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C28JA60TAKAのブログ一覧

2007年07月25日 イイね!

「 SKYLINE GT-R BNR32 」

「 SKYLINE GT-R BNR32 」
スカイライン GT-R BNR32
1989年(平成元年)日産自動車

 昭和から平成に変わる激動の1989年に8代目スカイラインは登場した。R以外の系列としては最後の5ナンバースカイライン。ボディタイプはR31型まで存在した4ドアセダン、およびステーションワゴンが姿を消し、ピラードハードトップ構造の4ドアスポーツセダンと2ドアクーペの2本立てとなった。

 R32型では、16 年ぶりにGT-Rが復活、内に秘めたポテンシャルではフェラーリを上回ると絶賛された。R32型GT-Rは、2568ccの直列6気筒4バルブDOHC エンジンに2基のセラミックス製ツインターボ(RB26DETT型)を搭載、FRをベースとしつつも、高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システム(アテーサE-TS)を搭載する4輪駆動車とされた。軽量化のためアルミ製のボンネットとフロントフェンダーを採用するなど、全てが走りに振られた本格的スポーツカーとして、日本国内のみならず海外の自動車レースを席巻した。グループAホモロゲーションモデルとして、タービンをセラミック製から耐久性の高いメタル製へ、フロントバンパーをダクト付き(通称ニスモダクト)等の変更を加えた「GT-R NISMO」も限定発売された。

 GT-Rの復活ばかりが注目され陰に隠れる形になってしまった標準モデルだが、自動車評論家やレーサーからは最もバランスの取れたモデルとして歴代のスカイラインの中できわめて評価が高い。しかし、先代と比べてかなり狭くなった後席のためにファミリーユースを失い、販売台数は落ち込んでしまう。警察庁からは警ら用パトカーとしての採用を見送られてしまった。

 1992年にオーテックジャパンより、4ドアスポーツセダンGTS-4をベースに、GT-R用RB26DETT型をNA化し、鍛造ピストンや高回転カムシャフトを採用するRB26DE型(220ps/6800rpm、25.0kgm/5200rpm)と4速ATを組合わせた「オーテックバージョン」が発売された。その他、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンをRB26DETT型のパーツを流用しDOHC化。NAながら 280psを発揮させるRB30DE型を独自開発し、オーテックと同じくGT-Rではなく2ドアスポーツクーペGTS-tの車体に搭載しコンプリートカーとして市販した。

 後期型のCMでは、女優をCMキャラクターとして起用し、モデル初期は羽田美智子、モデル末期は田中広子が「I LOVE YOU SKYLINE」と囁いていたのが印象的であった。社内での開発コードはRXで、当初、メーカーの広報車の一部には、「RX」のロゴとストライプを組み合わせたデカールが貼られていたという。また、そのストライプデカールはオプション設定されてた。

Posted at 2007/07/25 07:35:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月24日 イイね!

「 SKYLINE SPORT COUPE GTS-R HR31 」

「 SKYLINE SPORT COUPE GTS-R HR31 」
スカイライン スポーツクーペ GTS-R HR31
1987年(昭和62年)日産自動車

 1985年8月 R31型発売。スカイラインは7代目となり「セブンス・スカイライン」という愛称で呼ばれた。当時のハイソカーブームに便乗し、発売当初はスカイライン初の4ドアハードトップモデルと4ドアセダンしか設定が無く、「史上最強のスカイライン」と宣伝された先代と比較され、「牙を抜かれた狼」「史上最悪(最低)のスカイライン」などと揶揄されたこともあり、スカイラインファンからは不評であった為、翌年にはスポーツモデル(2ドアスポーツクーペ)を追加するに至った。メカニズム面では、ケンメリGT-Rに搭載されていたS20型エンジン以来の直列6気筒4バルブDOHCエンジンで、2ヵ月後にZ31型フェアレディZに搭載された180ps(発売当初はグロス値表記で210ps)を発生するRB20DET型を搭載し、4輪独立操舵システムであるHICASを搭載したモデルである。

 1987年8月 マイナーチェンジ。4ドアのフロント周りの造形を2ドアスポーツクーペと共通するデザインへ変更する等、外観に手が入る。CMでは「We Motor Sports.」のコピーで、峠道を疾走するシーンや当時のグループAのマシンを登場させ、走行機能を前面に出すCMに変更。曲もバッハの「トッカータとフーガ」のアップテンポ編曲版に変更する。マイナーチェンジと同時に、当時のグループAのホモロゲーションモデルとして「2ドアスポーツクーペGTS-R」を 800台限定で設定。オートスポイラーを固定化し、大型スポイラーを装備、さらにターボタービンの変更等のチューニングを施し210ps(ネット値)を発生させる。1987年11月のインターTECにてデビューし、全日本ツーリングカー選手権をはじめ国内レースを席巻、以降に復活するR32型GT-Rの布石を築いた。

