進化論的には「進化≠進歩」であると書いたことがあります。進化というのは「生物はその置かれた環境に、より適合したものが生き残る確率が高く、結果子孫が増える」ということで、進化そのものに何らかの方向性があるものではありません。
例えば、光りのない洞窟で生活するようになった生物は、その先祖達が何万年もかかって築き上げた精緻な目、という器官を比較的短期間のうちに失ってしまう、ということもあります。それを「退化」と呼ぶこともありますが、「退化」は「進化」と対になる概念ではなく、進化に完全に含まれる一つのパターンに過ぎません。たまたま「光りがない」という条件(淘汰圧と言います)が、他のものよりずっと大きかった、というだけです。
車、というものについて考えると、かつて車を作る時に最も大きな条件になったのは「走る、曲がる、停まる+安全」という車本来の機能の追求でした。その条件(淘汰圧)が「良い車は売れる(利益が出る)」ということと同義であった時代だったと言えます。この時は一般的な進化論に反し、進化=進歩という構図が成り立っていました。
しかし今は違います。「お客様至上主義」という淘汰圧が、車の開発にゆがみをもたらしているような気がしてなりません・・・「少しでも長く回生ブレーキを使って燃費を良くする」「低速時には小さな舵角で沢山曲がると便利」というような「お客様の声」を至上とした開発がまかり通っています。
それは「現在の状況=お客様の声に合致した車を作る。そしてそれが売れ、その車が生き残る」という極めて進化論的な論法ではあります。しかしそれは同時に、精緻さを増して来た機能(例えば生物の「目」など)でも、不要であれば捨ててしまう、という事も起こりうる状況でもあります。
車作りのプロフェッショナルは、「進歩」の方向性をまず第一義とし、それを阻害しない範囲で「お客様の声」という淘汰圧をバランスを持って受け入れるべきです。全てを「お客様の要望ですから」と言ってしまう状況にはプロフェッショナルの存在理由はありません。
私は、命を預ける車については、「お客様至上主義」が水戸黄門の印籠のように全てに優先した車には乗りたくありません。それは極めて進化論的ですが、進化論のもう一つの側面を忘れる事は出来ません・・・曰く「動物は普通生き残れる以上の子供を生む」ということ。つまり、中には死ぬ子供もいるということです・・・そしてそれには実在する人間が乗り込んでいる、という事を忘れてはいけない、と思います。
この記事は、
LSのVGRSについて書いています。
Posted at 2010/05/24 00:10:45 | |
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