
昨夜は早く帰り、かつ、妻が夕食会とかで遅くなるというので、最寄り駅前の
ホビーショップに立ち寄りました。で、眺めているうちに久しぶりに作りたくなり、プラモデル一箱+接着剤2種+塗料9色+筆3本=2800円(安っ!)を買い込んで、早速作り始めました。妻の帰宅した23時頃には7割方出来ていて、今日残りを片づけました。
昔は1年間程、
途切れなく作っていた時期もあったのですが、さすがに久しぶりということで、ヤスリは一切使わず(というか、昔揃えたヤスリ数本はなくなっていたのでw)そのまま組み立てただけですが、楽しいものですね。
今回作ったのは
ハセガワの1/72隼Ⅱ型(マックの方文字化けしてたらごめんなさい)ご存じのように富士重工の前身である中島飛行機の機体です。太平洋戦争の直前、爆撃機に同行出来る航続距離の長い戦闘機が必要となり、陸軍の試作機(キ43)としては不評だったまま2年あまり半ば放置されていたものが、一転採用されたというエピソードがあります。不評の理由は中国戦線で(水平面の旋回での)格闘戦に無敵の強さを誇った、同じ中島飛行機の前作
97式戦闘機より、速度、航続距離とも有利ながら、小回りが効かないということ。当時の評価は第一次世界大戦の複葉機による格闘戦(お互いに水平面で旋回しつつ相手の後ろを取るという戦い方)が最も重視されたようです。
明治以来、諸外国の航空機の輸入や模倣、ライセンス生産や、外国人技師による設計によって歩み始めた日本の航空技術ですが、ついに諸外国に追いついたのが97戦・・・実際、中国での戦闘ではアメリカ、ロシア製の戦闘機を凌駕すらしました(あくまで前大戦型の戦いの場合ですが)。そして初めて、ライバルとして外国機ではなく、前作の国産機を超える事が要求されたのが、この隼です。
※同じような事が、海軍機である三菱の
96式戦闘機と
零式戦闘機(ゼロ戦)で同時期起こっています。
また、上記のように採用まで2年以上もかかったことで、太平洋戦争突入時には、たった40機ほどしか配備されていなかったことも、(万全の配備状態だったゼロ戦との比較においても)エピソードとして残っています。放置されていた試作機(隼)が再評価されたのが、輸入されたドイツの
メッサーシュミットBF109(初期型)との
模擬空戦の結果、速度と武装以外は全て勝っているとの(当時の日本のパイロットによっての)評価だったということも興味深い事実です。※勘違いしていました。BF109と模擬空戦をしたのは、97戦、キ44(二式単戦「鍾馗」)とキ60(三式戦「飛燕」の前身)でしたが、97戦は勝負にならず、キ44、キ60ともBF109に勝っていたことから、今後は格闘戦の性能より、スピードが重要との認識が陸軍側に芽生えたため、97戦より速度の速いキ43(隼)が急遽採用となったそうです。(2/22修正、追記しました。)
皇歴2601年に制定されたため、下二桁(下一桁)を取って「一式戦 隼」と名付けられました。軍事機密として国民に実態を知らされなかったゼロ戦に比べ、「隼」という愛称を付けられ、戦果を大々的に報道され、
映画まで作られたこともあり、非常に知名度の高い飛行機だったようです。大戦を通して、緒戦の圧倒的な勝利と、続々と現れる連合国側の新型機との苦戦を終戦まで強いられる事になる機体です。
陸軍機は一式戦隼以降、二式単戦「
鍾馗」(中島)、三式戦「
飛燕」(川崎)、四式戦「
疾風」(中島)と矢継ぎ早に新型機が制定されていきました。隼は真の意味で日本の航空技術のオリジンであり、世界基準を超えた工業製品であったという点に意義があると思います。(もちろん、三菱の零戦も同じですし、武装と構造という点ではさらに一枚上手であったととも言えます。)
ということで、次は「鍾馗」を作ろうかと、密かに思っています(笑)
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◇プラモ-日本 | 日記
Posted at
2006/02/19 01:42:49