 余談ではあるがこのGTS-R、800台限定と言われながら400台を日本唯一のR31専門チューニングショップであるR31HOUSEが面倒を見ている。そのため同店店長である柴田達寛氏は「半分はありえない、もしかしたら800台以上あるんちゃうかな?」とコメントしている。

 1988年5月 日産の子会社であるオーテックジャパンが独自にエンジンや足回りをチューニングし、GTS-Rと同じ210(ネット値)psを発揮する限定車「GTSオーテックバージョン」が登場(限定200台)。注文数が大きく上回り、発売日には抽選で販売した。

 また、コンプリートカーメーカーのトミーカイラがオーストラリア向け車両に搭載されていた3000ccSOHCのRB30E型エンジンを搭載し、コンプリートカートミーカイラM30として市販した。これは、日本初の公認チューニングカーとしてトミーカイラが世に出した最初のモデルでもある。このM30は2007年2月時点での日本での現存が8台(R31HOUSE調べ)という超稀少車種となっている。また同じくコンプリートカーとしてM20も存在した。こちらも生産台数30数台という稀少車種である。

Posted at 2007/07/24 07:28:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月23日 イイね!

「 SKYLINE HT2000 RS DR30 」

「 SKYLINE HT2000 RS DR30 」
スカイラインHT2000 RS DR30
1981年(昭和56年)日産自動車

 1981年8月、6代目スカイラインR30型が発売された。CMにアメリカの俳優ポール・ニューマンを起用したため「ニューマン・スカイライン」と呼ばれた。グレード体系はC210型同様の直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TIシリーズ」の2系列だが、ホイールベースは1種類となった。ボディバリエーションは、4ドアセダン・2ドアハードトップ・5ドアハッチバック・後に追加されるライトバン(エステート)の4種。ハッチバックはスカイライン史上初である。現在は常識となっているテンパータイヤは、このR30型ハッチバックが日本初採用であり、スペアタイヤに空気圧減圧警告灯なども装備されていた。

 1981年10月、待望のツインカムエンジン、直列4気筒4バルブDOHC FJ20E型エンジン(150ps/6000rpm、18.5kgm/4800rpm)を搭載する「2000RS(DR30型)」が追加された。GT-Rの再来と期待されたが、FJ20E型が直列4気筒であるがためにGT-Rを名乗らなかったともいわれている。排気量1990cc、パワー&トルクは150馬力、18.5kgmを発生した。83年にはターボチャージャーを追加した、FJ20ET型(190ps/6400rpm)を搭載した「2000ターボRS(DR30JFT型)」を追加。歴代スカイラインのどれよりも高出力であったことから「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーが用いられる。また、日産は、このモデルにてハコスカ以来となるワークスとしてレースに復帰。

 刑事ドラマ西部警察の劇用車として、2ドアハードトップが旧モデルに引続き使われていた。最初に2000RS=1台(マシンRS、ターボ車追加後RS-3に名称変更)が登場し、後に2000ターボRS=2台(RS-1.RS-2)が追加された。

 1983年8月 マイナーチェンジにより後期型へ。前後の意匠変更、大型バンパーの採用等を行う。RSの後期型は薄型ヘッドランプ、ラジエーターグリルレスのデザインによりフロントマスクが仮面を被ったようなフェイスリフトを受けたため、その姿から「鉄仮面」との愛称で親しまれた。

 1984年2月 インタークーラー搭載モデルである「2000ターボインタークーラーRS/RS-X(DR30JFS/DR30XFS)」を追加。このモデルは「ターボC」と呼ばれる、RS -XターボCでは、前述のハイタッチモケット仕様の内装が選択可能となった。インタークーラー付きFJ20ET型エンジンはグロス表示ながら 205ps/6400rpm、25.0kgm/4400rpmを発生させ、未だに根強いファンを持つ。

Posted at 2007/07/23 07:39:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月21日 イイね!

「 SKYLINE HT2000 TURBO GT HGC211 」

「 SKYLINE HT2000 TURBO GT HGC211 」

スカイラインHT2000 TURBO GT HGC211
1980年(昭和55年)日産自動車


 1977年8 月「ジャパン」の名前で親しまれた5代目スカイラインが登場。発売当初は自動車排出ガス規制の影響を受け、DOHCもターボも設定する事が出来ず、「牙を抜かれたGT」と揶揄され、ライバルのトヨタ・セリカのCMでも「名ばかりのGT達は、道をあける。」と皮肉られる始末であった。

 グレード体系は直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TI(ツーリング・インターナショナル)シリーズ」の2系列となった。GTとTIとではラジエーターグリルおよびテールランプの意匠が異なる。サーフィンラインはエッジのあるブリスター形状となり、リアトレッド拡大に寄与している。GTバッヂは3種類となり、GTおよびGT-E・Lが青バッヂ、GT-E・Xが金バッヂ、GT-E・Sが赤バッヂとされた。メインキャッチコピーのほかにも、サブキャッチコピーもあり、サブキャッチコピーには「Mr&Ms(みすたー・あんど・みず)」が使われた。

