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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2025年05月20日 イイね!

70年代後半~80年代のNジャン少年の視線は…

70年代後半~80年代のNジャン少年の視線は…※画像:carviewさんよりお借りしました。

☆このログは個人の好みを主に書いています(しかも少年時代)。

1970年代前半、少年時代のオイラはケンメリ型スカイラインでクルマに熱中したのが最初で、コミックのサーキットの狼に夢中。
そしてやってきたスーパーカーブームの波に飲まれ。クルマという乗り物に夢中になっていた。

ところが、石油ショックの波に飲まれ、第二波もやってきた。
安全と排気ガス規制に国産車は高性能車を奪われ、低燃費とクリーンガス、安全性を重視する時代になった。
例のアメリカ、マスキー法をそのままパクって当時のお上が我が国に展開したからメーカーもたまったモンじゃない。

一番有名なのはケンメリのスカイラインGT-Rが対応できず生産終了し、その残されたラインナップはデートカー、旦那仕様、と様子を変えてきた。



しかしフェアレディZ、セリカ、117クーペ、ギャランGTOなど魅力的なモデルがまだ踏ん張って国内市場を支えていた。

ところが、まずオイラが大好きだったクルマ達に襲い掛かったのが大型バンパー。
今やプラスチックの衝撃吸収バンパーだが、かつてはアイアンバンパー。
それもメッキのタイプが多かったのだが、その末期は大型化されゴムのラバーが付いた。
そう、あのデザインを崩壊させる悪名高きアメリカで義務付けられた5マイルバンパーだ(https://car-kobanashi.com/2023/07/23/5mile-bumper-countach/)。
まぁ、セリカもフェアレディZもみんな大型化され、まさかイタリアンスーパーカーまで不格好になるとはねぇ…





カッコ良かったと思った5マイルバンパー装着車はポルシェ(930系)だけだったし、今でも歴代ポルシェの中でも一番好きだ。



国産車はフルモデルチェンジの時期を迎えた。
フェアレディZはS30からS130へ。
このモデルチェンジに抵抗を覚える事は無かったが、スカイラインとセリカには肩を落とした。
スカイラインはジャパンになって大好きなケンメリが終了。
そのジャパン、出たばかりの頃は「なんだこれぇ…」と悲しくなった。
もっともさすがスカイライン、あとからジワる事になるのだが…
セリカも2代目になって何だか丸っこくなってモッサリしてるし…
スカイラインに喧嘩売るし…💦
サバンナRX-7は驚いた。
確かにカッコ良かったけれどポルシェ924を手本にしていた事は少年時代でもわかった。

輸入車もアメ車全盛から欧州車へスイッチしていた頃。
あの大好きだった初代ビートルからゴルフへ。
ゴルフの素晴らしさはまだまだわからず、「何色のビートルを見たら〇〇だ!」の都市伝説を返せくらいに思ってた。



モータースポーツも肩を落とした。
ポルシェ935も78になってあの大好きだったマルティーニカラーが好みと違う方向に改められたし、ルマンもポルシェからルノーの時代。
F1も大好きだったJPSロータスはマルティーニカラーになったと同時に低迷。
期待の80は大失敗作。
大好きだったあの時代の主役級、マクラーレンもフェラーリもタイレルも上位から名を消し、ブラバム、リジェ、ウィリアムズが名を連ねていた。



ただラリーでは国産車が世界で大活躍。
それは嬉しい出来事ではあったけれど…



国内モータースポーツは国産ワークスはすっかり姿を消し、代わって人気となったのはGC、F2。
あとは小型ツーリングカーによるレースか。



そんなワケでオイラが力が抜けた70年代後半から80年代初頭。
再びワクワクするのは、国産市販車ターボパワーウォーズ、モータースポーツ国産ワークス活動再開、世界戦挑戦まで待たなければならなかった。

今回のログはそんな切なかった頃のNジャン少年のお話。

Posted at 2025/05/20 22:03:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記憶のクルマ達 | 日記
2025年05月20日 イイね!

Fragment of memory Vol.14 AE86 TOYOTA SPRINTER TRUENO GT-APEX

Fragment of memory Vol.14 AE86 TOYOTA SPRINTER TRUENO GT-APEX※タイトル画像:https://photofunia.com/

ヤツの名はM。
幼稚園の時から最初の勤務先まで同じの同級生。
愛車は赤/黒の通称「ハチロク・トレノ」の前期型。
今ではコミックの影響で白/黒パンダトレノ、あのドリキンのトレノが注目されているが、オイラ達の頃はトレノよりレビンの方が人気だった。





高校時代に登場したAE86型。
高校を出た頃はまだ後期型が現行販売していた。


※画像:https://photofunia.com/

Mは車検で手放したオーナーさんのユーズドハチロク。
まぁとにかくヤマ走るのが好きだった。


☆画像:carviewさんよりお借りしました。

何度か乗せて貰ったし、峠走る時はメチャスムーズで軽快。
FRによるごく自然なコーナリングはオイラの重々しいスカGとはまるで別物。
更にフキ上がる4AGは音さえも気持ちよく思えた。


☆画像:carviewさんよりお借りしました。

後にRSワタナベとBSの340イーガー。
フジツボのマフラーに、カヤバとタナベの定番の足回り。
更にクスコのロールバーという凝り様。

夜勤明けの冬の夜明け前。
霧割峠の闇に赤/黒トレノが駆け抜けて行った。


◇画像は合成です。
Posted at 2025/05/20 18:57:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記憶のクルマ達 | 日記
2025年05月18日 イイね!

