
一足先に日産応援団は結成20周年を迎えている。
遅れること3年。
オイラは20年となる。
同期(!?)は、田上副団長親子サンだ。
オヤジさんは人生の大先輩、息子さん二人はオイラと一回り違う年下だけど、日産応援団は同級生(笑)である。
何度も書いて恐縮。
事の発端はサーキットで貰ったNISMOのチラ紙。
Club Le Mans(現在のCllub NISMO)の案内に書かれてあったルマン観戦ツアーの案内で日産応援団を知った。
それがまさかの現実になったのが最初。
当時サッカーのJリーグが盛り上がっていた。
試合を盛り上げているサポーターの姿がアタマにあった。
¨ サーキットにもあのような盛り上がりがあれば楽しいだろうナァ ¨ と思っていただけだった。
ルマン・ツアーに参加した1999年6月。
日産応援団デビュー。
日産応援団が大きな波に乗ったのは、その年の11月。
ルマンinフジ1000km。
日産応援団も歴代ツアー参加者が集結。
そこに初めて加わったのは田上一家。
年は明けて2000年。
大波は続けて来ていたことに気付いたのは田上一家だけだった。
いや、みんな気付いていたのかもしれないけれど、波に乗ったのは一家だけだった。
電話が鳴った。
声は日産応援団黒澤団長だった。
「Nジャンさん、GTです! GTでやりませんか!」
やがて「オイラにできることは何だろう?」と考え始めた。
まだ有志ではなく、「関係者ではないか」と思われることも少なくなかった日産応援団。
大事なのは情報発信だと思った。
「日産応援団 Nジャン」の始まり。
大きな失敗もあったけど成功だって少なくなかった。
新たなる仲間の登場。
お客さんとの一体感。
「この辺りに日産応援団がいるぞ!」と静岡のウチの辺りでも話題になったという。
三匹さんちからの情報ですw
日産応援団は特別じゃない、身近にあることをアピール。
今や豊田私設応援団、ARTA私設応援団のメンバーさんもこの辺りから登場している。
追い風も吹いてノリにノッた。
この20年、オイラの中で目まぐるしく変わっていったような気がする。
しかし、今や、ユーレイ団員化しているオイラ。
諸事情によるモノだけど、曲がり角にきている気がする。
しかし、下手なモンだからアンダー出して曲がり切れなかったりするんだな、コレが(苦笑)。
ま…とにかく、これからも宜しくお願い申し上げます。

Posted at 2019/01/06 10:00:35 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記