
本当は書かないほうがいいかもしれないとも思った。
でもね、「Nジャンさん書いてよ。Nジャンさんしか書ける人いないよ。だって私達Nジャンさんが始まりなんだよ。」と言っている気がして…
ねぇ、くまさん。
日産応援団東北支部長こと「まーママ」さん。
くま2315さんの奥様である。
いつもご夫婦一緒で日産応援団に参加。
宮城県在住でありながらもなんと大分県のオートポリスまで自走遠征した経歴がある。
もてぎ戦ではヘアピンで日産応援旗を抱えながらもライバルを含めた全車を応援。
ウィニングラップの時は全車パッシングしてくれたというエピソードがある。
旦那様をいつも支えていて我々にも笑顔を与えてくれていた「まーママ」さんが他界された。
オイラは何を思えばいいのか昨夜は途方に暮れた気がして…
目を閉じれば彼女の笑顔を思い浮かべる。
笑顔しか知らないんだよナァ。
耳を澄ませば彼女の声、言葉を次々と思い出す。
「Nジャンさんですね。ブログ見てますよ。この歳で楽しみができました。」
「Nジャンさんち、お嬢さんち、今年もよろしくね。」
「Nジャンさんちが寄って帰る温泉、ご一緒しようと思ってね。」
「下のお嬢ちゃん、小学生になるの?ウチの孫(関東住在)と同じだね。 」
何度も繰り返し思い浮かべると溢れ出るモノが止まらなくなった。
いや、今でも止まらない。
「SUGOで『くまさん』という方にお願いしてありますから」と、イケメン父サンにお願いしてNジャン応援旗リレーをお願いした時。
ご夫婦にとって日産応援旗デビューだった。
そして一躍日産応援団の大人気ご夫婦になった。
どうしても地元、宮城県スポーツランドSUGOで日産の勝利が見たいといつも決起集会でご夫婦揃って言っていた。
願いは適うモノである。
魔物をやっつける事は可能だった。
ところが…
2011年3月11日(金)午後2時46分。
住み慣れた街が崩壊してしまう。
一時、関東へ避難したものの数日後、日産応援団はもちろん、ライバルである関西寿一會、板東組応援隊など各応援団のエールを受け再び被災地へ。
くま2315さんは山のような現場仕事。
まーママさん。負った人々を助ける使命にあった。
時は流れた。
今思えば…
昨年末のニスモフェスティバル。
くま2315さんは挨拶程度で帰宅。
「仕事かな?」くらいに思っていたオイラ。
数日前、くま21315さんのつぶやきが多い気がしたオイラ。
支部長は今年の新規格ニューマシンを見ることができなかった。
SUGOでオイラが一緒に応援できなかったこと、本当にごめんなさい。
支部長がくま2315さんにこう言っていたらしい。
¨あなたには 応援団の仲間がいる¨
みんなでチャンピオンをもぎ取ろうじゃないか。
支部長、本当にありがとうございました。
今でも声が聞こえる気がして…
謹んで故人のご冥福をお祈り致します。
¨離れていても心はひとつ¨
※画像提供:くま2315さん、フォトヤマさん
Posted at 2014/02/26 20:38:21 | |
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