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2006年03月25日 イイね!

▽五式戦 「(愛称なし)」

▽五式戦 「(愛称なし)」予定外ですが、五式戦がロールアウトしました(写真はギャラリーをどうぞ)。予定外だったのは、この機体のプラモがファインモールド製しかなく、それが非常に高価だったのでいったん断念したためです。ですが、某ショップが期末の売り出し、全品20%オフ、さらに会員になると500円バック、というキャンペーンがあり、定価1800円のものがなんと800円以下で手にはいると(笑)

 この機体は液冷エンジンを積んだ川崎製の三式戦「飛燕」を空冷エンジンに換装したものです。「飛燕」のブログにも書きましたが、「飛燕」のエンジンは(ダイムラーベンツのエンジンを国産化したものでしたが)故障が多く、その改善と出力アップを目論んで、ブースト圧アップ等を行った新しいエンジンが開発されました。そのエンジンを積むため機体にも改修が施され量産がはじまったものの、新しいエンジンも不具合が多く、その改善に追われ生産が進みませんでした。結果、機体を作っていた川崎の岐阜の各務ヶ原工場付近の国道バイパスに、2km以上にわたって「首無し機体」が並ぶという事態に至りました。
 苦肉の策として空冷エンジンを(無理矢理)取り付けることとなり、いくつかの幸運も重なり完成し、「五式戦」(残念ながら愛称はありません。)として制定されたのがこの機体です。ですからエンジン部分以外は胴体も主翼も三式戦「飛燕」そのものです。

 元々正面面積の小さい液冷エンジンに合わせ、幅の狭い縦長の角断面の胴体に、正面面積の大きな(しかも丸い)エンジンを付けるためエンジン直後に大きなフィレット(元々は胴体と主翼の取り付け部をなだらかな曲面にするための板)が取り付けられました。

 性能的にはやはり最高速度は5%ほど低下したものの、その他は「飛燕」に遜色なく、むしろ運動性能(格闘性能)等は改善されたと言われ、エンジントラブルが減り、稼働率が高まったことで大戦末期には頼りになる機体という評価が高まったそうです。

これで、97式戦一式戦「隼」二式単戦「鍾馗」三式戦「飛燕」四式戦「疾風」、そしてこの五式戦で太平洋戦争に関わった、日本陸軍戦闘機は全て揃いました。お疲れ様でした~(笑)

PS.この後は、日本陸軍機の好敵手達を作ろうと目論んでいる模様です。米陸軍航空隊・・P38、P39、P40、P47、P51・・・と(笑)

Posted at 2006/03/26 00:31:23 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年03月10日 イイね!

▽九七式戦闘機

▽九七式戦闘機性懲りもなくさらにプラモ+大戦機ネタを・・・(ギャラリーはこちら
今回の機体はさかのぼって、九七式戦闘機(中島)です。これは手に入れるのにちょっと手間がかかりました。1~4式戦は全てハセガワの現行ラインナップだったのですが、九七戦はすでに絶版(数年前まではあったようですが)。会社近くにある、知る人ぞ知る某プラモ店の膨大な在庫の中から1時間近くかけてやっと手に入れました。
 写真のバックの箱、微妙に手前の本体と違うのがお分かりかと思いますが、これ箱と中身が違っていたんですね(笑)。他のメーカーの物は2機入りで5000円とか、1機入りで4500円とか私には手の出ない値段で、諦めて雰囲気の似た物でも買って帰ろうと手に取ったら・・・中は九七戦!しかも600円也! 神はおられるのだと確信いたしました(笑)

 この九七戦は(社内実験機を除き)初めての単葉、金属方持ち翼という(脚は固定式ですが)当時の最先端の機体でした。ノモンハン事変でのロシア空軍との戦闘では、水平面での旋回格闘戦で抜群の強さを発揮。結果的に陸軍パイロット達に「格闘戦性能至上主義」を根付かせたという機体です。それにより後継機種一式戦「隼」の制定が遅れ、対米開戦時にはこのクラッシックな九七戦が陸軍の主力だったのはちょっと意外な事実です。

 大戦に関連した陸軍の機体はあと、五式戦(三式戦「飛燕」に空冷エンジンを取り付けたもの)のみですが一箱7500~10000円!という物しか見つかりません・・・さすがに私のお小遣いでは買えませんし、下手くそな私が作ってはいけない稀少品ですので、これでいったんシリーズ終了です。(ネタ的にはまだUPしそうですが)

次は何を作ろうかなぁ~。
Posted at 2006/03/10 00:54:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年03月05日 イイね!

