
またもや定番有名機、独空軍のメッサーシュミットBf110がロールアウトしました。この機体は大戦の直前各国でブームのように開発された双発の戦闘機のうちの1機です。エンジンの出力が1000馬力あたりだった当時、より長距離(すなわちより多くの燃料を積め)、より高速、より強力な武装を実現するために開発されました。例えば日本の「屠龍」「月光」等も同じようなコンセプトで開発され、Bf110と同じような運命を迎えることになります。(
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当時、単発戦闘機(
Bf109)の航続距離はたったの700kmほど。敵地深く侵攻する爆撃機の援護には足が短すぎることは明白だったため、爆撃機に随行し敵の迎撃機を駆逐する「駆逐戦闘機」が必要とされ開発されたのがこのBf110です。独のポーランドやフランス侵攻等では相手側が古い機体だったため、充分に戦闘機として活躍出来ましたが、バトル・オブ・ブリテンでは高性能な英軍単発戦闘機、
スピットファイアや
ハリケーンに対しては惨敗を期すことになりました。
そもそも機動性を第一義とする戦闘機に、重いエンジンを両翼に取り付けた双発機という形には無理があった、と今から見ると当たり前の結果なのですが、Bf110に対する独空軍の期待は高く(特にゲーリングのお気に入りだったとかで)エリートパイロットが集められたそうです。しかし結果は惨憺たるもの、一日で10機以上の被撃墜を被るに至っては、「Bf110をBf109で援護せよ」という冗談のような指令が出される始末・・・これをして、駄作機と呼ばれることも多い機体です。
しかしながら、(独機ではよくある開発方法なのですが)派生開発された爆撃機型は、英国側を大いに悩ませる活躍をしました。胴体下部に500kg爆弾2発を搭載し、レーダーを逃れ超低空から高速で進入し、英国の航空機工場やレーダー施設を強襲する運用方法ではBf110の搭載能力、高速性、(一般の爆撃機から比べると)卓越した機動性、そして一日何回も攻撃を繰り返し行える整備性など、戦闘爆撃機としてはうってつけの機体でした。戦前からあった単発、双発の「軽爆撃機」というジャンルを独機としては最初に打ち破った機体です。
また同時期に激化し始めた英軍の夜間爆撃を迎え撃つ夜間戦闘機としても活躍し、一説では大戦を通じて数千機もの撃墜を記録したとか。また後継機であるMe210の致命的な欠陥のため、一度は生産が終了かけた後に、エンジン出力を強化しつつ生産が復活し、結局終戦までレーダーを搭載した夜間戦闘機として活躍し続けました。
実はBf110のことは駄作機と思っていたのですが(笑)いろいろ調べると戦闘機としては活躍出来ませんでしたが、戦闘爆撃機、夜間戦闘機など、多用途機としては卓越した機体だったことが分かりました・・・そう分かると前よりも格好も良く見えてしまいますな(笑)
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◇プラモ-ドイツ | 日記
Posted at
2007/06/25 23:30:39