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2007年01月08日 イイね!

▽キ15 97式司令部偵察機

▽キ15 97式司令部偵察機年明けの連休、まったり進行でしたので早々にもう一機出来ました。こちらは日本陸軍のキ15三菱「97式司令部偵察機」です。(よろしければギャラリーもどうぞ)
 この機体は1936年に試作一号機が完成し、単発複座ながら、当時の単座戦闘機(96式艦戦97式戦)より優速の480km/hを記録しました。武装を廃し、長大な航続距離で敵地深く進入し偵察を行い、敵機が追いつけない速度で脱出するという、世界初の戦略偵察機というカテゴリーを確立した機体です。

 実際当時の軍には「司令部偵察機」という明確なコンセプトはなく、後日明確となった
・司令部偵察機 
・軍偵察機 
・直協偵察機 という
3つのカテゴリーの確立をこの機体が促したといっても良さそうですが、完成当初はその必要性を軍はあまり感じていなかったようです。そういった事情でしたから、試作機の優秀さが分かっても、陸軍としては積極的に制定する動きは鈍かったそうです。


 そんな状況を変えたのが、朝日新聞社による、1937年のイギリスの戴冠式に国産機で参加する、という欧州訪問飛行計画でした。一般から公募された名前「神風号」と名付けられたのは、このキ15の試作2号機で、日本からロンドンまでの約94時間(実飛行時間約51時間)という記録はそれまでの記録を大幅に塗り替えるものでした。(特に日本からヨーロッパに向かう場合は偏西風に妨げられ不利になるにもかかわらずの大記録です。)
 
 結局、神風号の大記録に後押しされる形でこの機体は「97式司令部偵察機」として制定されました。後にエンジンをより馬力のあるものに換装した2型(最大速度500km/h)に発展し、中国戦線のみならず、太平洋戦争開戦緒戦(直前)のアジア各地への隠密戦略偵察等に活躍しました。適当な偵察機を持たなかった海軍も(その必要性はあったため)キ15 2型を98式陸上偵察機として採用したことから、太平洋戦争前半までの日本を代表する偵察機、となりました。

 さて、これからしばらくは陸軍偵察機シリーズの予定です。98式直協偵察機はすでに作ってしまいましたので、次は99式軍偵察機の予定です。

 
Posted at 2007/01/08 16:39:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年10月03日 イイね!

▽立川キ36直協偵察機

▽立川キ36直協偵察機久しぶりに作りました。約3ヶ月ぶりですが、何故かプラモの箱は増えていっています。なので、少しは現状を打破しようと昨夜と今夜でサクッと・・・(マクロで撮ると、我ながら不出来具合にしばし呆然ですがw)。

このちょっと可愛い機体の名称「直協偵察機」とは聞き慣れない言葉ですが、これは、地上軍に直接協力し、戦術的な偵察や、連絡、砲兵の着弾観測等を行うための飛行機です。ちなみに日本陸軍には「司令部偵察機」という種類の機体もあり、こちらは戦略的な偵察、敵地の港の状況というような偵察を行う機体でした。100式司偵という有名かつ流麗な機体がありますが、このキ36はその逆で、速度や運動性能より荒れ地等での離着陸性能を重視した機体だったようです。常に近くを飛行する姿から、地上の兵士達にも身近な機体だったようです。(ギャラリーもどうぞ)

ある「四式戦疾風」の部隊長の手記に「直協機で出張に出かけ、空の旅を楽しんだ。」という記述もありますし、小さな爆弾を搭載出来、固定の機銃(7.7mm×2)も備えているので、偵察だけでなくオールマイティーな使い方が出来たことから1300機以上生産されました。(大戦後期には対潜哨戒機としても使用されたとのこと。)後にはこの機体を元にしたキ55高等練習機も1300機以上生産されたことからも、隠れた名機と言えるかと思います。
Posted at 2006/10/03 23:24:06 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年07月16日 イイね!

▽三菱96式艦上戦闘機

▽三菱96式艦上戦闘機基本的に「中島飛行機」とか「陸軍機」といった方向で作ってきた大戦機プラモシリーズですが、最近は行き当たりばったり(笑)、作りたくなったものから脈略なく作っています。

 今回の三菱96式艦上戦闘機は、国産戦闘機の2世代目にあたる機体です。(写真はギャラリーをどうぞ)速度の制限(空母に着陸するための着陸速度の制限)を一度度外視して「高速性」と「格闘機動性」を求められた試作競争で、中島、川崎を押さえて採用された機体です。本来搭載する飛行機が主役であるはずの空母なのに、飛行甲板の大きさや、最大速度などによって、飛行機の高性能化を妨げているとの認識から、当時の空母の制限を考慮せずに高性能機を求め、それに合わせて空母を改装しようという英断がなされました。(これを決断したのは山本五十六だったそうです。)

 この機体は主に中国戦線で、抜群の運動性能により前線パイロットに絶大な信頼を得たそうです。ただしその評価が高かったために後の海軍戦闘機には、「格闘性が高いこと」という要求基準が強く残り、速度と上昇率を重視する世界の趨勢とのギャップが大きく、結局零戦の後継機が実現出来なかったという負の影響を与えました。(もちろんこれは機体製作した三菱の認識ではなく、あくまで運用側である海軍側の認識の問題でしたが。)

 開放式のコックピット、固定脚というクラッシックな外観ながら、日本戦闘機の機動性の秘密「主翼のねじり下げ」や、機体表面の抵抗を減らす「沈頭鋲」の採用など、いくつもの技術的エポックをもたらした機体です。
Posted at 2006/07/16 21:53:32 | コメント(2) | トラックバック(1) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年07月08日 イイね!

