
少年時代。
我が家にクルマがやって来たことに全てが始まった。
それまでは鉄道少年。今で言う「鉄ちゃん」だった。
従兄弟が来てプラモデルを作ろうと言う話になった。
それがスカイラインGT(ケンメリ)だった。
机に飾ってあったそのスカイライン。
毎日見るごとに惚れて行った。
スカイライン(ケンメリ)に夢中になった。
※画像提供:フォトヤマさん
親父があまりにも「スカイライン」に夢中なオレに特集本を買ってきてくれた。
GT-Rを知った。
そしてモータースポーツで活躍していたことを知るとますますハマっていった。
しかし当時は石油ショックでメーカーのワークス活動は終えていた。
それでもブルーに塗られた(当時:現在はダークグリーンM)ケンメリレーシングの写真に憧れていた。
一緒に映っているドライバーが名手、高橋国光さんと知ったのはまだ先の事だった。
「いつか、ブルーのGT-Rレーシングが復活して欲しい。」少年時代の夢。
画像のドライバーは、これまた名手の北野元さん。
数日後、親父に連れられて街を歩いていると物凄くカッコイイクルマをみつけた。
「これな、フェアレディZって言って、2人しか乗れないスポーツカーだ。これも日産だよ。」
あの衝撃は今でも忘れない。
親父と行った日産チェリー静岡店。
営業マンさんがポスターをくれた。
日産チェリー静岡のスポンサーがついたレーシングカー。
ドライバーは新人さんらしい。
「星野一義 静岡市出身」
静岡のレーサーに心から惹かれた。
初めて恋した女の子。
「アタシの家のクルマ、ブルーバードだよ。」
ブルーバードを意識したとき。
もう完全に日産に夢中。
日産がワークス活動を再開。
もう中学生になっていた。
本屋で立ち読みするわ、カメラの展示会で8ミリフィルムを見るわ、TV中継は見るわ…
両親に「勉強もロクにしないで何やってんだか…」と呆れられた。
日産はルマンにも挑戦を始めた。
青春時代、まさかの出来事が起こる。
少年時代の夢が叶った。
スカイラインGT-Rが復活。しかもブルーカラーでレースカーが登場。
ドライバーは、星野一義さん。
居ても立ってもいられず富士スピードウェイに行った。
優勝の瞬間を見たら、もう何も手に付かなくなっていた。
サーキットで何気なく見た広告。
NISMOのファンクラブの案内。
ルマンでの日産応援団を知った。
ルマン…行ってみたいし、彼等の仲間になりたい。
一緒に応援したい。
現実を考えれば、それも遥か彼方の事だと思っていた。
しかし、人生って何が起きるかわからない。
新妻と一緒にルマンへ。
日産旗を掲げた自分。
それをどれだけ夢見てきたことか。
日産応援団がJGTC(現:SuperGT)に登場。
初めて体験した感動に堪える事ができなかった。
仲間達と一緒に歩んできた日々。
自分でも日産応援団の為にも何かをしたくなった。
いつしか、日産応援団だけではなくファンの皆さんと一緒に何かをしたくなった。
今でも日産応援団に参加させてもらっている。
感謝という言葉だけでは終われない。
ありがとう。これからもよろしくお願い致します。
日産応援団 参加10年。
治療不可能な日産中毒患者。
Nジャン(N-JUNKIE)
この記事は、
ハンドルネーム(ニックネーム)の由来は?について書いています。
Posted at 2009/11/16 21:56:06 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記