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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2009年05月18日 イイね!

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #11

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #11 ~語り合った夏、そしてR391と日産応援団の意地~

夏休みを利用し、ルマンツアーで一緒になったご年配の夫婦の家へ遊びに行った。
「泊まって行くんでしょ?」の言葉に甘えることとなった。
「夜BBQやろうか?」と奥さん。
奥さんがある所に電話をしてくれた。
「黒澤さん、今ね石黒さんちが居らしてるの。」

まさかと思っていたけれど黒澤さんご夫婦が来てくれた。
食事を楽しみながら談義に花が咲いた。
ルマンでのこと色々話してくれた。

オレは、幼ない頃の「スカイライン」「星野一義」から始まって日産へ。日産モータースポーツについて語った。
団長は難波NISMO初代社長から日産モータースポーツの情熱を聞き虜になってしまったという。

アプローチは違えど同じ日産ファン。
夢は同じに思えた。

会話は深夜まで続いた。

今でも団長は言う。
「この人と話始めると1日じゃ足りないよ(笑)。」

時は流れ11月。
日産はR391で突然、ルマン・イン・富士・1000kmにエントリーを発表。
富士スピードウェイに歴代ルマンツアー参加者が集まって来ていた。
Nジャンは新人(笑)である。
団長、その割には態度デカいとか言わないの(爆)。

あの時は旗の方が旗手の人数より多かった。
ボール紙で「応援旗振ってくれる方募集」と書いたり団長も呼びかけをしていた。
「日産勝つぞー!!」と叫ぶ団長。
「黒澤さん、酔ってるでしょ?」と添乗員Oさん。
この二人のやりとりは笑えた。

その時、名乗りをあげた一家がいた。
それがあのY32隊一家だった。

レースは見事に日産R391が優勝。
日産応援団もルマンでの応援が富士で蘇った。

翌月、ニスモフェスティバル。

黒澤団長に応援旗の登場を確認した。
「その予定はないのですが…」
それを頼んだNジャン。

当日、エリック・コマスがドライブするR390GT-1の助手席にカルロス・ゴーン氏が乗車。
オレ達はヘアピンで旗を振った。

イベントでも所々で応援旗を振った。
フィナーレで安達二郎社長(当時)がオレ達を紹介してくれた。
恥ずかしくて顔から火が出そうになった(苦笑)。

後日電話が鳴った。
相手は団長。
「カルロス・ゴーンさんが、『あの旗は何だ!?』って言ってたそうですよ(笑)。」

激動の99年が終わり新しい00年の幕開け。
残念なことに日産はルマン撤退を表明。
だが、日産応援団に大センセーションが起こる。
それは、あの団長さえも心打たれた出来事だった。
Posted at 2009/05/18 22:14:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団 Nジャン | 日記
2009年05月18日 イイね!

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #10

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #10 ~悔いのないように~

R391を失ってしまった日産。
クラージュC52だけが頼みの綱。
そのクラージュが午前、ガレージに入ってしまう。
ピット作業中、日産応援団は日産コールをやめなかった。
勝利からは絶望的。
だが…諦めないのも日産応援団だった。

ルマンの魔物はトヨタにも牙をむいた。
ナイトセッションで2台のトヨタはリタイヤ。
最後の日本人トリオもタイヤバーストでマシンを壊してピットに戻ってきた。

レース終了。
チェッカーを真っ先に受けたのはBMWだった。

レース終了後、観客がコースに流れ込む。
ルマンの戦士達一人一人に勝っても負けても祝福しているかのようだった。

「オレにとっての日産応援団はこれで終るんだなぁ…」と思った。

ホテルに戻って帰国の準備に入った。
最後の夜、残念会が行われた。

憧れのルマン、日産の挑戦。
日産応援団。

レースは残念だけど十分幸せを感じていた。

帰国の時、成田行きの飛行機の中でオレは疲れきって眠っていたようだ。
団長は悔しくて眠れなかったそうだ。



成田で別れの挨拶。
「またお会いしましょう。」

「添乗員Oさん、黒澤さん…この名前を忘れることはないだろうなぁ。」と思った。



Posted at 2009/05/18 21:32:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団 Nジャン | 日記
2009年05月18日 イイね!

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #9

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #9~日産応援団にも戦いがあるんだよ~

現地の一家が日産応援団を尋ねてくれる。
毎年現れる日産応援団に好感を持ってくれているようだ。
言葉がわからないオレ。
それでも意思で伝えようとしている。
ダメだったけど、あちらの家族もわかってくれているようだ。

「オレ達にも振らせてくれ。」
「オレも…」
現地の人達も日産旗を手にして応援してくれた。

ルマンに日が暮れる…
日付変更0:00になると完全に夜らしくなる。

日産応援団の戦いがココにあった。
団長は言った。
「酔っ払いとか現れますけど、絶対相手にしないでください。向こうから離れて行きますから。」

声援を時々送る。

GO!GO!NISSAN!
GO!GO!NISSAN!
GO!GO!NISSAN!


