
~動き始める~
その後もGTで日産応援団は応援を続けるようになった。
我が家も娘が生まれ連れて行くようになる。
2003年。
娘の成長を収めたいとデジカメとノートパソコンを購入。
「時代は変わったなぁ。」と思った。
その流れでインターネットを覚えた(笑)。
しかしながら「日産応援団」を検索してもまず日産自動車野球部の応援団がヒットする。
そうでなければNISMOのルマンでの記事が少し…
他には「アレは関係者だ。」「広報担当者だ。」という記事が目についた。
「そうじゃないのになぁ…」と思ってはいたが…
その後間もなく日産はスカイラインGT-Rでの参戦の終了を発表。
オレ達は何が何でも最終戦鈴鹿でチャンピオンを決めてほしいと思っていた。
レースでは#12 カルソニック・スカイラインが勝利を決めた。
#23 ザナヴィ・ニスモGT-Rがチャンピオンに輝いた。
団長とイケメン君と抱き合って泣いてる自分がいた。
不思議だった。
いつもなら「日産がチャンピオンだ!」程度に喜んでいたのに何で泣けるんだろうか。
2004年。
下の娘が生まれる。富士も改修工事。
日産応援団としてのオレは休業だった。
尚更日産応援団がアタマを過ぎる。
この頃、みんカラで自分のクルマについて書き始める。
ブログも開始されていた。
「日産応援団を書いてみたらどうだろう?」
「日産応援団をやりたい人はいる筈だ。」
「わかった。オレが書く。オレがやるんだ。」
あんなに楽しませてくれた日産応援団に恩返しがしたくなった。
あの凄い仲間達、アピールしなくてどうするんだ!
それが日産応援団、Nジャン(N-JUNKIE)の始まりだった。
Posted at 2009/05/18 23:25:19 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記