▽四式戦 疾風(はやて)

▽四式戦 疾風(はやて)巷で不評なプラモシリーズ(笑)本日は中島製四式戦「疾風(はやて)」がロールアウトいたしました。(ギャラリーはこちら)
 この機体は言ってみれば一式戦「隼」の後継機種にあたる機体です(二式単戦「鍾馗」は迎撃機でしたし、三式戦「飛燕」は川崎製でしたので)。大戦後期から実戦に投入されたこの機体は、航続距離、格闘性能、速度、武装等、高水準でバランスのとれた機体で、戦後の米軍によるテストの結果「日本軍機で最も高性能な戦闘機」との評価を受けたというエピソードが残っています。
 大戦後半、日本機の共通した弱点であったエンジンさえ好調なら、大戦中最優秀機であった米国のP-51「ムスタング」と同等、やや有利であったとの報告もあったようです。

この機体のエンジン、故障が多く、カタログスペックを出せない事も多く、稼働率を下げた要因になったのですが、同時代の米国をはじめとする世界中の空冷エンジンの中で、パワーウエイトレシオ、排気量あたりの出力、直径の小ささ、軽さ、等で最も優秀なエンジンでした。その設計を実現する工業水準に日本が達していなかった、という事が最大の問題だった、ということです。

戦後、そういった基礎的な工業力を飛躍的に高めた事で、日本製品が世界水準になったのですが、この「疾風」のエピソードが示すのは、戦中にすでに先端工業製品である飛行機という分野での「アイディア」や「設計」は世界水準(を少し超えたレベル)に達していたと言うことでしょう。

戦後日本の工業生産は「外国の物まね」から始まったと言われますが、大戦中からの連続した流れを見ると、技術が先ではなく、発想が先にあったのだ、ということをこの機体は、語っています。
Posted at 2006/03/05 00:41:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年02月25日 イイね!

▽三式戦 飛燕

▽三式戦 飛燕そろそろ飽きてきましたし、コメントも少ないのですが(笑)、陸軍機シリーズの第三弾、三式戦「飛燕」がロールアウトいたしました。
 一式戦「隼」二式単戦「鍾馗」は中島製ですが、この「飛燕」は川崎製です。ドイツのダイムラーベンツの液冷(水冷)エンジンを国内でライセンス生産したものを積んでいる点で、空冷(星形)エンジンの多い日本機の中では異色の機体です。(ドイツのBF109と同じエンジンと言ってもいいものです。)
 また、こちらのギャラリーに隼、鍾馗と並べた写真もアップしましたが、見て頂くとわかるように、胴体全長よりも主翼全幅の方が長い、とても細長い翼が特徴的です。このような翼は揚力を生み出すのに効率的なため、グライダー等に採用されていますが、速度を重視する(ようになった)大戦機では珍しいタイプです。飛燕の試作機であるキ61の直前に試作されたキ60はもっと翼が短かかったのですが(キ60は採用されず)もう少し格闘戦に有利になるよう上昇力を強化するため、このような形になったとか。しかしながら、結果的には速度の低下は少なく、最高速度、格闘性、航続距離まで高水準にバランスのとれた機体になりました。
 残念ながら、元々ダイムラーベンツのエンジンが技術の最先端を行っていて、日本国内の工業水準を超えていたため、制式後実戦部隊に配備されてからは、エンジントラブルに悩まされたようです。またエンジンの生産も間に合わず、一方機体は順調に生産されたため、エンジンが付かない機体が数百機も発生したりもしました。(後日、この「首無し」機体に、空冷エンジンを無理矢理取り付けたものが「五式戦」として制定されました。予想外に高性能だったようですが、五式戦には愛称はなかったようです。)
 この飛燕に限らず、日本機の共通した弱点はエンジンでした。設計自体はアメリカのものより、軽く、小さく、かつ高出力のもの・・・圧縮比を上げ、高回転にして高出力を得るというものでしたが、実際に生産し使用すると高温、高回転に耐える金属素材が出来なかったり、精度を要求される部品が生産出来ない(工作機械がないため、人力に頼り、かつ熟練工が不足したため)等の理由で極めて故障も多く、カタログスペックが出ないものが大半だったようです。
 一番わかりやすいのがターボチャージャー。アメリカでは大戦前半から実用化されていましたが、日本では結局信頼性のあるものは実用化出来ませんでした。ターボの高温、高回転に耐える素材、加工が出来なかったためです。そのため空気の薄い高度8000メートル以上の高度でまともに戦闘の出来る飛行機は現れませんでした。(大戦末期の本土爆撃のB29は、こういう高度で飛行していました。)
 同じエンジンを積み、時にBF109のコピーとも言われる事のある飛燕ですが、開発時期、翼の形状等をみても、全くのオリジナルな機体であったと言えます。子供心にスマートで格好良く、よくBF109とスピットファイア、P-51ムスタング並べて絵を描いた記憶がありますw。
Posted at 2006/02/25 22:43:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2006年02月22日 イイね!

