
台風の週末、お出かけキャンセルになったので、ソ連機の第二弾として最優秀機の誉れも高い、Yak-3(愛称なし)がロールアウトいたしました。ややこしいソ連機の制定番号ですが、「Yak」という略号は「ヤコブレフ設計局」の略。「-3」は戦闘機の2番目の機体ということになります。(数字は奇数が戦闘機、偶数がその他の機体に割り振られるため、3でも戦闘機としては2番目になるようです)。(ギャラリーは
こちらをどうぞ)
バトルオブブリテンの敗北によって英国侵攻を諦めたヒットラーは、不可侵条約を破棄、返す刀で突然
ソ連に侵攻します。緒戦では怒濤の勢いで侵攻する独軍に対して、ソ連は
I-16など旧式機しか配備されておらず、また
独裁者スターリンによる軍部への
大粛正(端的に言うと大虐殺)の影響で、陸空軍ともまともに戦闘を行うことも出来ず、その年の冬になるまで敗退を続けました。そんな中、工場や研究所の疎開というハンデを背負いながら生産がすすめられたのが、このYak-3の前身である
Yak-1などの高速次世代機達です。(
Mig-3やLaGG-3等も同時に生産されていました。)
Yak-1は対独戦開始の年1941年から量産が始まり、多くの問題を抱えながらも独軍の足の止まった冬から翌年春にかけて大量に前線に配備され、発展型のYak-7が独ソ戦の天王山スターリングラード(ヴォルゴグラード)攻防戦時の主力機となりました。速度については独の
Bf-109(D,F型)に対抗出来ましたが、その他の部分では癖が強く一部では「殺人機」とも呼ばれていたほど。
それを改修した複座練習機型や、航続距離増大、高々度型から
Yak-7、
Yak-9という派生機種が現れました。それらの改修と平行して開発されたのが、ヤコブレフ設計局の戦闘機の集大成(同時にソ連機の集大成)となった、このYak-3です。(登場時期から見るとYak-
9の後なのに、何で数字が3に戻るのか不思議ですが、あくまでYak-1から次の正統な次期戦闘機として開発された経緯からこの番号になったようです。)
Yak-3は高速性、機動性どれをとっても独軍機BF-109F/GやFw-190Aを凌駕していたそうです。全幅はたったの9.2m、速度は650km/h、機体は木金混造(!)一部には帆布張りという、おおよそバランス感覚の狂った(笑)機体なのですが、ソ連戦闘機の一貫した高翼面荷重重視を体現した機体です。
Yak-3の登場はソ連の本格的な反撃がはじまったクルクス戦の頃から。その頃には独軍空軍はベテランパイロットが少なくなり、一部の名人と大部分のルーキーという形になっていたため、Yak-3の性能は遺憾なく発揮され、終戦時まで主力戦闘機として活躍しました。
※参考資料 「
ソビエト航空戦 飯山幸伸 光人社」
ソ連機については資料も少なく親近感もなく(笑)取りかかりが遅くなりましたが、上の貴重、かつ名著の文庫本に出会って俄然興味が湧きました。これからも少しづつ作って行きます・・・なんと言ってもどれも小さいので完成後の保管がしやすいですしね(笑)
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◇プラモ-その他国 | 日記
Posted at
2007/07/15 16:35:14