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naka3051のブログ一覧

2008年03月05日 イイね!

▽フォッケウルフ Fw190A-6

▽フォッケウルフ Fw190A-6 だいぶん前にフォッケウルフFw190のD型をアップしたのですが、今回はよりメジャーなタイプA型がロールアウトしました。・・・機種のみならず、型にまで拘り始めると正にオタクですな(笑)
ギャラリーもどうぞ


 フォッケウルフについては前回のD型の記事を参照頂けると助かりますが、この機体、ドイツ(さらにはヨーロッパ)では珍しい空冷星形エンジンを搭載した戦闘機です。液冷エンジンを積んだBf109が主力戦闘機として制定され、生産が進む中で開発されたので、量産時に液冷エンジン(ダイムラーベンツDB600系)が足りなくなることや、(当時の)DB600系エンジンでは馬力的に少し物足りないと考えた、クルト・タンク技師の判断によって生まれた機体です。

 当時のDB600系エンジンは約1100馬力、それに対してBMWの空冷エンジンは1500馬力程度、それだけの出力差があれば正面面積の大きな空冷エンジンでも充分に性能が期待出来る、という判断だったようです。

 とはいえ、直径の大きな空冷エンジンを装備したため、胴体は頭でっかちの感は拭えません・・・そこがまた迫力があって格好いいのですが(笑) この機体は潜水艦によってはるばる運ばれ、日本の航空開発の技術的な資料として大いに参考にされたそうで、特に三式戦「飛燕」の液冷エンジンを空冷エンジンを換装し「五式戦」に改造する際には、川崎の技術者が大直径のエンジンを細い胴体に取り付けた際の胴体側面の処理を参考にするため、夜行列車に乗って実機を見に行ったそうです。

 どちらかと言えばBf109の陰に隠れがちな機体ですが、一回り大きな主翼を持ち、デリケートでやや扱いづらさのあったBf109より、旋回性能や離着陸時の安全性などに優れていました。500kg程度までの爆弾を搭載出来る戦闘爆撃機型等いくつかのバリエーションも開発されました。
 
 互いに改良合戦でしのぎを削っていた英国スピットファイアより常に性能で上回っていた、というのがFw190の誇りといえそうです。
Posted at 2008/03/05 22:15:12 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-ドイツ | 趣味
2008年01月20日 イイね!

▽高級ドイツ製練習機 アラドAr96

▽高級ドイツ製練習機 アラドAr96 本当ならば、前回の英軍「ライサンダー」を受けて独の「シュトルヒ」を作るべきだったのですが、どうも気が進まずちょっと仮組みしたら意外にイケそうな(?)独の練習機の代表格アラドAr96が作ってしまいました。(ギャラリーもどうぞ)
 アラドと言うメーカーは認知度は高くないかと思いますが、独海軍の艦載機としては決定版の水上機Ar196や、終戦間際にはアバンギャルドな機体も作った中堅のメーカーです。そのアラド製のAr96は全金属製単葉低翼+引き込み脚という、当時の主力戦闘機とも(要目的には)変わらない洗練された機体として、独空軍の標準的な練習機として大量に生産配備されました。

 とか書きながら、実はこの機体については私は詳しく知らないのですが(笑)同時代の他国の練習機に比べ、(特に引き込み脚を装備している点など)相当洗練された高級な機体という印象を受けます。また装備されたエンジンは(少ない資料によると)アルグス空冷倒立直列V型12気筒エンジンという「倒立」かつ「空冷」かつ「直列」なんていう不思議な形式のものです。空冷と言えば星形が思い浮かぶのですが、気筒を直列にしてどうやって空気で冷却していたのか?不思議な形式です。
※どうも気になって調べるとアルグスAs410エンジンは倒立のV型のようでした1/21修正追記しました

