※タイトル画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)
アイツはオイラより1コ年下。
だけど幼稚園、小・中学、高校、挙句の果てに勤務先まで一緒。
彼の親父サンはオイラの勤務先の大先輩でもあった。
オイラの親父もオイラの勤務先に勤めていた。
実はアイツの親父サンもウチの親父も同じ勤務先。
もっと書かせて頂けば、同い年で同僚だった。
オイラも彼の倅も同じ二代目で同じ勤務先。
つまり4人共に同じ会社に勤めていた時期があった。
いや、それだけではない。
上記からしてお気付きの通り、ご近所さんでもあった。
そしてほぼ同時期に両親父さんちは定年退職を向かえた。
オフクロはアイツの親父サンと古くからの知人だったし。
ウチの親父も彼の親父サンも現役の頃、週末は面白かった。
アイツの親父サンが朝イチでチャリ漕いで「おはよう!」と言ってウチ(実家)の前を通る。
親父に彼の行先を聞けば「あ、アレはラーメン(朝ラー)に行くんだよ。」
奇しくも彼の親父さんと最後に会ったのはアイツと二人一緒だった。
その場所も場所で朝ラー(苦笑)。
「ココね、星野一義サンが大好きらしくてね、コッチ来た時は寄るらしいよ。本人もそう言ってたし。
「Nジャン、会った事あるのか(驚)?」
「随分前だけどね。」
「オマエ、エンジンやったんだって(オーバーホール)? 呆れたヤツだな。いくらしたんだ?」
幼い頃、ウチとアイツの一家と一緒に日本ランド(現:
ぐりんぱ)にスケートに行った事がある。
当時は富士山も雪深くてお互いタイヤチェーンを巻いた記憶がある。
親父サンはセダンが大好きだった。
ウチの親父のクルマが朝、調子が悪い時にはいつも彼の親父サンが勤務先に乗せてってくれた。
その逆もある。
ある日の朝、アイツの親父サンのクラウン(随分長く所有していた)が調子を崩してウチの親父に乗せてってくれというTEL。
ウチの親父もまた「いつかはクラウン」世代でアイツの親父を羨ましがったのだが…
オイラはその時、ウチの親父に「クラウンってあんまり良いクルマじゃないなぁ。」とジョークを飛ばせば大爆笑していた(失礼)。
オイラが退屈凌ぎにパチンコ屋へ行っていた頃は時々隣同士になった。
「おう!Nジャンか。どうだ?出てるか?」
「いや、今日はダメだねぇ。」
「オマエ、こんな事してないでオンナの一人でも拾って来いや。父ちゃん母ちゃんはオマエのヨメを待ってるぞ。」
アイツの親父サンは定年退職時のセレモニーでこんな事を言っていた。
「これからの人生は、花が好きなものですから園芸を楽しみたいと思います。」
・男の生き様、語る者、笑う者・・・
https://minkara.carview.co.jp/userid/116827/blog/9023220/
彼は定年退職直前にグロリア・グランツーリスモを購入したのだが、「こっちが使い勝手が良いわ。」と言ってロクに乗らずしてホンダ・バモスに乗り換えて晩年まで永く乗っていた。
訃報が飛び込んで来たのは今日の昼前。
慌ててオイラは実家の両親に電話をした。
驚くしかなかった。
アイツの親父サンに花束を。
親父サンの姿も声も容易に思い出せる。
この場をお借りして、謹んで故人のご冥福をお祈り致します。
※画像:https://publicdomainq.net/
Posted at 2021/02/11 20:14:56 | |
トラックバック(0) |
私事 | 日記