
ルマンに挑戦した最初の日本のチームはシグマオート、シグマMC73。
日本のGCマシンをベースにマツダの12Aペリのロータリーエンジンを載せたマシンだった。
やがてマツダの本格的な参戦が始まった。
時代はGr.Cカテゴリーの全盛を迎える。
マツダに加えトヨタ、日産も挑戦が始まった。
王者ワークスポルシェに挑むライバル達。
しかし圧倒的な強さ、実力の差を見せつけられライバル達は模索の中だった。
日産が初めて本格的な挑戦をしたのは1986年の事。
オイラはまだ19歳の若造だった。
「日産がルマンに挑戦する。」
それだけでもワクワク・ドキドキだった。
WEC in JAPANでもそうだったけれど、国産ワークスチームの本格的な参戦に喜びつつも長引いた活動休止が響いたようで世界を相手にするには雲泥の差だった。
マツダは下のクラス、トヨタも日産も欧州勢には全く歯が立たず、欧州チームのマシンとは途方もない差を思った。
1989年 ルマン24時間耐久レース。
今でもこの頃の自分の鼓動を忘れる事はできない。
勿論、GT1時代もそうなのだけれど、さすがに自分も若かったので血気盛んな(笑)この頃のレースのインパクトが凄かったのだ。
前年の1988年は遂に王者のワークス・ポルシェの962CにジャガXJ-9が土をつけた。
ジャガーはこの1989年、連覇に挑戦するが、優勝候補に加わったのはシルバーアロー復活のザウバー・メルセデスC9。
ワークスポルシェも撤退したとはいえ、プライベートのポルシェ勢は既にワークスレベルの実力をつけていた。
レース・スタート。
予想通りメルセデス、ジャガー、ポルシェが先頭集団を作り出す。
「日本のマシンはダメだねぇ…」と言った空気が毎年の事。
オイラも「今回もソレじゃないか」くらいに思っていた。
ところがとんでもないダークホースが居た。
スルスルスルと順位を上げたのは日産のR89Cだった。
「ぬおおおおおお!!!!!」と真夜中にアツくなるオイラだった。
なんと慌てたジャガーチーム、メルセデスチームがスパイを日産チームへ送り込んだという有名なエピソードがある。
しかし戦線離脱した日産。
最後には全車リタイアになったのだが、先頭争いが出来るパフォーマンスを持ち合わせていることが証明され、決して「夢物語」ではなく「実現可能」を思わせてくれる事となった。
優勝候補のジャガーも失速。
連覇ならず。
このレース、37年ぶりに優勝したのだはザウバー・メルセデス C9。
なんとプライベートチームのヨーストポルシェも3位に入った。
イチ、日産ファンのオイラ。
既に翌年のルマンが楽しみになったし、トヨタ、マツダにも日産のパフォーマンスが影響を与えるだろうと思うともう自分は1990年の大会が楽しみで楽しみで仕方なくなった。
そう…ああいう結果になる事も知らずに…
↑ 日産の難波さんとトヨタの齋藤さんだね。
そして自分の中で芽生える思い。
「いつかルマンへ行って日産が勝つところを見たい」
~ つづく ~
Posted at 2020/05/28 23:21:26 | |
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