 また写真を見て頂くと分かるように、プロペラの先端に妙な風車状のものが装着されています。(同じエンジンを積んだFw189という偵察機があるのですが、それにも同じものが付いているので多分同じ機構だと思われるのですが)プロペラのピッチを速度に合わせて変更するための風力可変ピッチシステムのようです。つまり小さな風車が風を受けて回り、その速さに応じてプロペラのピッチを自動的に可変させると・・・なかなか直接的、メカニカルな技術という感じですね。

 ちなみに・・・
Ar96のプロペラの前の風車を見て、昔のトイレの匂い抜き煙突の先端に付いていた風車を思い出したあなたは、充分 昭和な人 です(笑) 
Posted at 2008/01/20 22:35:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | ◇プラモ-ドイツ | 趣味
2008年01月08日 イイね!

▽ハインケルHe111

▽ハインケルHe111 空を飛ぶものはすべからく美しい・・・と私は思うのですが、その中でもひときわ美しい流線型のこの機体は、ドイツ空軍で開戦から終戦まで一貫して主力爆撃機の一端を占めたハインケルのHe111です。大戦前に高速中型旅客機(と偽りつつ)開発が進んだこの機体、ナチスドイツの進撃を空から支え、バトルオブブリテンでは連日英国本土への爆撃に駆り出され、ついにはその限界を露わにしました・・・そしてその限界は図らずもナチスドイツの限界そのものでした。(ギャラリーもどうぞ)

 この機体(のみならず多くの機体)を開発したエルンスト・ハインケルは、ドイツ航空界でも重鎮と呼ばれる技術者であり経営者でした。第一次大戦後、試作機の製作も制限される中、ハインケルはスウェーデンに身を寄せ航空機を開発します。(そしてその頃彼の機体を生産したのが設立したばかりのスベンスカ航空AB・・・すなわちSAABでした)
 
 この機体の前身になったのはHe70という単発高速旅客輸送機・・・翼面積を効率的に確保する楕円翼、滑らかな曲面に包まれた機体形状、沈頭鋲を用いた滑らかな機体表面等によって優れた飛行特性をもち、その抜きんでた美しさで世界を驚かせた機体でした。そのHe70を双発化するというコンセプトで開発は約一年という短期間で行われ、初期のタイプは(やや後退した)楕円翼を持ち、コックピットの前には段差のある形状でした。このタイプ(B型)はスペイン市民戦争にコンドル軍団として派遣され、高速爆撃機として活躍しました(同時にゲルニカで都市無差別爆撃の先鞭をつけることになります)。

 その後エンジンの換装を重ねる内、生産性向上のため主翼の前縁と後縁が直線に改められ、抵抗を少なくするため機首はガラスに包まれた円錐形に整えられました・・・バトルオブブリテンの頃にはこの形の機体(H/P型)が大量に配備され、同じ双発のDo17や(やや配備が遅れた)Ju88と共に、「空軍力で敵本土を制圧する」という戦いに参加します。

 レーダーを整備し地上からの誘導システムを確立(しつつあった)イギリス本土上空への爆撃行で、He111は大きな損害を受けることになりました。耐久力(防弾性)が低く、防御用の火器も不十分、しかも爆弾搭載量が少ない(約2t程度)といった個々の問題が露呈しますが、一番の問題は双発であるためそれらの強化がままならない、という根本的に「双発爆撃機」が持つ限界が見えたと言うことでした。戦略爆撃機は4発以上のより大型の機体でないと無理だ、と言うことです。

 それでも執拗な空軍基地や航空生産施設に対する攻撃によって、一時英国側の迎撃体制は崩壊の寸前まで追いつめられました。ドイツ情報機関の楽観的な分析と見積りでは、英戦闘機軍団は崩壊したと聞かされているのに、それでも毎回迎撃に上がってくる英戦闘機を見て「英国最後の50機がやってきた」と独爆撃機搭乗員は冗談を言い合ったとか。しかし、実際その瀬戸際まで英軍は追いつめられていたのです・・・そしてその時期に、小さな、でも取り返しのつかないミスが起こり、それ対する連鎖反応によってバトルオブブリテンの趨勢(それはすなわちヨーロッパの第二次大戦の趨勢になるのですが)は転換します。

