
昨日も書きましたが、当時の日産社長か副社長の(曖昧)お気に入りでしたよね、バイオレット(画像)。
1973(昭和48)年の登場でした。
栄光のコードナンバー「710」でしたよね。
510・610(ブルU)に次ぐモノでしたが、510ブル・ブルUが全車4独だったのに対し、
710バイオレットはSSSのみで、他モデルはリジッドという810ブルにつながるモノで、2代目はリジッドになったんじゃなかったかな(曖昧)。
このシャシーで、82年にはシルビア・ガゼールの2HTに、あのFJ20を載せますよね。
81年にの3代目では、あのT11型となり、「リベルタ」のサブネームが付きます。
でも、販売が芳しくなく、真っ先に消されました。
2代目FRで兄弟車だったオースター・スタンザが残ることに(涙)。
そして、パルサーのモデルチェンジを機に、格下のレンジで「リベルタビラ」というFFセダンとなります(不思議と「SSS」が復活している)。
日産は、バイオレットをどうしたかったんだろう。
そんな思いで、四川の壁へのイラストを描きました(しみじみ~)。
コレの経緯、販売店を考えるとびたってくるのかな ・・・
バイオレットは本家・日産店、スタンザ・シルビアはサニー店、オースター・パルサーはチェリー店、ガゼールはモーター店です。
カリーナの成功を横目で見て(笑)、出したのかなぁ、バイオレット。
コロナとカローラの間をうまく埋め、セリカなんて兄弟車も生み出した。
ブルとサニーの間を埋めていこうと思ったのかなと。
まだ、販売店の文化があった頃です。
一個上の先輩が、中古の緑(まさにイラストの)の710を買って、助手席に乗せてもらった記憶があります。
「フェンダーミラー見てて」と言って、走行中にくぃ~んって動くミラーに驚いた思い出があります ・・・ 電動ミラーが出始めた頃でしたね(遠い目)。
あのちょうちんブルマみたいなケツ、個性的と言えばそれなんですが ・・・ 懐かしいデザインでした(当時の日産の極みでしたね)。
最後は、1500クラスのFFセダン、しかもパルサーの兄弟車。
確かにブルの下にはなるけど ・・・ なんか違ったなぁ~。
ブログ一覧 |
旧車ネタ | クルマ
Posted at
2021/10/07 06:27:47