※タイトル画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)
日本テレビ系列で放送中のアナザースカイⅡ。
ゲスト本人が自分のゆかりの地を巡るドキュメンタリーである。
https://www.ntv.co.jp/anothersky2/
オイラのアナザースカイというよりは日産応援団黒澤団長もGT-RパパさんもFさんも永嶋さん親子、後藤さんもくま2315さんも同じ事を答えるだろう。
いうまでもなくルマン。
もちろんパリだってそうだろう。
今も色あせる事無く記憶の中にある筈である。
今でも、FMラジオ番組ジェットストリームを聞くと、フランスの事を語ればついつい耳を傾けてしまう。
https://www.tfm.co.jp/jetstream/
番組内で溝口肇氏のナンバーを聴けば、何故か数々の記憶が今でも蘇ってくる。
最近は歳を重ねたせいか、涙腺も弱くなってきたよナァ…
オイラ個人としては、1999年。
今からちょうど20年前。
夢を描いた自分。
女房殿になりたてだったパートナーは、「何か個性的な旅行をしたい」との事で二つ返事。
1999年の年が明けて、真っ先にオイラはNISMOの企画するツアーに問い合わせ。
ソッコーで申し込んだ。
受話器の向こうは添乗員の大槻さんだった。
数日後、黒澤団長に「黒澤さん、今回のツアー、第一号参加者さんの申し込みがありましたよ。」と言ったという。
成田空港で、集合場所に一番に到着したのは自分達。
初めての成田空港、右も左もわからずやっとたどり着いた集合場所。
待っていたのは大槻添乗員だった。スーツケースにNISSAN、ルマンのステッカーが貼りつけられたご夫婦が現れた。
「うぇ~、スゲー人がいるな。オレより熱狂的なファンなのかな?ヤなヤツだったらヤダな~。」
それが日産応援団黒澤団長ご夫婦とのファーストコンタクトだった。
現金をすべて両替してしまった自分達。
困っていると、優しく小銭を貸してくれたのは団長の奥さんだった。
成田空港からパリのシャルルドゴール空港へ。
日本語が通じぬ、外国人観光者となった自分達。
それだけで臆病風に吹かれる自分。
とはいえ、フランスのパリは、勿論知っていたけれど、まさか自分がその地に立つとは思ってもいなかったナァ。
名物のスコールも体験した。
右も左もわからずパリのデパートへ。
日本語の案内は本当に助かった。
田園風景というか、麦畑の平野を見ながらバスは走る。
夢にまで見た地にたどり着いた。
都会とは違う味のある街。
目の前にあるモノ全てが夢のひとつひとつに思えた。
「黒澤さん。オレも参加させてもらっていいかなぁ?」
「もちろんですよ。ボクからもお願いします。」
これが日産応援団デビューした自分だった。
☆MUSICIENCE EN FOLIE-49
サプライズは待っていた。
自分が見ているのは本当に夢の時間だったのだ。
大槻添乗員さんは言った。
「黒澤さん、Nジャンさん、一緒に向こうへ行きませんか?」
「オレ達にも振らせてくれよ。」
「ニッサン!」「ニッサン!」
「Nジャンさん、一緒に行きませんか?」
「はい。」
「え?現地歌手?そっか…、オレの肩に乗れよ。」
悔しい結果だった。
だけど、何度も夢にまでみた地に自分が居た。
さぁ、帰ろう。
誰もが夢見る瞬間を描きながら…
日本へ戻れる安心感と疲れで爆睡の自分。
あまりにも結果が悔しくて眠れなかった団長。
11月。
ルマンin富士1000km、日産応援団歴代参加者集結。
旗手が足らず、お客さんに呼び掛けた。
その中に現在の田上副団長がいた。
2000年、JGTC(現在のSuperGT)。
田上一家が日産応援団にセンセーションを起こした。
日産応援団の面々。
「いつかはルマン」と異口同音。
日産応援団のアナザースカイはフランス(ルマン)です。

Posted at 2019/06/15 19:51:33 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記