 1940年8月24日(独の総攻撃開始から約10日後)の夜、テムズ川河口の夜間爆撃に向かったHe111の編隊の内数機が航法を誤り、目標を通り過ぎてしまいました。仕方なく帰投するため爆弾を投棄(と言っても「投下」と結果は変わりません)したところ、そこがちょうどロンドン上空だったのです。被害そのものは決して大きなものではなかったようですが、首都爆撃に対する英空軍の反応は迅速で、翌日の夜にはベルリンに対して報復夜間爆撃が実施されました。

 当然のようにヒットラーはベルリン爆撃に激昂、(元を正せばHe111の爆撃が先だったのですが)英国を非難し、それまでの「英戦闘機軍団の壊滅」を目指し基地や工場を目標としていた攻撃を首都ロンドンに向けるよう指示を出しました。首都が爆撃されること自体は英国にとって耐え難いことでしたが、矢面に立たされていた戦闘機軍団は一息つくことが出来、基地の補修、パイロットの補充等が出来るようになり、結果的にはこの爆撃目標の変更が英国に勝利をもたらした、と言われています。

 バトルオブブリテン以降、英国(後には米国も)のドイツ国内への爆撃は恒常化し、やがて冷酷なまでに効率的になっていきます(この経緯については「ランカスター」の記事をどうぞ)。戦略爆撃を実行するための大型4発爆撃機を開発し多数運用出来たのは英国でした。一方のドイツは後継となる機体の開発に失敗します。失敗と言うよりも戦略爆撃というコンセプトが理解出来なかったフシさえうかがえます。戦術的な視点か持てなかったナチスドイツ(軍)を象徴するのが、このHe111(やBf109)という飛行機だとも言えそうです。
Posted at 2008/01/08 17:20:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-ドイツ | 趣味
2007年09月06日 イイね!

▽独最後の彗星 メッサーシュミットMe163「コメート」

▽独最後の彗星 メッサーシュミットMe163「コメート」 台風直撃の夜・・・なのに関係なく道楽プラモネタをUPするマイペースさに、我ながらあきれますが(笑)今回は有名な世界初(同時に唯一)の実用ロケット戦闘機だった、独空軍メッサーシュミットMe163「コメット(コメート)」がロールアウトしました。(厳密には先週末出来ていましたが)
ギャラリーはこちらをどうぞ

 この機体はヨーロッパ戦線で独軍の敗色が濃厚となった時期に、主に連合軍爆撃機の要撃のために実戦配備された機体です。新世代の戦闘機に相応しく(といっても真の新世代はこの機体ではなく、メッサーシュミットMe262というジェットエンジン機の方なのですが)主翼には当時ドイツで研究が進んでいた高速向きの「後退翼」を採用、また水平尾翼がなく、胴体と主翼をなだらかな曲面でつなげた部分などに、新しさが見られます。

 今回プラモデルを作って、初めて立体的に見てみたのですが、今までの平面図や側面図で見ていたのとはだいぶん違った印象を受けました。すなわち、合わせて2トン近い2つの液体燃料(濃縮過酸化水素と燃焼液)を納めるため、巨大なタンクをを収納した直径の大きな胴体が、立体的に見ると主翼となだらかにつながって、少し上から見ると、エイのような美しい形に見えます。今までは不格好だと思っていたのですが、今回認識を新たにしました。

