
日米が開戦した12月8日。空母を発進した海軍航空機による
真珠湾攻撃はあまりに有名ですが、その陰に隠れるように
特殊潜行艇による攻撃も行われました。先日(アメリカの)ディスカバリーチャンネルで、攻撃を受ける真珠湾の写真に写った謎の物体がこの潜行艇ではないかという検証番組があり、その中で日米の戦争で
最初の一発を撃ったのは(写真のとは別の)潜行艇を撃沈した
米駆逐艦ウォード号だった、と結んでいました。
でも、その前日12月7日に、マレーに上陸する陸軍部隊を輸送する艦艇の上空護衛の戦闘機が、偶然通りがかった米哨戒機を有無も言わさず撃墜しています。これが日米間の最初の一発、だったのではないかと思います。
で、米軍機を撃墜したのは陸軍の
97式戦闘機・・・あれ、有名な「隼」じゃなかったの?
ということで長い前置きの末(笑)ご紹介するのが今回の機体、日本陸軍の精鋭、キ43戦闘機中島「隼1型」です。(ちなみに主力となった2型については
以前の記事をご参照下さいませ。)
決定的な航空力の強さを見せつけた海軍とは裏腹に、陸軍は航空兵力の近代化が遅れていました。広大な太平洋を舞台とする海軍は航空機の航続距離が最重要課題だったため、零戦への機種変換がほぼ完了していたのですが、一方戦術空軍的な陸軍戦闘機は格闘戦性能が至上とされ、従来の97式戦闘機がまだ主力でした。
「隼」はそのため開発から2年ほどほぼ放置されていたそうです。開戦時にはたった40機ほどしか配備されていなかったそうですが、今回の機体は1941年夏に中国の漢口飛行場に配備されていた機体です。1型はまだプロペラが2枚、迷彩塗装もなくジュラルミンの肌そのままに派手な稲妻マーキングが描かれています。(
ギャラリーもどうぞ)
第一次大戦では戦闘機はむしろその存在を誇示することで、敵軍の攻撃意欲をくじく、という考えがありました。この隼1型を見ているとそんな大らかな時代の雰囲気が少し残っているような気がします。すでに泥沼にはまっていた日中戦争ですが、この美しく精悍な金属の光沢をもつ最新式の戦闘機に対する日本軍兵士の期待はさぞ大きかった事でしょう。
Posted at 2008/12/08 22:17:31 | |
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