
少年時代のモータースポーツを知った時を話そうか。
我が家に初のマイカーがやってきたのは7歳の秋。
中古のマツダ・カペラ・ロータリークーペ。
これをきっかけにクルマに興味津々。
初めて作ったプラモデルはスカイライン(ケンメリ)GT-X。
机上にあったモンだから見れば見る程惚れ込んでいったのがすべての始まり。
スカイラインに夢中。
そこで見つけたGT-R。
更に遅れてレース仕様車のケンメリ・レーシング。
その正体はまだわからなかった謎のマシン。
今みたいにネットも無く情報も乏しかった。
雑誌を介して例のGT-R伝説を知った。
ケンメリが幻だった事に肩を落とした。
親父のカペラのディーラー、静岡マツダからカレンダーをもらった。
マツダワークスの大活躍。
カッコイイのはわかったけれど、心惹かれる思いは無かった。
しかしディーラーへいくと偶然サバンナのレースカーがあった。
聴けば従業員さんがレースをやっているのだと言った(後から関谷正則サンのマシンと知った)。
親父はカペラから経済的な日産チェリーに乗り換えた。
ダダをこねた自分。
営業さんは一枚のポスターをくれた。
日産チェリー静岡スポンサーのレースカー(FJ1300)。
ドライバー紹介「星野一義 静岡市出身」。
スーパーカーブーム到来。
夢中になったサーキットの狼。
タミヤのスケールモデル、ポルシェ935でルマン24時間レースを知った。
何故日本車が世界選手権レースで活躍できないのか。
石油ショックとガス規制に足を引っ張られた事を知る。
初のF1日本GP。
F1という世界最高峰レースを知った。
あのJPSロータスのカッコ良さの衝撃、6輪タイレルのインパクトは忘れない。
そしてあの映画、ポールポジション。
サーキットの狼も映画化。
地上波でたまに放送される富士スピードウェイのグラチャン。
モータースポーツに夢中。
しかし国産勢のワークス活動は休止中。
ホンダF1の勝利。
日産スカイラインGT-Rの50勝。
トヨタ・セリカターボの活躍。
マツダロータリーの挑戦。
三菱ランサーのサファリラリー制覇。
知れば知るほど寂しく思う。
時は流れて80年代。
国産メーカーのモータースポーツ活動復活。
しかし、ブランクが長すぎた。
世界の壁はそう簡単に壊れる程甘くは無かった。
Posted at 2025/03/13 19:05:57 | |
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モータースポーツ | 日記