
政治には興味がない・・・むしろあえて避けたいくらいなのですが、ここしばらくよく聞くフレーズ「美しい国、日本」という言葉。政治家が口にするたびに虚しく響き、聞くたびにいらだちを覚えます。
誰に言われるまでもなく日本は美しい。
見る目を持ってさえいればこれほど自明な事はないのに、何故政治の道具に持ち出すのか。
日本の美しさの根幹は、どこにでも美しく清らかな水が流れている、ということだと思います。透明な流れは時に濁ったとしても、すぐにまたその清らかさをとりもどします。「水に流す」ことや「禊ぎ」という概念は、そういった日本の水環境がもたらした日本人の特質だろうと。優柔不断、飽きやすい、すぐに許し、争いより妥協を好む・・・それらは全て、豊かで寛容な日本の水環境によって培われてきた日本の美徳(とあえて言いますが)です。私達は裏切りや、腹黒い嘘に「汚い!」とか「汚ねぇ!」と言います。それは本来透明できれいでなければいけない(そう期待している)水をすくった時に、それが汚れている、と知った時と同じような感情なのかも知れません。
しかし、これらの言葉を、手前味噌的になんと多くの道を外れた政治家が使ってきたことか・・・「汚れる(穢れる)」という言葉がありますが、まさに、彼らの方便によって美しい日本の心が、どれだけ穢がされてきたことか・・・。
「清明心」という言葉、これもまた水底まで見えるきれいな水のような心のことでしょうが、それが見えない人間たちが語る時「美しい国」という言葉がどれだけ虚しく響くのか。今の首相が特別腹黒い人間だとは感じませんが、その口から出る「美しい国」という言葉から私が連想する日本の自然や水がとりわけ美しいものなので、その落差の大きさゆえ、苛立ってしまいます。
そして一番重要なことは、それらの美しい水(とそれによって育まれたもの)は、日本の原始から、戦国乱世の時代も、戦争の時代も、封建制度の時も、挙国一致体制の時も、戦後民主主義もとでも・・・
そういうものに関係なく、滔々と美しく澄んで流れていました。
そういったものに
関係なく流れていたからこそ
価値がある
のです。
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Posted at
2007/07/06 01:00:09