
潜水艦というのは(第二次大戦当時は「潜水も出来る船」でしたが)、その海域に一隻いる(かも知れない)というだけで、相手側には対潜哨戒や複雑な艦隊行動など、大きな負担を強いる事の出来る艦種でした。なんと言っても、水中の物体を探知する事の難しさが、潜水艦の存在意義です。(
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その特性を活かし、敵側の動きを偵察する任務に就くことも多かったのですが、そこで問題になったのが、小さな(=低い)艦橋からは遠くが見えない、という視程の短さでした。それを補うため潜水艦に飛行機を積む試みは、第一次大戦後から各国で試行されていましたが実戦に積極的に活用した例は日本だけでした。(独Uボートが
オートジャイロを搭載したこともありました。)
この零式小型水偵は、水上機王国日本海軍らしく、「零式三座水偵」「
零式小型水観」と同じ「零式」の名前を持っていますが、潜水艦搭載を前提とし、水密円筒収納庫に納まるように組み立て式の特殊な機体です。あまり詳しい資料がないのですが、初の単葉機のためか、低速(発艦、着水)時に揚力を発生させる、主翼後端全幅にわたる大きなフラップが特徴的です。また小型(360馬力)エンジンはフードに沢山コブがあるのがキュートですね。(このコブと双フロートから全体の印象は同じく水上機の独の
アラドAr196を思い出させます。)
また潜水艦側にも発艦用のカタパルトが装備され、浮上後最短15分で組立、発艦が出来たそうです・・・ただし着水後の収容は結構時間がかかったようで、波の大きな時には最悪機体は諦めパイロットのみを救出する事が決めてあったとか。発艦も海面に近い(低い)位置からになるので、カタパルトは角度が付けられていました。当時は3G以上では身体に悪影響があるとされ、このカタパルトでは加速度は2.5Gくらいに抑えられ、しかも一回幾らという危険手当も支給されたとか、海軍では40歳以上の人はカタパルト発艦はしないことになっていたとか・・・。
この機体が唯一(同時に史上唯一)名を残した作戦は、1942年9月9日(及び29日)、イ二五に搭載された一機が75kg焼夷爆弾2発で、米国本土オレゴン州の森林地帯を爆撃した、という作戦です。その直前に行われた米軍の首都東京爆撃への報復作戦ということのようでしたが、直接的な損害はごく軽微でした。ただし、その後自国沿岸の警備哨戒に労力を強いたという点で、潜水艦本来の任務を果たした、とも言えそうです。
参考文献
光人社NP文庫 「潜水艦入門 木俣滋郎著」
※この本は第二次大戦期の潜水艦を知るには名著です。ご興味のある方(は、いないでしょうけどw)にはオススメです。
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2009/09/13 21:46:02