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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2019年06月19日 イイね!

パパのおさがりというか…(汗

パパのおさがりというか…(汗カリパク(爆)。

下のお嬢。
オイラが教えたボディーボードのシーズンが来ると楽しみにしている。
「そうだなぁ、中古でいいだろ。ボディボード見に行かない?」と聞いてみた。
「お父さんのボードがいいの。凄く使いやすいし…。」
あのさ、それいくらしたと思ってんの?
「オレのビーズィー(Bz)の板が~っ!!」

今や親父の服を着る事が流行っているようだ。
ウチも上のお嬢がオイラのGジャンを気に入っているらしく、何度も「貸してくれ」と言っては着ていく。
オイラもオイラで、ぶっちゃけ、体型の都合上、アレを着れなくなってしまった。
実は特注のモノ。
ジーンズ専門店で若かりし頃に購入したモノである。
レトロ感もあったのだろう、お嬢のお気に入りとなってしまった。
最後には「くれてやらぁ」くらいに言ってしまった(苦笑)。

先日のログでも述べたように、上のお嬢はマニュアル自動車免許取得中である。

・・・・・・・・。



嫌じゃ。
Posted at 2019/06/19 21:51:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 家族 | 日記
2019年06月18日 イイね!

ジェントルマンはテスタロッサに乗って

ジェントルマンはテスタロッサに乗って※タイトル画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)

フェラーリ・テスタロッサがデビューしたのは1984年。
オイラはまだ17の時だった。
それまでフェラーリのフラッグシップだったBB(ベルリネッタボクサー)から引き継いだモデル。
自分の知る限り、有名人著名人がこぞってこのクルマを購入していたと記憶している。



華麗なV12サウンドは最早芸術と言っても過言ではない。
それでいて迫力満点でありながら、その美しいラインに圧倒されたモノだった。
更に程よい程のクセのあるサイドのラインが一層引き立てている。





数年前のある日。
駐車場でフェラーリ・テスタロッサに遭遇。
オーナーさんは気さくな方で、積極的にオイラに話しかけてくれた。
お互い自慢するワケでもなくただ、ダベっていた。


※画像:https://publicdomainq.net/

そんなに長い時間ではなかった。
フェラーリ・テスタロッサに上品な紳士。
印象深い時間であった。


※実際の画像

先日の事、例の如くアウトモデリ「ラムダ」さんに行った。
http://www.lambda1.jp/
手に取って購入したのはフェラーリ・テスタロッサ。
思わずあの時の事を思い出した。


2019年06月17日 イイね!

時代はラクな方へ行くけれど…

時代はラクな方へ行くけれど…※タイトル画像:carviewさんよりお借りしました。

お嬢は19歳。
現在、大学生。
少々離れてはいるが、大学のある街で暮らしている。

最近、向こうで自動車教習所に通っている。
実はオイラの希望でマニュアル免許取得コースだ。

時代は2ペダル。
フェラーリもランボルギーニも今や2ペダル。
国産車でもマニュアル車は限られる。
マニュアル免許取得は逆行しているかもしれないね。

殆どの方はオートマ免許だろう。
マニュアル免許よりイージーだろうし。

ご存知の方はご存知だけど、お嬢の夢は黄色いZに乗る事。
Zだってオートマチックはあるし、ソレで十分楽しめるだろう。
だけどマニュアルならもっと楽しめる筈。
それ以前にZ所有という実現は遠い夢くらいわかっている。


※画像:carviewさんよりお借りしました。

実際は、違うクルマに乗るだろう。
だけど夢に描いているのなら、最高に楽しめる夢にしておきたい気がする。
きっとオイラもその夢にノッているのだろう。
叶わぬ可能性は高い。
だけどゼロじゃないから夢である。

最近、教官に厳しいお言葉を頂いたらしい。
あまりにも運転にセンスがないらしく「どうしてもマニュアルじゃなけりゃダメ?」と。
その言葉に少々、落ち込んでいるらしい。
女房殿に、「ちょっとそのままにしておいてくれない?丁度いい頃なんだよ。」とオイラは言った。
教官は意図的に試練を与えたのだろう。

そうでなけりゃ、「こっちは銭払っているんだ。オマエも教えるプロだろうが!」+αの優しい💢ご指導するよ、オイラ(笑)。

ガンバレ、お嬢。


※2005年撮影
Posted at 2019/06/18 00:04:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 家族 | 日記
2019年06月17日 イイね!

