
日産応援団、今年で参加10年目のオレ。
気付けばもうそんなになっていた。
目の当たりにしてきたいくつかのシーン。
オレには、忘れられない一戦がある。
いや、同じ気持ちの人がいるかもしれない。
チームもドライバーも関係者も観客もそれはまさに¨死闘¨と呼びたくなる気がする。
こんなレースは未だかつて経験したことのない事だった。
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¨【日産応援団 Nジャン】あの時 2005.11/6¨
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( ̄" ̄;)ウーン
It ain't over till it's over:Lenny Kravitz
※恐れ入りますが、ドライバー・関係者名は演出上敬称略とさせてください。
ブログを書き始めて1年くらいだった。
まだドキュメントストーリーという書き方はしておらず、レポートを書いていただけに過ぎなかった。
05年、国内GTシリーズはJGTCからSuperGTの時代に突入。
迎える最終戦、鈴鹿大決戦。
#8 ARTA NSXの伊藤大輔・R.ファーマン組がランキングトップ、ランキング2位が並んで#22 モチュールピットワークZのM.クルム・柳田真孝組、#36 OPEN INTERFACE TOM'S SUPRAの土屋武士・J.コートニー組。
更に#38 ZENTセルモスープラの立川祐路・高木虎之介組、#1 ザナヴィニスモZの本山哲・R.ライアン組が続く。
トヨタ・日産・ホンダ(順不同)三つ巴の大決戦。
誰がチャンピオンでも不思議じゃない。
予選の土曜日は快晴。
しかし都合により決勝だけの観戦と決めたオレ。
残念ながら日曜日の天気は下り坂。
生まれたばかりの次女と長女は義理のオフクロに預け、義理の親父と義理の弟と女房殿と4人で行く予定だった。
ところが長女がダダをこねた。
「鈴鹿に行きたい」と泣き叫んだ。
遊園地だけが目的じゃない。この頃になるとちゃんと日産を応援していた。
結局連れて行くことになったのだが…
日曜日決勝。
朝の天気はどんより雲が覆っていた。
鈴鹿は少し改修工事が入り、従来の観客席は指定席化になった。
団長をはじめ日産応援団メンバーが真夜中からゲートに並ぶ。
応援できる場所が全く未定だったからだ。
気温は肌寒く、アタマが下がる思いだった。
彼らもオレの事情はわかっているので好意的な対応をしてくれた。
「すみません。本当はボクも一緒にいなければならないと思っているんですけど。」
オレはそんな気持ちでいっぱいだった。
ゲートオープン。
日産応援団はAエリアに陣取る。
お客さんは疎らだった。
日産応援団ばかりじゃない。チームサイレンス、関西寿一會、ホンダ応援団(私設)も集まっていた。
初めて隣同士で顔を合わせた。
雲は厚く肌寒く…
それは壮絶なドラマのプロローグに過ぎなかったのだ。
Posted at 2009/02/08 12:24:45 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記