 強力な推進力を比較的シンプルな機構で得られるロケットエンジンの性能はさすがに凄まじく、上昇力は12000mまで3分30秒(最速のレシプロ機でもゆうに10分以上かかります)、速度は960km/h。実戦で初めてMe163に遭遇した米軍はP-51をもってしても、その高速さに何も対応出来なかったようです。
 しかしその反面、一挙に燃料を燃焼させるロケットの特性上、推力を得られるのはたったの7分30秒間・・・その後はグライダーとして滑空しか出来ません。迎撃機としてはその時間の中で離陸上昇、敵機の捕捉、攻撃、待避を行う必要があり、コメットが活躍出来るのは、配備された飛行場の周辺に(非常に狭い範囲で)限られました。連合国軍としてはその飛行場を避けるだけで、強敵を回避出来たわけです。

 後に終戦直前、日本で試験飛行までこぎ着けた三菱の「秋水」はこのMe163の資料を基に開発されました・・・それについては、いずれ、また。
Posted at 2007/09/06 22:01:45 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-ドイツ | 趣味
2007年06月25日 イイね!

▽メッサーシュミットBf110

▽メッサーシュミットBf110 またもや定番有名機、独空軍のメッサーシュミットBf110がロールアウトしました。この機体は大戦の直前各国でブームのように開発された双発の戦闘機のうちの1機です。エンジンの出力が1000馬力あたりだった当時、より長距離(すなわちより多くの燃料を積め)、より高速、より強力な武装を実現するために開発されました。例えば日本の「屠龍」「月光」等も同じようなコンセプトで開発され、Bf110と同じような運命を迎えることになります。(ギャラリーもどうぞ)

 当時、単発戦闘機(Bf109)の航続距離はたったの700kmほど。敵地深く侵攻する爆撃機の援護には足が短すぎることは明白だったため、爆撃機に随行し敵の迎撃機を駆逐する「駆逐戦闘機」が必要とされ開発されたのがこのBf110です。独のポーランドやフランス侵攻等では相手側が古い機体だったため、充分に戦闘機として活躍出来ましたが、バトル・オブ・ブリテンでは高性能な英軍単発戦闘機、スピットファイアハリケーンに対しては惨敗を期すことになりました。

 そもそも機動性を第一義とする戦闘機に、重いエンジンを両翼に取り付けた双発機という形には無理があった、と今から見ると当たり前の結果なのですが、Bf110に対する独空軍の期待は高く(特にゲーリングのお気に入りだったとかで)エリートパイロットが集められたそうです。しかし結果は惨憺たるもの、一日で10機以上の被撃墜を被るに至っては、「Bf110をBf109で援護せよ」という冗談のような指令が出される始末・・・これをして、駄作機と呼ばれることも多い機体です。

 しかしながら、(独機ではよくある開発方法なのですが)派生開発された爆撃機型は、英国側を大いに悩ませる活躍をしました。胴体下部に500kg爆弾2発を搭載し、レーダーを逃れ超低空から高速で進入し、英国の航空機工場やレーダー施設を強襲する運用方法ではBf110の搭載能力、高速性、(一般の爆撃機から比べると)卓越した機動性、そして一日何回も攻撃を繰り返し行える整備性など、戦闘爆撃機としてはうってつけの機体でした。戦前からあった単発、双発の「軽爆撃機」というジャンルを独機としては最初に打ち破った機体です。

 また同時期に激化し始めた英軍の夜間爆撃を迎え撃つ夜間戦闘機としても活躍し、一説では大戦を通じて数千機もの撃墜を記録したとか。また後継機であるMe210の致命的な欠陥のため、一度は生産が終了かけた後に、エンジン出力を強化しつつ生産が復活し、結局終戦までレーダーを搭載した夜間戦闘機として活躍し続けました。

 実はBf110のことは駄作機と思っていたのですが(笑)いろいろ調べると戦闘機としては活躍出来ませんでしたが、戦闘爆撃機、夜間戦闘機など、多用途機としては卓越した機体だったことが分かりました・・・そう分かると前よりも格好も良く見えてしまいますな(笑)
Posted at 2007/06/25 23:30:39 | コメント(4) | トラックバック(0) | ◇プラモ-ドイツ | 日記

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