
インターネットの本質は、即時性と平等性です。
と、いうことに気が付いたのは、もう16年以上前だったのですが、最近それを思い出すことがあったので、改めてLogっておこうかと・・・。
即時性と平等性というのは、インターネットがもたらした情報発信の変化、をなるべく簡便に言ってみたのですが・・・
即時性ということ・・・例えば、私がこのブログを書いて、「投稿する」ボタンをポチッと押せば、ほぼ即座に世界(といっても、実質的には日本語という言語の壁に囲まれたやや小さな世界)に発信されます。誰かがチェックしたり、差し止めたり、あるいは督促したり、といった手順はありません。物理的に活字を組んだり、印刷したり、輸送したり、配達する手間もありません。
平等性ということ・・・そうやって即時に発信された情報は(一部の国や地域を除いて)、誰でも見ることが出来ます。その情報源が個人であれ、国の公式機関であれ、それに接するのにかかる手間は変わりません。個人的な経験で言うと、インターネットに初めて接し始めたころ、ホワイトハウスのサイトを見た次の瞬間に、自分のホームページを見て、戦慄したことを思い出します。どちらも平等に、コンテンツの容量に比例するだけ時間が掛かるだけで、そこには何の違いもヒエラルキーもないのです。
今では、インターネットでのコミュニケーションはすっかり日常的になっています。個人がSNSでつぶやいたり発信したりするのは当たり前のことになっています。即時的で平等な発信の機会は誰にでもある、という時代なのです。
また、そういったネットでの(継続的な)コミュニケーションは、賞賛と共感が基調になります(正しくは、それがベースでなければ、そのコミュニケーションの場は継続できません)。誰かの発信に対して、「イイネ!」と思ったらコメントし、「NG」だと思ったら無視(場合によっては黙殺)する、というのが基本的なルールなのは周知のことでしょう。あるいは、ネットで比較的頻繁に「神」が現れるのも、賞賛と共感がベースになっているからでしょう。
「出典はどこだ?」とか「匿名の書き込みじゃないか」という反応は、ネットをまったく理解していない人たちにしか出来ない所業でしょう。ネットというか、現代社会を理解していない、という事かも知れません。
出典が不確かでも、匿名の情報でも、共感できる内容であれば多くの人々の支持を得ることが出来る、という感覚も一般的になっていると思います。しかも、その「多くの」というのが、あっという間に数千、数万人規模になる、というのもわかってないんでしょうね。一人のつぶやきが話題になっているというのは、その時点で大量の支持(あるいは賞賛)がある、ということと同義なのに、です。
別に国会議員先生方にリテラシーを求めるつもりはないのです。ただ、「匿名の声」が、個々の名前の見えない普通の国民たちの声である可能性も想像できない人間に、国会議員が務まるのか?と疑問を持つだけです。
ああ、そういう先生が、選挙で「皆様の声を国政に生かします」なんて演説してたら、出来の悪い冗談過ぎて悪笑い(悪酔い的な笑い)しそうで、胃がもたれました。
Posted at 2016/03/17 00:19:21 | |
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