
パソコンを仲介役として私達は日常的にデジタルなデータを扱うようになってきました。今では仕事でパソコンを使うのが当たり前ですが、10年ほど前(当時パソコンに詳しいということで)パソコンをどう導入するかを検討する委員会で「パソコンでデジタルデータを扱って仕事をすることの本質は、コピー&ペーストだ」と発言して、特に高齢の会社上層部に顰蹙をかいました(笑)
その時オヤジ共が感じたのは、他人の成果物をコピーし仕事を始める、ということへの嫌悪感だったのだろうと思うのですが(そして、それは誠実な反応だとも思うのですが)、コピーによって劣化しない事がデジタルデータであるなら、それを利用しない手はありません。
小さな事では「一度描いた形は2度描かずコピー&ペースト」する、とか今では普通にやっていることもありますし、人の書いたコンセプトシートをそのまま流用し、それにプラスアルファを付け加えて完成する、とかもあります。要するに今ある資産(一度書いた図形であり、社内の誰かがまとめたコンセプト)は利用出来るだけ利用する(利用出来る)のがデジタルデータを扱う意味なのです。
またそういうことをしないと、今の(また今後の)ビジネススピードとクオリティーには対応出来ない、というのが「コピー&ペーストから始める」ことの本当の意味だったのですが、当時は全く理解されませんでした。1/4世紀前の自分が若かった頃の徹夜仕事と、今の若い人が4時間の残業で作り上げる成果物のクオリティーは全く違う次元だということに気が付かなかった人達が、ワードって?エクセルって?とその後は右往左往・・・。そんなの若い人が書いた(書式や数式)をコピーして始めりゃいいじゃんって、内心意地悪に見ていましたが(笑)
と愚痴じみた話はこれくらいにして、デジタルデータの可能性についてはひとつ楽しみなことがあります。いまここで書いているこの記事もデジタルデータなのですが、その本質的な特性は(何度も書いていますが)劣化しないこと。つまり、ある日私がいなくなっても、ネット上にいつまでも(サーバーが壊れるとか、誰かが削除しない限り)新鮮なまま残っていくということです。
文章はともかく、現代の人々が撮ったデジカメ画像も残ると考えると、例えば今から300年後ぐらいに歴史という学問は相当変化するのではないかと思います。2008年の300年前、
1708年のことを今知ろうとするのは困難ですが、2308年に2008年の事を知るのは比較にならないほどたやすい事になるのではないかと。1708年のことを調べることが
研究であったなら、2008年のことを調べるのは
検索と呼ぶようになるのかも知れません。
ちなみに、私が、
古い建物を見かけるといても立ってもいられなくなってデジカメで撮るのは、そういう期待があるからです。(いえ、ただのノスタルジーですw)
Posted at 2008/10/14 23:54:28 | |
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