▽二式単戦 鍾馗

▽二式単戦 鍾馗先週末の一式戦「隼」に続いて、二式単戦「鍾馗」が完成しました(笑)。隼の一年後に制定されたこの機体は、隼の後継ではなく、全く違う方向で開発された機体です。海軍の場合は「艦上戦闘機」「局地戦闘機」とはっきり名前も(試作の記号も)分かれていますが、陸軍機は単純に試作番号もキ43(隼)→キ44(鍾馗)となっています。(試作番号の「キ」は機体ののキです。ちなみにエンジンの試作番号は「ハ」が付きます。発動機のハですw)ただし、同じ年に双発複座の戦闘機も制定されたため、鍾馗のみ二式戦(皇歴2602年に制定された闘機)と、「単」が余分についています。(ここら辺、マニアックな話ですなw)
 隼と並べるとよくわかりますが、この機体は「頭でっかち」で「短い翼」が特徴的です。隼が長航続距離、格闘戦での小回り、を求められたのに対し、鍾馗はスピードに重点をおかれて開発されました。そのため高馬力のエンジンを積み、空気抵抗が大きい主翼の面積を切りつめる設計となりました。残念な事に当時は小型で高出力エンジンが開発されていなかった為、爆撃機用の大型エンジンを積んだため、主翼の小ささとのバランスから、非常に頭でっかちになってしまったようです。ま、この形も、日本機離れしていて面白いと思いますが。(何枚か「隼」とともに写真をUPしました。ご興味があれば、こちらをどうぞ。)
 鍾馗はその速度を利用した、一撃離脱戦を目指した機体です。第一次大戦以来、戦闘機の戦いは水平面での旋回をしつつ相手の後ろを取る格闘戦が重視されていましたが、速度の向上に伴い戦術に変化が起こりました。(早く大戦に突入したヨーロッパでその変化は起きています。)日本に輸入されたメッサーシュミットBF109によって、その変化を実感したした事で鍾馗の制定(また、試作機だった隼の採用)とその後の三式戦「飛燕」四式戦「疾風」の開発の方向が決まったようです。(海軍にはこのようなドラスティックな発想の転換がなく、結果的に零戦の後継機種は現れませんでした。)BF109と一緒に来日したドイツ軍のヨーロッパ戦エースは、鍾馗に試乗した後「この戦闘機を日本のパイロット全員が乗りこなせたなら、世界一の空軍になるだろう」と言ったというエピソードがあるそうです。
 実際、鍾馗は着陸速度も速く、戦術の違いを認識していないパイロットには乗りこなせない機体だったようです。南方戦線では航続距離の短さ(といっても、日本の隼、零戦が世界的に見ても突出したアシの長さだったからですが)からあまり活躍も出来なかったようです。ただし大戦末期、日本本土の米爆撃機(B29)に対する迎撃戦には海軍の同様な性格の「雷電」と共に活躍しました。この機体は航空戦の変化に対応し、要撃機という分野での日本での先駆けになった機体でした。

 成り行き上(笑)、この後、四式戦「疾風」はすでに入手済み。一応私がスバルオーナー→中島飛行機の機体と言うことで、三式戦「飛燕」(川崎)はどうするか思案中ですw
Posted at 2006/02/22 22:47:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味

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