
今から15年以上前、中禅寺湖から桐生方面へ抜けたとき、忘れられない風景を見ました。赤茶けた岩肌が露出した山々、驚いて地図を見て、地名を確認して分かりました。「ああ、ここが足尾なんだ」と。
多分中学校あたりに習った方も多いかと思いますが、足尾といえばかつて明治時代に「
足尾鉱毒事件」として知られた場所。江戸時代に銅が発見され、明治の富国強兵政策と共に産出量を増やした足尾銅山、その精錬工程で(副産物として出る)有害物質(亜硫酸?)によって、足尾を流れる渡良瀬川の流域に農漁業被害が広がったという公害です。それと同時に精錬場付近の山々は全ての木が枯れ、現在でも回復していません。そんな足尾を久しぶりに探求してきました。(写真は
ギャラリーをどうぞ)
埼玉の我が家からは、通い慣れた東北道→日光道路を経ていろは坂の手前で左折、峠(といっても長いトンネル)を越えると山間の足尾の町に入ります。(ルートマップは
こちら。)町に入ってすぐ、気になる看板でいったん停車。「
古河掛水倶楽部」という洋館に寄ってみました。ここは、足尾銅山の会社である旧古河鉱業の迎賓館として100年前に建てられた施設。現在でも古河機械金属の保養所として使用されているとのこと。建物は外観は洋館ですが、内部は和風の座敷なども有り、全体として別荘風の作りとても見事な建物。構内には、幹部社員用の社宅(鉱石の展示)や「銅山電話ミニ資料館」等もあり、入場料300円ではおつりの来るぐらい楽しめました。
次は本日のメイン、
足尾銅山観光。入坑料800円を払ってトロッコに乗り込み、いよいよ坑内へと突入。その瞬間、一気に冷たい空気が!予想通り坑内は気温14℃くらい、湿気が多くいたるところから水が滴っています。トロッコを降りて後は坑道を歩きながら見学。江戸、明治、昭和の採掘模様をマネキン人形で再現してあったり、小さな資料館で銅山の仕組みや精錬の方法など簡単に解説してあります。見学は約30~40分、涼しい坑内は夏にはいいですね。
さて、一応銅山についてちょっと分かったので、この後は、実物の精錬所を見に行きます。(ここからの写真は
こちら)銅山観光から少し日光方面に戻り、北に山間を登っていくと左手に道路とは川を挟んだ対岸に精錬所はありました。巨大です。巨大な廃墟です。昭和48年に閉山されたそうですから、すでに30年以上雨風にさらされた工場群は異様な迫力があります。工場だけではなく、当時の従業員の住宅などの廃墟も点在していて、レトロというよりもう少し鬼気迫る風景が展開します。
また、精錬所が近づくにつれ周囲の山から木がなくなり、岩肌を滝状に水が流れ落ちるような風景となっていきます。精錬所を過ぎさらに山間を登ると周囲の山は高山地帯の様相、つまり高木がなく、低木と草+岩肌という様相を呈しています。
道路の終点には巨大な砂防ダムがあり、小さな資料館(今回はパス)もありました。砂防ダムの上流は、(ダムによって大量の土砂がせき止められた結果なのか)ちょっとした高原のような風景が広がっていました。ここで、ちょっと川を見てみましたが非常にきれいな水が流れていました。バーベキューに最良の河原ですね(笑)
日本の近代史、自然の破壊・・・その結果現れた(一見自然豊かに見える)高原。今回はいろいろ感じることの多い旅になりました。
PS 夕食は帰り道にたまたま寄った焼き肉屋さんでした。
写真はありませんが、格好いい店でしたよ。
この日の走行距離 約260km
出会ったOB 3台(ランカは4台)
もののけ姫の「
たたら場」の周りの木のない山の風景はここで見ることが出来た。
Posted at 2005/07/31 16:45:29 | |
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□近場で発見の旅 | クルマ