
桂 米朝師匠が 亡くなられた。
中学生のとき ラジオの深夜番組で 師匠の 地獄八景亡者戯 を全編放送していて 布団の中で 大笑いしてしまったのを 憶えている。
それ以来 米朝さんの落語が 大好きになってしまい、 落語といえば 米朝!と 思って 聞いていた。
師匠の落語で 江戸時代の生活や 道具の名、様式などを 知る事ができたし、大阪の文化や 奥ゆかしい 本物の 大阪弁を 勉強できた。
なんといっても その容姿が 他の芸人にはない ダンディーさと インテリジェンスを 兼ね備えていて 師匠というより 教授と呼んだ方が しっくりくる 方であった。
正に 人間国宝に相応しいと思う! いや 指定が 遅すぎたとも 感じる。
もう あのような 落語家は 現われないのだから・・・・・;
国宝指定の 選定方法にも 問題があるのだと 思う。
天才的 津軽三味線 太竿 奏者であった 高橋 竹山という方が いた。
かれの 三味線は 私のような 音楽的素人にまで その凄さに 心震わされ、感涙させる程の パワーを 持っていて かのニューヨークタイムスに於いては 心に響く音とは この音のことを 指すのだ!と 言わしめたくらいなのだ。
そんな 竹山さんが 国宝指定に 漏れた。
理由が 出自が 良くないとか・・・・^^;
馬鹿野郎か! 歌舞伎宗家なんて 300年前は 全部良くないじゃねーか!
国宝にしても 国民栄誉賞にしても 国賊政治家の売名などに 政治利用されてるように 感じる。
選定する 人間も 我等国民も しっかりした 審美眼を 持ちたいものだ。
阿呆な 若者達の歌の歌詞には -止まない雨はない、 明日は 明るい未来ーなんてーのが あったけど^^;
未来に 明るいも 暗いもない。 どう感じるかは その人次第。
座して待っても 現状維持、 それすら ままならなくなる。
ましてや 明るい未来なんざ 千笑。
米朝や 竹山のように 常に より高みを 求めて 精進する人のみに 充実した未来が ある。
虚無な 未来を観ず 利休のように 様式を 芸術にまで 昇華させることが 出来れば 人として 生きれて 最高なんだろうなぁ~^^
Posted at 2015/03/21 00:39:28 | |
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