
プリメーラですね(画像)。
「パッケージ」で売った、おそらく最初のクルマじゃなかったかなぁ(曖昧ぃ~)。
FFセダンとしてよくできてました(シミジミ)、デビューは32のすぐ後ぐらいだった気がします(曖昧ぃ~)。
日産本家主導でしたよね(よく知らない ・・・ 汗)。
コレが80年代の日産本家FFだったら、名車ブルーバードはFF化されていたろうか?
あ、若い人ね。
パルサー(というかチェリー)は、日産分家(笑)プリンス企画のFF車だからね(くどいかな)。
前にもブログってますが(汗&笑)、
例のバイオレット(リベルタ)・オースターJX・スタンザFXの、日産本家FF世界戦略車のことです。
トヨタがロジャームーア卿コロナでFFも出した頃ですよね(遠い目)。
80年代はFF化の時代でもありましたが、
この5ナンバー小型車クラスを猫も杓子もFFにして良かったのかというのが私論です。
「DATSUN」の名前まで捨てた(涙)、FFブル(名車910は最後のダットサンブルーバード)。
トヨタは「足のイイ奴」(カリーナ)をFRで残しておけば、
アルテッツァに過度の期待をすることもなく、
FRセリカ復活の夢を見ることもなく、
現行86のような苦労もせずに、コンパクトFRをセダンでもクーペでも展開でき、
若者のクルマ離れに嘆くこともなかった気がします(私論です)。
同じように、日産もブルはFR、FFはプリメーラだったら、棲み分けもできて、
「ベストカー」の暇ネタ(出るか出ないのか変わらない日産コンパクトFR)にされることもなかった。
トヨタは1987(昭和62)年までハチロクで、
日産はシルビアで2002(平成14)年までFRを引っ張りましたね、このタラレバ噺、明日も(汗)
Posted at 2017/04/12 05:56:44 | |
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