
週末は三連休だったのに、微熱ですっかり引き篭もり・・・というわけで一気に作った日本海軍局地戦闘機川西「紫電」11型がロールアウトしました。(
ギャラリーもどうぞ)「
川西」というメーカー、あまり馴染みがないのですが、大戦前より
97式大艇などの飛行艇や水上機を多く手がけたメーカーで、後には世界でも最優秀と言われる
二式大艇を作り、戦後にも(社名は「新明和」と変わりましたが)優秀な
飛行艇を作ったメーカーです。
そんな水上機メーカーが作ったこの機体「紫電」は、実は元々水上戦闘機(というカテゴリーは日本海軍にしか存在しませんでしたが)である「
強風」を元に陸上機化したものです。日本海軍は、飛行場設営能力が低かった事もあり、勢力範囲をのばした後、飛行場が整備されるまで間を水上機によって防衛(時には攻撃も)を行う意図で水上戦闘機の開発を行いました。大きなフロートをぶら下げた水上機ですから、戦闘機としては大きなハンデを背負っていましたが、「強風」は出力の大きなエンジン(雷電と同じエンジン)を積み、回転トルクを打ち消す二重反転プロペラを採用したり、小回りが効くようにフラップを空戦時に使用するなどの新機軸を盛り込んだ意欲的な機体でした。
しかしながら、その新機軸も災いし制定化が遅れ、また制定されたとしても特殊な機体なので生産数も多くない事が予想される中、川西は陸上機(局地戦)化を海軍に提案し短期間で試作機を飛ばし、同時期、開発が難航していた(本来の)局地戦である「
雷電」を尻目に採用されました。
この機体、戦闘機としては異例の中翼(胴体の半ばから主翼が生えている形)です。これは母体となった「強風」が水上機だったため、海面と主翼の距離を取るために採用された形がそのまま残った結果です。そのため主脚も非常に長くなり(180cm以上)しかも主翼構造の変更を極力抑えるため、主脚は一旦縮めてから倒して収納するという、当時としては超難易度の高い構造になっています。後にこの主脚構造は多くの故障、事故を引き起こす原因となってしまいます。ずんぐりとした円断面の胴体も、紫電になって直径の小さなエンジン(陸軍の「疾風」と同じエンジン)に換装したにもかかわらず、基本的には「強風」を踏襲しました。
しかし「強風」で試行錯誤した空戦フラップは、機体にかかるG(荷重)を水銀柱によって感知し、それを元に自動的にフラップを出し入れするという画期的なものとなり、実際に試乗した海軍パイロットには「零戦に近い操縦性」という評価を得ることが出来ました。余談ながら、陸軍の「
疾風」にはこういった装置は付いていません。そもそもすでに格闘技的な空戦から一撃離脱的な空戦に時代は変化しているのに、ここに至っても「零戦の運動性」が呪いのように出てくるあたりが問題なのかも知れませんね。
大戦前に用意の整っていた零戦の後、全く新機種開発が停滞していた海軍にとって「紫電」は救世主として期待が一挙に高まりました。しかし「強風」を母体としたためのマイナスの構造・・・中翼に由来する長い主脚、太くて下方視界を妨げる胴体断面、などが明らかになると、川西はさらに新しい機体を開発することになります。一年足らずで次に登場するのが通称「紫電改」です。(この呼び名は戦後になってからの呼び名です。当時は「紫電21型」と呼ばれたそうです。)
紫電(と紫電改)はピンチヒッターが俄然注目を浴びる結果になった点で、開発が難航した「雷電」と対照的に「運の強い」機体というイメージがあります。しかし、見方を変えると、海軍が試作を命じ開発に深く関与した機体が難航し、メーカーの自主開発に近い機体が成功した、というようにも見えます。紫電を指して、飛行機開発における海軍の干渉過多の弊害の証明、というのは言い過ぎかも知れませんが、感慨の深いものがあります。
次回は 紫電21型・・・つまり「紫電改」の予定です(多分w)
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2007/02/14 22:52:22