 1978年8月エンジンの一部変更が施され、53年排気ガス規制に適合、車両型式が211型となった。1979年11月 2000GT-Eに特別仕様車「スーパーGT」を設定。セダンはミケロッティマグネシウムホイール(クロモドラ製)、ハードトップはカンパニョーロホイールを装備した。1980年3月 2000GT-E・Sおよび2000GT-E・Xに特別仕様車「ゴールデンカー」を設定。専用のゴールド塗装のほか、E・Sはパワーサンルーフ、カンパニョーロマグネシウムホイールを装備し、E・Xはミケロッティマグネシウムホイール、ミシュランタイヤを装備した。

 1980年4月 待望のターボエンジンを搭載したモデルを追加。パワー&トルクは145ps/5600rpm、21.0kgm/3200rpmを搾り出した。発売当時の価格は165.8万円。「セドリック/グロリア」、「ブルーバード」に次ぐ日産において3車種目のターボ車であり、日産初のターボとATを組合わせた車種である。ハイパワーなスポーツモデルを望んでいたスカイラインファンには嬉しいモデルだった。CMではセリカの「名ばかりのGT達は、道をあける。」のコピーに対抗して「今、スカイラインを追うものは誰か」というコピーが用いられた。

 1980年代、先代モデルのケンメリと同じく暴走族の改造車としても人気を得ていた。ケンメリ同様、ワンテール化やライト、グリルの移植が流行していた。2ドアハードトップ・2000GTターボが、刑事ドラマ西部警察の劇用車として使われていた。当時、ターボエンジンを搭載したモデルのフロントバンパーに鏡文字になった「TURBO」のエンブレムが広告等で話題となり、「写真が反転していないか」との問い合わせもあった。

Posted at 2007/07/21 08:22:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ
2007年07月20日 イイね!

「 SKYLINE HT2000GT-R KPGC110 」

「 SKYLINE HT2000GT-R KPGC110 」
スカイラインHT2000GT-R KPGC110
1973年(昭和48年)日産自動車

 1972年9月、スカイラインはC110型にモデルチェンジした。ボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアハードトップ、およびワゴン/バンを有し、セダン/ハードトップは4気筒エンジン車、6気筒エンジン車でフロントノーズの長さ(当然ホイールベースも)が異なっていた。サーフィンラインは折り目のあるシャープなデザインに発展した。2ドアハードトップは太いCピラーを特徴とし、エンジンはG15 型をボアアップした直列4気筒OHC1600cc・G16型、先代より継続されたOHC1800cc・G18型、およびL20型の3機種を搭載した。4ドアGTおよび2ドアハードトップ全グレードのテールライトが丸型4灯となった。この丸型4灯テールライトは以後スカイラインのアイデンティティの一つとして、10代目のR34まで受け継がれていくことになる。

 CM、ケン&メリーから「ケンメリ」の愛称で呼ばれたが、4ドアセダンはヨンメリ(4ドアのケンメリ)とも呼ばれている。この代は警察庁で警らパトロールカーとして導入された。エンジンはGT系と同じL20だが、装備の質は落とされており、専用モデルとなっている(警らパトカー仕様はR31まで設定された)。C110型は海外(右ハンドル圏)にも「ダットサン240K」の名で輸出された。

 1973年1 月 「ハードトップ2000GT-R(KPGC110型)」を追加。先代同様S20型エンジン(1989cc 160ps/7000rpm、18.0kgm/5600rpm)を搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。しかし、公害問題やオイルショックなどにより、「ケンメリGT-R」は排気ガス規制の波を乗り切ることができず、わずか4ヶ月でその姿を消した。その間、僅か197台が生産されたと言われ、うち195台が市販されただけで生産が終了された。レースに出場することもなかったが、生産台数が極端に少ないがゆえに幻のGT-Rとして有名で、旧車市場において非常に高額で売買されている。GT-Rは後のR32型の登場まで復活しなかった。

 バズが歌うCMソング『ケンとメリー~愛と風のように~』がヒットチャート1位になり、CMの撮影が行われた北海道美瑛町のポプラの木は今なお「ケンとメリーの木」として観光名所である。当時このCMにケン役で出ていたのはマイケル富岡であるとの誤解が一部にあるが、マイケル富岡が出演していたのは5代目のC210型のCMである。1980年代、手頃な価格とあいまって若者を中心に人気があったこのモデルは、姉妹車のローレルとともに暴走族の改造車(族車)の定番になり、テールライトの中心寄り2つをパテ埋めする「ワンテール仕様」や、ウインカーやグリルをローレルのものに交換する、テールライトをチェリーのものに交換するなどといった、当時の日産車同士のパーツの互換性を活かした多彩な改造が流行した。

Posted at 2007/07/20 07:44:40 | コメント(4) | トラックバック(0) | FAIRLADY & SKYLINE | クルマ

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