024/25年フォーミュラE第9戦東京E-Prix NISSANが勝った。

024/25年フォーミュラE第9戦東京E-Prix NISSANが勝った。※タイトル画像:https://photofunia.com/
☆文章中画像はcarviewさんよりお借りしました。

東京・有明の東京ビッグサイト(国際展示場)周辺の公道で開催された「2024/25年フォーミュラE第9戦東京E-Prix」レース。
NISSANのオリバー・ローランド選手がポールtoウィン達成。

メーカーもチームもドライバーもそうだけど我々ファンだって勝ちに飢えていた。
暗いニュースを一撃する明るいニュース砲弾。
兎に角日産が勝った。



そしてヤマハも5位でフィニッシュとナカナカの好成績。
Nジャンさん、実は二輪も楽器もヤマハ党。



楽器…💦
ローランド!? ヤマハ!?



オアトガヨエオシイヨウデ…

NISSAN勝ったどー!
Posted at 2025/05/18 23:07:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2025年05月18日 イイね!

イチ・日産ファンのアツい思い

イチ・日産ファンのアツい思い※あくまでも日産ファンの傾向としての内容です。

今、日産のニュースは暗いモノが目立っているけれども、我々日産ファンの願いは、元気な日産の復活実現。

勿論、その為の取り組みを日産がやっていることは誰だって百も承知だろうけど、ビジネスを直接手伝えないのもまた歯痒いところ。

ならばと、商品の売り上げ貢献を考えるが、一瞬考えただけで終わってしまう…💦
その理由は設明するまでも無く…



日産全般的としているファンは比較的若い人が多い。
だいたい日産ファンの流れはフェアレディZやGT-R(スカイライン)を軸として日産ファンになったという人が目立つ。
ご年配になるとZ派、GT-R派と別れたりする。
そう、言い方を換えればダットサン派かプリンス派に分かれる。



オイラの場合はちょうどその真ん中あたりの世代で、結果的に全体的な日産ファンなのだが、キッカケは御存知の方は御存知なのだがスカイラインが起点だった。

アプローチとしての違いを例えるなら、同世代(学年同じです)として面白い事に日産応援黒澤団長の日産ファンとしての起点はモータースポーツの取り組みをNISMO初代代表取締役社長の難波靖治が語って頂いた事に始まる。



ウチの娘もそうだが、田上副団長は親からの影響というケース。
因みに田上副団長の親父サンはプリンス派。
それもスカイラインではなくグロリア派なのだ♪

フォトヤマさんは筋金入りの星野一義党。

などなど、それぞれがそれぞれのアプローチがあって辿り着くとこが同じところなのが面白い。

応援団に限らず仲間達が集まって直接談義するのは本当に楽しいモノ。
情報交換有り、同志あり、分かり合える事が本当に愉快だし。



筋金入り…。
ブレない、曲がらない、ガチのファン。
ソイツはメリットもデメリットも併せ持つ不思議な魔力という事なのかもしれないね。

Posted at 2025/05/18 08:46:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2025年05月17日 イイね!

Fragment of memory Vol.13 B10 DATSUN SUNNY COUPE

Fragment of memory Vol.13 B10 DATSUN SUNNY COUPE※タイトル画像:https://photofunia.com/

彼の名は「マサ」さん(仮名)。
ウチの母親の従兄妹、オイラの叔父である。
残念ながら数年前に故人になってしまっている。

時は昭和40年代中頃。
ウチの妹が生まれて間もない頃。
ウチの母親系の親戚の中で幼い子供が居たのはウチだけだったから、物凄く可愛がられた。

マサさんは両親と兄妹三人で静岡市の浅間神社東側鳥居の近くに住んでいた(現在は転居)。
オイラの母親が妹とオイラを連れて、その家に遊びに行った時の事。
彼ら兄妹3人とウチの3人で安倍川上流方面に川遊びに行こうという事になった。


☆画像:carviewさんよりお借りしました。

マサさんの愛車はB10サニー・クーペ。
まだまだ若者だったから必然的といえば必然的なクーペの選択。
乗り込んだのは幼い子供2人と大人4人
注:当時はチャイルドシートは無かったし、シートベルト装着義務もなく、幼児が乗員数に含まれていなかった。

さすがにオイラも幼過ぎてクルマのドライブ・フィールがどうこうわからなかったけれど…
ただ、ウチにはクルマが無かったし、親戚の中でもクーペを所有していたのは彼だけだったから覚えている。
しかも特徴的なデザインが尻下がりだったし…

安倍川上流…
そんなに遠く無かったとうっすら記憶している。
玉川あたりかな?


あの有名人サンの御実家が映ってますなw


◆画像:https://publicdomainq.net/

帰りにダダをこねたオイラ。
不思議な事にココだけはハッキリ覚えてる。
どうしても前に座りたくて、当時学生だったお姉さんにダッコしてもらって前座席に座らせてもらった。
クルマに乗るなんてあまり無かったから前が見渡せる前シートに座りたかったんだろうね。


◇画像:https://www.nissan.co.jp/HERITAGE/DETAIL/?id=504
Posted at 2025/05/17 09:43:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 記憶のクルマ達 | 日記

プロフィール

「ルマンにNISSANの夢 http://cvw.jp/b/116827/48484444/
何シテル?   06/14 04:55
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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2021.08.08 Shakedown
日産 セレナハイブリッド 日産 セレナハイブリッド
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日産 スカイラインGT‐R 日産 スカイラインGT‐R
スカG中毒常習犯。
日産 スカイラインクーペ 日産 スカイラインクーペ
かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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