夢か偶然か。ルマン24時間、勝利の女神は試練を忘れない。

夢か偶然か。ルマン24時間、勝利の女神は試練を忘れない。※タイトル画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)

トヨタの連覇。
一言で言ってしまえばそれで終わってしまう。
だけど、その向こうにある数々のドラマ。

何も今始まった事ではないけれど、毎回毎回違った内容になっている。
これだから、24時間はわからない。



勝ったのに悲喜こもごも。
そういう事もあるモノだとも思った。
勝者だって「一歩及ばず」というその気持ちが痛いほどわかるから涙だって溢れてくるってモンなのだろう。

ルマン24時間。
盤石って無いのかもしれない。
歴代勝利者達の勝利は「たまたま」なのかもしれないネ。

初の日本車連覇、
¨おめでとうございます。 ¨


※画像:carviewさんよりお借りしました。
Posted at 2019/06/17 19:20:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2019年06月15日 イイね!

日産応援団のアナザースカイは フランス(ルマン)です。

日産応援団のアナザースカイは フランス(ルマン)です。※タイトル画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)

日本テレビ系列で放送中のアナザースカイⅡ。
ゲスト本人が自分のゆかりの地を巡るドキュメンタリーである。
https://www.ntv.co.jp/anothersky2/

オイラのアナザースカイというよりは日産応援団黒澤団長もGT-RパパさんもFさんも永嶋さん親子、後藤さんもくま2315さんも同じ事を答えるだろう。

いうまでもなくルマン。
もちろんパリだってそうだろう。
今も色あせる事無く記憶の中にある筈である。



今でも、FMラジオ番組ジェットストリームを聞くと、フランスの事を語ればついつい耳を傾けてしまう。
https://www.tfm.co.jp/jetstream/

番組内で溝口肇氏のナンバーを聴けば、何故か数々の記憶が今でも蘇ってくる。
最近は歳を重ねたせいか、涙腺も弱くなってきたよナァ…



オイラ個人としては、1999年。
今からちょうど20年前。
夢を描いた自分。
女房殿になりたてだったパートナーは、「何か個性的な旅行をしたい」との事で二つ返事。

1999年の年が明けて、真っ先にオイラはNISMOの企画するツアーに問い合わせ。
ソッコーで申し込んだ。
受話器の向こうは添乗員の大槻さんだった。
数日後、黒澤団長に「黒澤さん、今回のツアー、第一号参加者さんの申し込みがありましたよ。」と言ったという。

成田空港で、集合場所に一番に到着したのは自分達。
初めての成田空港、右も左もわからずやっとたどり着いた集合場所。
待っていたのは大槻添乗員だった。スーツケースにNISSAN、ルマンのステッカーが貼りつけられたご夫婦が現れた。
「うぇ~、スゲー人がいるな。オレより熱狂的なファンなのかな?ヤなヤツだったらヤダな~。」

それが日産応援団黒澤団長ご夫婦とのファーストコンタクトだった。

現金をすべて両替してしまった自分達。
困っていると、優しく小銭を貸してくれたのは団長の奥さんだった。

成田空港からパリのシャルルドゴール空港へ。



日本語が通じぬ、外国人観光者となった自分達。
それだけで臆病風に吹かれる自分。

とはいえ、フランスのパリは、勿論知っていたけれど、まさか自分がその地に立つとは思ってもいなかったナァ。



名物のスコールも体験した。
右も左もわからずパリのデパートへ。
日本語の案内は本当に助かった。

田園風景というか、麦畑の平野を見ながらバスは走る。
夢にまで見た地にたどり着いた。



都会とは違う味のある街。
目の前にあるモノ全てが夢のひとつひとつに思えた。







「黒澤さん。オレも参加させてもらっていいかなぁ?」
「もちろんですよ。ボクからもお願いします。」

これが日産応援団デビューした自分だった。






☆MUSICIENCE EN FOLIE-49

サプライズは待っていた。
自分が見ているのは本当に夢の時間だったのだ。





大槻添乗員さんは言った。
「黒澤さん、Nジャンさん、一緒に向こうへ行きませんか?」





「オレ達にも振らせてくれよ。」
「ニッサン!」「ニッサン!」



「Nジャンさん、一緒に行きませんか?」
「はい。」



「え?現地歌手?そっか…、オレの肩に乗れよ。」



悔しい結果だった。
だけど、何度も夢にまでみた地に自分が居た。



さぁ、帰ろう。
誰もが夢見る瞬間を描きながら…



日本へ戻れる安心感と疲れで爆睡の自分。
あまりにも結果が悔しくて眠れなかった団長。



11月。
ルマンin富士1000km、日産応援団歴代参加者集結。
旗手が足らず、お客さんに呼び掛けた。
その中に現在の田上副団長がいた。
2000年、JGTC(現在のSuperGT)。
田上一家が日産応援団にセンセーションを起こした。

日産応援団の面々。
「いつかはルマン」と異口同音。

日産応援団のアナザースカイはフランス(ルマン)です。

Posted at 2019/06/15 19:51:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団 Nジャン | 日記

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「ルマンにNISSANの夢 http://cvw.jp/b/116827/48484444/
何シテル?   06/14 04:55
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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