
※恐れ入りますが、ドライバー・関係者名は演出上敬称略とさせてください。
「アタマが真っ白になった」とはこの事だ。
全くの無意識で団長とイケメン君のところに駆けていた。
男3人、抱き合って喜び、涙を堪えていた。
傍から見れば、「何やっているんだ」と思われるかもしれないけれど、それは分かる人にしか分からない事なのだろう。
理由はよくわからない。
理屈だけじゃ語れない。
こんな感動は今まで無かった。
98年、99年にもチャンピオン獲得した事はあるけれど(それ以前にもチャンピオン獲得はあります)、単なる喜びにしか過ぎなかったのに。
表彰式。
日産応援団がボディウム前に集合。
勝利に酔いしれた。
そして・・・・・
ドライバー、土屋圭市としての引退セレモニー。
GTではライバルのHONDAだけどこの時ばかりは、どうでもよかった。
一時代を築き上げた男の引退。
通称、ドリキン。
高橋国光とハコスカに憧れてこの世界に飛び込んだ男。
ハチロク使いとして有名で峠を愛していた。
「走り屋」と呼ばれる若者たちのカリスマ。
ルマンでは夜になると他の誰よりも速かった。夜の峠で鍛えたからだという。
「国さんに憧れ、恵一(鈴木恵一)さんに拾われ、国さんに人間を教わりました。」
パレードランにはもう乗れないだろうというくらいに後輩ドライバー達がオープンカーに乗り込んでいた。
セレモニーが終わって日産応援団が片付けをしていると、3人乗りのスクーターが…
乗っていたのは「脇阪寿一、飯田章、服部尚貴」の3名。
日産応援席に向かって、「おめでとう!!やったね!!」と。
その計らいが一層感慨深く、また感動を呼んだ。
「今度は日産に乗ってよ!」とオレは無意識に言っていた(笑)。
3人は閉口したことは黙っておこう(爆)。
帰り際、子供が出来たという団長とT兄さんとMさんの3名をジョークの意味で鹹かった。
「もう、富士スピードウェイが改修になるとベビーラッシュなんだな(笑)。」
それが後悔するハメになったのは言うまでもない。
まだウチの娘も3歳。睡魔が襲ってきたようで、挨拶もままならないまま、クルマに乗った。
「お父さん、あのね、二人目が出来たみたい。」
・・・・・・・・は!?
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オレにとっての日産応援団は、昨年で参加10年目の節目を迎えた。
今年、新たなる幕開けとなるかもしれない。
だが、振り返るとハッキリ覚えている記憶がある。
目の当たりにしてきたいくつかのシーン。
オレには、忘れられない一戦がある。
いや、同じ気持ちの人がいるかもしれない。
アレを知った大事な瞬間。
それはオレにとって未だかつて経験したことのない事だった。
【END】
※画像提供:フォトヤマさん
Posted at 2010/01/24 10:20:26 | |
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日産応援団 Nジャン | 日記