
そろそろ飽きてきましたし、コメントも少ないのですが(笑)、陸軍機シリーズの第三弾、三式戦「飛燕」がロールアウトいたしました。
一式戦「隼」、
二式単戦「鍾馗」は中島製ですが、この「飛燕」は川崎製です。ドイツのダイムラーベンツの液冷(水冷)エンジンを国内でライセンス生産したものを積んでいる点で、空冷(星形)エンジンの多い日本機の中では異色の機体です。(ドイツの
BF109と同じエンジンと言ってもいいものです。)
また、
こちらのギャラリーに隼、鍾馗と並べた写真もアップしましたが、見て頂くとわかるように、胴体全長よりも主翼全幅の方が長い、とても細長い翼が特徴的です。このような翼は揚力を生み出すのに効率的なため、グライダー等に採用されていますが、速度を重視する(ようになった)大戦機では珍しいタイプです。飛燕の試作機であるキ61の直前に試作されたキ60はもっと翼が短かかったのですが(キ60は採用されず)もう少し格闘戦に有利になるよう上昇力を強化するため、このような形になったとか。しかしながら、結果的には速度の低下は少なく、最高速度、格闘性、航続距離まで高水準にバランスのとれた機体になりました。
残念ながら、元々ダイムラーベンツのエンジンが技術の最先端を行っていて、日本国内の工業水準を超えていたため、制式後実戦部隊に配備されてからは、エンジントラブルに悩まされたようです。またエンジンの生産も間に合わず、一方機体は順調に生産されたため、エンジンが付かない機体が数百機も発生したりもしました。(後日、この「首無し」機体に、空冷エンジンを無理矢理取り付けたものが「
五式戦」として制定されました。予想外に高性能だったようですが、五式戦には愛称はなかったようです。)
この飛燕に限らず、日本機の共通した弱点はエンジンでした。設計自体はアメリカのものより、軽く、小さく、かつ高出力のもの・・・圧縮比を上げ、高回転にして高出力を得るというものでしたが、実際に生産し使用すると高温、高回転に耐える金属素材が出来なかったり、精度を要求される部品が生産出来ない(工作機械がないため、人力に頼り、かつ熟練工が不足したため)等の理由で極めて故障も多く、カタログスペックが出ないものが大半だったようです。
一番わかりやすいのがターボチャージャー。アメリカでは大戦前半から実用化されていましたが、日本では結局信頼性のあるものは実用化出来ませんでした。ターボの高温、高回転に耐える素材、加工が出来なかったためです。そのため空気の薄い高度8000メートル以上の高度でまともに戦闘の出来る飛行機は現れませんでした。(大戦末期の本土爆撃のB29は、こういう高度で飛行していました。)
同じエンジンを積み、時にBF109のコピーとも言われる事のある飛燕ですが、開発時期、翼の形状等をみても、全くのオリジナルな機体であったと言えます。子供心にスマートで格好良く、よくBF109とスピットファイア、P-51ムスタング並べて絵を描いた記憶がありますw。
Posted at 2006/02/25 22:43:13 | |
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