
レーシングコースイベントの合間、腰を下ろしコースを見ていた。
紅葉鮮やかな富士スピードウェイ。
「そんなところ連れてってやれないよ」と両親に断れた少年時代。
「TVで見てりゃいいじゃないか。」
静岡県内なのに近くにありながら遠かった富士スピードウェイ。
Posted by (C)Nジャン
ブラウン管の向こうに映し出されるレーシングマシン。
居ても立ってもいられなかった。
初めて来たときの事を思い出す。
憧れの地、憧れの同郷ドライバー、憧れのレーシングマシン。
目の前の優勝シーン。
そしてあの師弟コンビ。
時代はGr.AからJGTC。
そしてSuperGTへ。
Posted by (C)Nジャン
そして日産応援団の事。
他のメンバーさんはどう思っているかは知らないけれど、オイラの中でアレコレあるワケさ。
Club NISMOの前身、Club Le Mansを立ち上げた第一人者、元NISMO代表取締役社長の安達二郎さんも歳を重ねた。
あの頃、日産応援団をバックアップしてくれたNISMOの担当者さんらは、若手を育てる側になったと聞く。
その一人が今現在、日産モータースポーツの総監督の田中利和氏だった。
田中さんはいつも笑顔で接してくれていたのを思い出す。
オイラのギャグに爆笑してくれたことも良き思い出。
元Gr.A担当者で現在は日本モータースポーツ推進機構の理事長の日置和夫さんにコミュニケーションを図る我らが近藤隊長にオイラが「この人、日本一煩い男だから。」というとハラ抱えて笑ってくれたこともあった。
しかし、シリアスな部分もある。
日産応援団に対し、ありがたい声援もあるけれど厳しい声だってある。
良い事ばかりじゃないよ。
これまでには、アレコレあった。
時にはお叱りを頂き、勉強させて頂くこともある。
過去にはこんな事例があった。
何を勘違いしてるのか、「日産応援団だから」と言って関係者に近づいた人物がいて、迷惑行為だというクレームがあったと聞く。
「わかりました。任せてください。」という頼もしい声に任せてみたら、誰かにソックリなパクりばかりの内容。
指示ばかりの言うだけ番長。
自分の事ばかりしか考えないタイプ。周りと一切合わせようとしないのだ。
オイラも「うぇ~。コレ書けないぞ、どうしたモノか。」と悩む事もしばしば。
それからというもの、あの方々は姿を現さなくなった。
もちろん、オイラもオイラだった。
ココには書けないけれど、とんでもないところから「誤解を招く表現」と団長経由でクレームが飛んできた事もある。
また、あるところから団長とNジャン、二人してお叱りを受けた事もある。
お叱りを真摯に受け止めて、トライ&エラーを繰り返していた。
こんな笑える失敗談もある。
オイラはその辺りにあるメガホンを借りた。
口に当てようと思ったら思いっきり臭かった。
誰の口だ!
超くせーぞ!!
最近考えている事。
団長も副団長も永遠は無い。
後継者は誰?
オイラの代わりに広報活動してくれる人は?
現れないね。
現れてりゃとっくに世代交代だ。
名ばかりのなんちゃらは、要らないよ。
Posted by (C)Nジャン
プログラムはフォーミュラE、リーフRCのデモ走行があるというので楽しみにしてた。
しかしデモストレーションはメインストレートのみ。
そうとは知らず、結構ヘアピン辺りでも待ってたお客さん多かったよ。
オイラもその一人だったけどサ。
~ つづく ~
Posted at 2018/12/07 21:05:22 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記