
※タイトル画像提供:フォトヤマさん
80年代後半から90年代にかけて。
十代から二十代へかけての若かりし頃の自分。
この時期になるとワクワクするのがルマン24時間レース。
深夜放送にカジりつき、日本車勢がどれだけ活躍できるか期待に胸を躍らせていた。
時代はGr.Cカテゴリー全盛。
トヨタ、ニッサン、マツダのワークス勢、そして日本のプライベートチーム。
しかし、日本のメーカーは石油ショックの時代でモータースポーツ活動休止を余儀なくされた期間が長く欧米メーカーの実力に歯が立たなかった。
それでも挑戦を始めた。
J'sの世界への挑戦。
特にニッサンの挑戦はファンとして注目せずにはいられなかった。
ルマンの頂点が一瞬見えたのは89年のレース。
なんとニッサンが一時3位を走行。
まさかの伏兵に慌てたのはメルセデスとジャガーのワークスチーム。
なんとスパイを送り込んだという。
レースはリタイアという事になってしまったが夢物語ではない事を証明した。
その後もチャレンジを続けるも良い所までは行くのだが…
そんな中、91年のレースでのマツダの優勝。
日本のモータースポーツファンは熱狂。
特にマツダファン、ロータリーファンは誇らしく思っただろう。
レギュレーション変更も時代を現す。
Gr.Cもターボエンジンの禁止、レシプロエンジンの統一。
やがてGTカー、オープンプロトタイプカーの時代へ。
再びトヨタもニッサンもチャレンジを。
両者、遂にボディウムを手に入れるようになった。
しかし頂点に立つことは…
トヨタは何度優勝目前で悔し涙を飲むことになった事か。
今現在、国内メーカーでルマンの頂点に立ったのはマツダだけ。
ここ数年、再びトヨタがチャレンジを。
夢を叶えるが為に。
ニッサンも昨年、名乗りを上げたのだが今年早々に活動停止を発表。
ファンは肩を落とす。
オイラとて同じこと。
ルマンの頂点、ニッサンによる日の丸の旗。
夢を信じて待っている事しかできないファンの一人、Nジャンさん。
Posted at 2016/05/19 11:24:33 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記