
昨日の大地震と津波による被害が少しずつ明らかになるにつれ言葉を失います。
その時は都内の職場から打ち合わせに出かける直前、生涯で一番大きな揺れに、それでもデジカメで動画を撮影しました。揺れが治まるとこみ上げる怖さ。直後に妻とはメールで無事の確認をとれたので一安心。しばらくは余震のたびにビルから出たり、入ったり、ネットで情報を探し首都圏の交通網が止まっているのが良く分かったのが17時頃。
会社から見える国道4号線(昭和通り)ではその時間も徒歩で北に移動する帰宅者で溢れていました。自宅まで34kmあるし、会社のビルは停電もなくコンビニで少しの食料も確保したので、その時点で徒歩帰宅は考慮せず、電車運行の再開を待つことに。
その後余震にビクビクしながら、時々外を見ると激しい渋滞、上空はヘリコプターが飛び交い、緊急車両のサイレンが途切れません・・・この騒然とした雰囲気は地下鉄サリン事件の時以来でした。
JRがその日の運行を取りやめると発表したのは比較的早い時間でした。帰宅を諦め、動き始めた地下鉄、私鉄で帰宅を試みる同僚を送り出しながら、ネットで配信されてたTBSをずっと見ていました・・・多少は仕事もしましたけど集中出来ませんでした。
深夜まで渋滞は続いていましたが、自分のデスクで仮眠したのが3時過ぎ。途中一度だけ余震に目を開けましたが(慣れとは恐ろしいもので、震度3くらいでは驚かなくなっていました)今朝は6時過ぎに目覚め、ネットの情報でJRの運行開始が7時なのを確認。
上野駅まで歩いて運行を待ちましたが、8時過ぎても「運行再開未定」というアナウンスばかり。情報を入手出来ても、発信する側が情報のメンテを怠っては意味はありませんよね。結局上野駅周辺を散歩しつつ、ホームの見える上野公園側から実際に電車を見ながら待機しました・・・素晴らしき情報化社会。
京浜東北線が動き出したので駅に入り、停車中の「行き先未定、発車時刻未定」の電車で座って待ちます。結果的には隣のホームから一番列車が出発することが分かり、すでに満員状態のそれに乗ります。発車は9:45頃、余震対策とかで時速は25kmくらい。一駅目で線路内公衆立ち入りとかでまた15分ほど停車。その後も踏切のたびに一時停車などしつつ、結局自宅最寄り駅に到着したのは12時頃・・・所要時間は普段35分ですが今日は2時間以上かかりました。
被害の激しかった地方に比べれば天国のようなものですが、それなりに大変な帰宅難民を初めて経験しました。
上の写真は今朝のいつもの通勤路・・・電車の音のしない高架線路を、暖かくて力のある朝日が照らしていました。
いつも通り・・・日常的であるというのは、やはりありがたい事なのだ、とふと思った瞬間でした。
被災された方々にはお見舞い申し上げるとともに、速やかに救助と復旧が進むことをお祈りします。
Posted at 2011/03/13 00:21:04 | |
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□Someday,Somewhere | 日記