日産応援団は3月、恒例の決起集会を開催。
士気を高めた。
FIA‐GT。
NISSAN GT-Rはこの年もチャレンジした。
荒 聖治氏も挑戦することになった。
SuperGT開幕戦、鈴鹿。
HONDA勢、必勝体制だったが…
#24 HIS ADVAN KONDO GT-Rの近藤真彦監督。
タイヤ無交換作戦のギャンブルに出た。
その采配はズバリ的中、見事優勝へ導いた。
第2戦、岡山。
HSV-010の本領発揮。他を圧倒する。
第3戦、富士。
再び私設応援団のコラボ企画、記念撮影会。
前回同様、関係者サンも参加してくれた。
日産応援席には元・千葉ロッテマリーンズ投手、ジョニー黒木氏が訪ねてくれた。
メッセージフラッグを私設応援団で3枚制作。
病と戦うアンドレクート選手の息子さんアフォンソ君
(注1)への応援を。
注:後に残念ながら願い叶わず他界されてしまいました。
アンドレ・ロッテラー選手とブノア・トレルイエ選手へのル・マン24時間アウディチーム応援フラッグ。
同じくルマンに参戦するロイックデュバル選手への応援フラッグ。
なんとそれが現地で話題となり他の選手も欲しいと言い出したという。
そこで緊急企画を準備した。
ルマン24時間、アウディチームが見事1-2-3を達成した。
http://ameblo.jp/kurochi23supporter/entry-10529303357.html
6月のS耐、富士戦にも日産応援団が登場。
雨の中の応援となった。
SuperGTのシーズンは開幕戦こそ逃したが、GT500はHSV-010旋風が吹き荒れた。
SC430もGT-Rも苦戦と言っていいだろう。
しかしながら、GT300、#3 TOMICA Zがコンスタントにポイントを貯めてきた。
第6戦鈴鹿1000kmでも記念撮影企画を実施。
第7戦富士。
静岡県駿東郡小山町は台風による、被害が大きく開催中止となった。
片岡龍也選手を中心に小山町への募金活動を行うためのイベントが企画された。
アンドレクート選手の息子さんアフォンソ君を何とか助けたいという願いが日増しに強くなる。
私設応援団でも「骨髄バンク」の認知活動参加。
SuperGT、日産勢。
GT500ではチャンピオンを逃したが、GT300で#3 TOMICA Zがシリーズチャンピオンとなった。
11月。
願い叶わずアフォンソ君が他界してしまう。
JAF Grand Prix SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2010。
GT以外の時は、応援旗をポールに付けず、手に持って掲げ、マイナーツーリングカーレースの時は団長が持参してくてくれた古いトリコロールの応援旗を掲げた。
Fポンの時は団長を中心に事前準備してくれたメッセージペーパーを。
手分けしてお客さんにも参加して貰うように呼びかけた。
SuperGT 決勝1。
グリッドに整列するマシン達。
日産応援団は誰の指示もなく一斉に、#39 DENSO DUNLOP SARD SC430、アンドレ・クート選手を応援に行った。
グリッドガールさんがその様子に涙をこらえていた。
ニスモフェスティバル。
まずは記念撮影企画を実施した。
グランドフィナーレへ向け準備を進める。
メッセージボードを準備。
お客さんと共にイベントを盛り上げようとしたモノ。
長谷見昌弘監督はじめ、ステージの皆さんが思わず「おおっ!」と声をあげた。
~つづく~
Posted at 2013/06/08 21:02:18 | |
トラックバック(0) |
日産応援団物語 | 日記