
~語り合った夏、そしてR391と日産応援団の意地~
夏休みを利用し、ルマンツアーで一緒になったご年配の夫婦の家へ遊びに行った。
「泊まって行くんでしょ?」の言葉に甘えることとなった。
「夜BBQやろうか?」と奥さん。
奥さんがある所に電話をしてくれた。
「黒澤さん、今ね石黒さんちが居らしてるの。」
まさかと思っていたけれど黒澤さんご夫婦が来てくれた。
食事を楽しみながら談義に花が咲いた。
ルマンでのこと色々話してくれた。
オレは、幼ない頃の「スカイライン」「星野一義」から始まって日産へ。日産モータースポーツについて語った。
団長は難波NISMO初代社長から日産モータースポーツの情熱を聞き虜になってしまったという。
アプローチは違えど同じ日産ファン。
夢は同じに思えた。
会話は深夜まで続いた。
今でも団長は言う。
「この人と話始めると1日じゃ足りないよ(笑)。」
時は流れ11月。
日産はR391で突然、ルマン・イン・富士・1000kmにエントリーを発表。
富士スピードウェイに歴代ルマンツアー参加者が集まって来ていた。
Nジャンは新人(笑)である。
団長、その割には態度デカいとか言わないの(爆)。
あの時は旗の方が旗手の人数より多かった。
ボール紙で「応援旗振ってくれる方募集」と書いたり団長も呼びかけをしていた。
「日産勝つぞー!!」と叫ぶ団長。
「黒澤さん、酔ってるでしょ?」と添乗員Oさん。
この二人のやりとりは笑えた。
その時、名乗りをあげた一家がいた。
それがあの
Y32隊一家だった。
レースは見事に日産R391が優勝。
日産応援団もルマンでの応援が富士で蘇った。
翌月、ニスモフェスティバル。
黒澤団長に応援旗の登場を確認した。
「その予定はないのですが…」
それを頼んだNジャン。
当日、エリック・コマスがドライブするR390GT-1の助手席にカルロス・ゴーン氏が乗車。
オレ達はヘアピンで旗を振った。
イベントでも所々で応援旗を振った。
フィナーレで安達二郎社長(当時)がオレ達を紹介してくれた。
恥ずかしくて顔から火が出そうになった(苦笑)。
後日電話が鳴った。
相手は団長。
「カルロス・ゴーンさんが、『あの旗は何だ!?』って言ってたそうですよ(笑)。」
激動の99年が終わり新しい00年の幕開け。
残念なことに日産はルマン撤退を表明。
だが、日産応援団に大センセーションが起こる。
それは、あの団長さえも心打たれた出来事だった。
Posted at 2009/05/18 22:14:46 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記