
残念ながら話題の映画「RUSH」を見る事が出来ていない。
何とか見る機会を作ろうとしているけれども。
この映画はジェームス・ハントとニキ・ラウダ両選手が描かれている事はご存知の通り。
ハント氏は93年に心臓発作が原因で他界、現在のラウダ氏は海外メディアのコメンテイターとして活躍している模様。
1976年シーズン。
この時、9歳だったオイラは初めてF-1というモノを知った。
日本で初開催されるF-1グランプリの特集本を親父が買ってきた事に始まる。
参加全マシンと選手が紹介されていた。
余談かもしれないが既に少年ジャンプに連載されていた「サーキットの狼」を読み始めたのもこの頃だった。
だからあの不死鳥、ニキ・ラウダ氏の名は知っていたのだと思う。
その雑誌には勝利を重ねるジェームス・ハント氏も記載されていた。
初めて見るF-1マシンは実に鮮やかなカラーリングだった。
真紅のフェラーリ、紅白のマクラーレン、黒地に金のロータス、鮮やかなラインのブラバム、フレンチブルーのリジェ。
6輪という型破りだったタイレル(ティレル)。
そしてあのF1世界選手権イン・ジャパン。
スポット参戦だったが日本人ドライバーもエントリーしていた。
ラウダ氏はこのレースは危険として自らマシンを降りた。
翌1977年のF1世界選手権イン・ジャパン。ハント氏は怒りに震え優勝しながらも表彰式をボイコットしてしまう。
2年連続、波紋を呼んだF-1グランプリ日本戦。
その後、日本でF-1グランプリ開催は1987年の鈴鹿サーキット。
10年の空白があった。
生前、辛口コメンテイターだった筈のジェームス・ハント氏は雨のアデレートでファストラップを次々と叩き出した中嶋悟氏を絶賛していた。
ニキ・ラウダ氏は「実力が無いのは大問題」と某チームとドライバーを酷評していた。
Posted at 2014/02/15 20:29:32 | |
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