▽中島艦上偵察機「彩雲」

▽中島艦上偵察機「彩雲」先日零戦を作った時に「一般的の人の感覚では、緑色のプロペラ戦闘機は全てゼロ戦」というご意見をぐりぐりさんから頂いたのですが、実に仰るとおりかも知れません。で、今回は緑色でも零戦とは明らかに違う形のものということで、マイナーな(笑)中島製の「彩雲」を作ってみました。(ギャラリーはこちら)

 厳密にはこちら「戦闘機」ではなく「偵察機」ですが、異様に細長い胴体が特徴的な機体です。600km/hを超える高速度と5000km(!)を超える長大な後続距離を誇る機体は、当時の日本海軍の基本的な戦術ドクトリンに則って開発されました。空母等の艦船の数的な優位にあった米海軍に対して、日本海軍は相手の空母搭載機の航続距離外から、一方的に攻撃を仕掛ける「アウトレンジ戦法」を旨としていました。そのため、戦闘機に守られた敵艦隊を長距離で見つけるため、敵機より速く、長大な航続距離が要求されました。
 艦上偵察機として開発は1942年に始まりましたが、艦上試験が遅れ、まずは陸上基地から運用が始まり、その後すぐに日本の機動部隊が壊滅的な状態になり、皮肉なことに結局一度も空母から実戦に参加することなく終戦を迎えました。

 今回のプラモデルは大戦後期、B29迎撃用に30mmの上向き機関砲を装備した夜間戦闘機型ですが、魚雷を搭載した型も検討されたようで、大戦末期の苦しい事情がかいま見られますね。

 日本軍機最速を誇った高速偵察機として、唯一その性能を発揮したエピソードとして、長躯米海軍の停泊地を偵察した際に、追撃する敵機を振り切って、「我に追いつく、グラマン無し」と電文を発信した、という有名な話が伝わっています。
Posted at 2006/07/08 23:52:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年05月14日 イイね!

▽一番優秀な戦闘機は?

▽一番優秀な戦闘機は?出会いはいつも突然・・・いえ、常に求めればこそ、出会いは訪れると。仕事の合間に立ち寄ったプラモ屋さんで、見慣れないアリイの零戦のキットを見つけ箱の中を見てみると、なんと、補助翼やラダーやフラップが別パーツ(大抵のキットは翼と一体)になっているではありませんか。ということで、今回は寄り道をして、三菱零式艦上戦闘機21型を作ってみました。(ギャラリーはこちら)
ま、一緒に52型も買ったのは内緒です。

 第二次大戦の日本軍機の中でダントツの認知と人気を誇る零戦。もしも太平洋戦争での最優秀戦闘機は?と聞かれたら(ああ、やっぱり誰も聞いてはくれませんがw)やはりこの機体を挙げざろう得ないかと。(ホントは「」や「疾風」と言いたいのですが)
 イギリスのスピットファイアほどの美しさ、洗練度はありませんが、性能という点では格闘性と速度バランス、長大(3000km!)な航続距離、20mm機関砲×2門という武装、いずれをとっても驚異的な戦闘機でした。もちろん、それらを実現するため、構造に余裕がない点や、防弾防御が考慮されていなかったという欠点は後に、性能向上を図る際に大きな足かせとなるのですが。

 開戦初頭の真珠湾攻撃、フィリピンに対する航空撃滅戦、いずれにおいても圧倒的な戦果を挙げました。それ以前から中国戦線の「フライングタイガース」のシェンノート少将から零戦の高性能さについての報告はあったのですが、米国では誰も本気にしなかったということもあり、衝撃は大きかったようです。すぐに米軍パイロットに対しては「ゼロとはまともに戦ってはいけない」という指令が出たほどです。

 東洋の小さな島国、国内に自動車産業もない国が、ある時、突然、世界に驚愕と畏怖を与えたのがこの機体です。戦果(と大戦後半の悲惨な戦闘)ばかりが語られる零戦ですが、それにいたる血の出るような技術開発もまた知るに値する物語です。

※どうでも良いですけど、パールハーバーを攻撃したのはこの「21型」です。某娯楽大作映画の中で飛んでいるグリーンの機体はもっと後の機体です。どうでも良いですけど、許せない間違い(あるいは許せない「無頓着さ」)ですね。
Posted at 2006/05/14 23:48:52 | コメント(3) | トラックバック(1) | ◇プラモ-日本 | 趣味

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