※画像は以前撮影したモノです。
先日の土曜日、下のお嬢と一緒に海釣りに出かけた。
オイラにとっての釣りは「趣味」とさせるにはまだまだ物足りない。
写真撮影と同様で、軽く嗜む程度。
今のところはそれで十分。
港の片隅で釣り糸を垂らしていた。
ターゲットは特になく「釣れりゃOK」みたいな感じ。
小魚でも十分。
予想通りに、ヒイラギ、ハゼが釣れた。
お嬢も小魚を釣る。
例え小魚でも本人は楽しいらしい。
ただ、大物ちっくなヤツが目の前でバレてしまった。
下のお嬢と二人で悔しがる。
↑こちらの釣り人、味があるねぇ♪
しかし個人的に思うのは、「釣り糸を垂らして ¨ 引き ¨ を待っている時間ってのは、なんて贅沢な時間なんだろう。」と。
そんな時間でも決して無駄ではないと判断している。
釣りは少年時代、近くの池でやっていたし楽しい事はわかっていたけれど、その後は何より描いた夢を追いかける方を優先した。
しかし、今となっては色々と落ち着いてくると ¨ ソレがわかってきた ¨ というか何というか。
アタマに数々の事が過る。
これまでの事、これからの事。
過去は目の当たりにしてきたからリアルだし、アレコレ思い出す。
描いた夢、叶ったモノ、手が届かなかったモノ、手に入れたモノ、失ったモノ…
意外にも「◯◯へ行って楽しい思いをした。」という記憶より、何気なく過ごしていた平凡な風景が印象的で思い出したりする。
何か特徴があったというワケでもないのに記憶に残るのは何故だろうか。
出会い、別れ、後から気付く自分の愚かさとか。
「Nジャン、凄いねそんな事できるンだね。」
自慢する気はないし、お世辞の一言だという事くらいわかるけれど、いくつかヒーロー扱いして頂いた事もある。
モテる事は殆ど無かったけれど、ごくまれに褒められると有頂天でサ。
その気になっちゃった事もある。
だけど、今じゃこうして釣り糸を垂らしているただのオヤジ。
誰にも見向きもされなきゃ、名前すら知りやしない。
いつの間にか「それでイイさ」と本気で納得するようになってる。
人生間もなく50歳。
自分の終がどうなのかを思い始めてきた。
わかるわけないのだけれど理想だけはある。
「女の腹の上で死にたい」と仲間内でジョークを言っていた事があるけれど(それはそれで結構…いやいやwwwwww)、実は親戚の御婆さんのような終わり方が理想なんだな。
今から二十数年前、彼女は亡くなったワケだけれど九十いくつかの大往生。
まぁ、そこまで長生きしたいとは思わないけれども、晩年の彼女の言葉が何ともいえない。
毎朝、「また生きているよ。いつ逝ってもイイんだがね。」と言っていたらしい。
そんな日が何年、何か月も続き、最後は就寝で旅立った。
人生決して平たんな道では無かったろう。
何せ戦争をも経験しているワケだし。
それでも「五体満足だった」と言っているかのように…
それに比べたら、ヒヨッコもいいところ。
足元にも及ばないねぇ。
そうだね、まだまだこれからだし、やれることはあると思うよ。
エサも切れて太陽も傾いて、この日の釣りは終了。
「次はリベンジだ!」
もう一度書こうか。
「釣り糸を垂らして ¨ 引き ¨ を待っている時間ってのは、なんて贅沢な時間なんだろう。」
Posted at 2017/09/12 22:54:01 | |
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