「Hello~!」いきなり女性の酔っ払いが絡んできた。
鼻をつまんでアクションを起す添乗員Oさん。

ライターで日産応援旗に火をつけようとする輩。
団長の奥さんに抱きつく酔っ払い…

日産応援団はそれでも日産に勝ってほしいと応援を続ける。

夜も1:00を回ると一気に冷え込んでくる。
疲れきった女房殿を思い、オレ達は一足先に寝台を用意してくれているバスに向かった。
「朝焼けのルマンが見たいからネ。」
ところが少し眠るつもりが深い眠りになってしまった。

女房殿が2:00過ぎだろうか、オレを起こす。
「R391、ダメだったんだって…」

不思議な気持ちだった。
驚きもしなかった。TVの前だったらうんと悔やしい思いをしていただろうに…

「そうか… 朝焼けのR391を見ることができないのか…」
Posted at 2009/05/18 21:12:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団 Nジャン | 日記
2009年05月18日 イイね!

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #8

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #8 ~ルマンはもうお祭りなんだよ~

ルマン決勝。
遂にその幕が開ける。
開会のイベントが次々と行われる。
それはもうお祭り騒ぎ。
観客一人一人が盛上げようとしている。
日本のレースとは明らかに違う盛り上がりだ。
オレの身長は170cm。
だが現地のヨーロッパ人の体格は遥かに大きい。
背伸びしてもなかなか前が見えない。



グリッドに並ぶマシン達。
スタンドの観客は一向に静まらない。
ファンキーなヨーロッパ人が声をあげながらスタートを待っていた。

日産応援団、とてもじゃないけど旗を広げられない。
実際広げるのはスタート数時間後だ。

マシン達はオープニングラップに入る。
14:00(当時)に合わせマシン達は最終コーナーを回った。
会場には「未知との遭遇」が流れる。
さぁ、ルマン24が遂にスタート。

いきなりトヨタとメルセデスとがバトル開始。
「24時間だぞ…24時間。」と思ってもTS020とCLRは全く勝負の手を休めようとはしなかった。
トヨタの高回転エンジンサウンド、メルセデスの「ブロロロロ…」という独特の音が響き渡っていた。

トヨタ・メルセデスが抜きつ抜かれつの大バトル。
後方、パノス・アウディ・BMW・ニッサンが様子を伺う。

レースは1時間を越えてスタンドの観客が少なくなってきた。

いよいよ日産応援旗が広げられた。
団長が叫ぶ。
「日産、ルマン制覇、行くぞー!!」
その中に居る自分が何故か誇らしかった。

4時間に一度、場内日本語放送が入った。
順位を説明していた途中、突然向こうの言葉でアナウンサーが絶叫する。
聞き取れたのは「メルセデス」だけだった。
オーロラビジョンに映ったその画像を見た観衆が騒然となった。

Posted at 2009/05/18 20:47:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日産応援団 Nジャン | 日記
2009年05月18日 イイね!

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #7

【日産応援団 Nジャン】あの時 10th anniversary memories #7 ~人生の幸運はこの1日で使い切ったと思った~

予選二日後、ルマン24の戦いは休日となる。
この日、応援団は会食ということでホテルのレストランを借りて食事となった。
NISMOの柿元監督、スカイライン開発主管の渡邊さんなどが訪ねてくれた。

そして影山正美、星野一義両氏も登場。

「目の前に星野がいる…」
そう思ったら頭が真っ白になった。

「子供の頃からファンなんです。」
「知ったのは¨日産チェリー静岡¨のレースカーでした。」
「ボクも静岡です」

数々言葉が過ぎるけど何故か上手く言えない。



そんな中、「藤枝出身です」を言えたけど星野さんの回答は藤枝のラーメン屋さんの話(笑)。
何十年も憧れて来て最初に交わした会話がコレであった(苦笑)。
ラーメン屋さんのお話です。


↑現物です。

楽しいひと時が過ぎた。

場所を移動。移動途中、コースをバスが走った。
コースはレース直前まで普通に国道として使われている。
その時、星野・影山の両氏がガイドをしてくれた。
印象的な言葉は…

「ココは既に6速で全開です。」

その後、両氏と別れパレード会場に向かった。
ルマンは決勝前日パレードが行われる。





ここでハプニングが起こる。
ニッサンチーム#23のR391がクラッシュ・リタイヤしたことでパレードランのクラッシックカーに乗るドライバーが不在となった。
「日産応援団に乗って欲しい」と依頼があった。
最初は断っていたようだが、「どうしても…」ということで根負けしてしまう。
団長が乗った。
そこで「じゃあ、Nジャンさん行きましょう!」

これでイイのか、オレの人生…
もったいないぞ、オレみたいのが…

何千何万人の大観衆の中、二人は鈴木亜久里・影山正美・エリック・バン・デ・ポール各選手の変わりにパレードランに…

サインを求める大観衆。
その度二人はこう言っていた。

「あいむ のっと どらいばー!」
Posted at 2009/05/18 00:29:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日産応援団 Nジャン | 日記

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「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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