
第二次世界大戦。
言わずと知れた国産戦闘機の名機、ゼロ戦こと零式艦上戦闘機。
そのすばしっこさにライバルは手を焼いた。
ご存知の通り、三菱による設計製作で始まるが後に中島飛行機でもライセンス生産を行っていた。
エンジンは中島飛行機の栄。
三菱自社製エンジンではなく中島エンジンを載せていた。
当時、中島エンジンの方が優れていたことをわかっていたのだろう。
戦後、ご存知の通り国内飛行機製造会社はGHQの政策により解体される。
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中島の栄エンジンに携わり、誉エンジンの設計したのは、後にプリンス自動車のボスとなる中川良一氏。
プリンスのエンジンから、あのスカイラインGT-RのS20エンジンは氏が関わっている。
国内ピカイチの技術でモータースポーツに参戦。
立ちはだかったのはポルシェ。
日本グランプリでやりあっていたことはあまりにも有名。
そしてプリンスは日産に合併することになった。
トヨタはヤマハと手を組む。
ライバルに対抗していた。
当時、最有力候補ビッグ3。
トヨタ、日産、プライベートのタキ・レーシング。
トヨタはトヨタ7を開発し、後にアップデートしていく。
日産はR38シリーズのレーシングマシンを開発。
プライベートのタキ・レーシングはレーシングカーのローラとポルシェで参加。
時にはワークス・ポルシェをも招聘する。
やがて、世界を視野に開発合戦が始まる。
日産はR383を開発し、従来のV12 6リッター4バルブDOHCを更に熟成させる方向と6リッターターボ構想があったが、レーシングカー開発に終止符。
トヨタ7はV8 5リッターツインターボのヤマハエンジンで製作。
世界初のレーシングツインターボエンジンになる筈だった。
日本グランプリ中止の影響とあの影を落とす出来事に開発終了となった。
やがてワークスにおけるモータースポーツ活動はツーリングカーレースに集中する。
トヨタ1600GTに挑むは上記S20エンジンを積む日産スカイラインGT-R。
ほろ苦い勝利の後はスカイラインGT-Rの言わずと知れた快進撃。
立ちはだかるのはマツダのファミリア、カペラ、サバンナのロータリー・クーペ。
遂にはロータリーエンジンが王者となる。
トヨタがセリカにターボエンジンを搭載し富士1000kmを制覇すれば、日産もバイオレットにターボエンジンをGr.5カテゴリーで試していた。
トヨタも日産も明らかにターボエンジンに着目していた。
しかし時代は石油ショックによる煽りと当時問題視されていた公害に対応すべく、メーカーワークス活動休止となる。
80年代、本格的ワークス活動再開となるが、そのブランクで世界との差は圧倒されていた。
ふと最近、本棚から昔読んだ筈の書物に目を通す。
あの時既に、王者ワークスポルシェと互角に戦えていたという日産とトヨタ。
実現していたらと思うと心境複雑。
とはいえ面白い記事はあるモンだ。

Posted at 2018/07/07 10:29:33 | |
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