11月2日の土曜日。須坂市での難聴の治療の帰路、ご報告済ですが上田市と青木村を訪れました。紅葉の深まった菅平を越えて上田市に入り、大変素敵なクラシック家具のお店に寄り、青木村の桃太郎でランチにしました。
途中、上田電鉄別所線の千曲川を跨ぐ赤い鉄橋が落ちた現場を通り、何とも切なく、胸を締め付けられる思いがしました。少しでも足しになればと思い、休み明けの4日、会社が入居するビル1階の銀行で、3000円を振り込みました。
閑話休題。
そもそも先週、上田市に行こうと決めたのは、こちらを見学するためでした。
上田市のほぼ中心部に、こんなレトロな映画館が存在します。
勿論、今も現役。この日も上映中でした。
ところが…
「あさくさ雷門ホール」のネオン看板が、嫌でも目に入ります。
ここは信州の上田市、浅草六区ではないのに…?
正解は、上部の横文字看板。
「UEDA MOVIE THEATER」。
そう「上田映劇」が正しい名称です。
左にはストリップ劇場「ファンタジー座」のテントが。
上田映劇は、1917年(大正6年)に劇場として開館、昭和の初期には映画館に改装され、芝居と映画を並行して上演したそうです。しかし2011年、シネコンの進出で客足が遠のき、定期上映を終了せざるを得なくなります。その後は不定期で演劇やコンサートの会場として使用される形で運営されました。
2016年には上田市の有志が立ち上がり「上田映劇再起動準備委員会」が発足、定期上映の復活を各方面に働き掛けます。そして開館100周年を迎えた2017年(平成29年)4月15日、実に6年ぶりに定期上映が再開され、現在に至ります。
これら「あさくさ雷門ホール」と「ファンタジー座」の表示は、映画の撮影を目的に、上田映劇に装飾を施されたものを、記念として今も遺してあります。休館中の2014年(平成26年)に公開された映画『青天の霹靂』がそれで、原作と監督は劇団ひとりさん。2013年(平成25年)8月にロケが行われ、旧き良き時代の浅草六区の映画館として登場しました。
寄席に使用されたことを今に伝える、出演する芸人の木製の名札です。落語と講談は黒文字、それら以外の漫才、腹話術、物まねなどは赤い文字です。
所謂「色もの」という日本語の表現の起源はこれで、寄席では落語と講談以外は格下とされていた時代の名残です。今では落語も漫才も同格視する方が殆どだと思いますが、寄席が大衆芸能の中核だった時代、芸人の間で歴然と差別が存在したのでした。芸人に巡業はつきもの。その日の糧を求めて舞台に立ち、千秋楽が来れば次なる興業地への旅。着いた先でも名札や舞台脇の「捲り」には赤い文字…。当時、赤文字で扱われた芸人の方々は、さぞかし悔しく辛い思いをされたことでしょう。
「切符売り場」です。
表示は新しいものですが、敢えて「入場券」という単語を使わない心意気を粋に感じました。
窓口と狭い甲板の木枠の色と、周囲のグリーンとの対比がイイ!
上映中のプログラム紹介と時間割です。
…ナ、ナ、ナント、今ボクが見たい映画の筆頭、「ブルーノート・レコード ジャズを越えて」が上映中!
ブルーノートとは、モダンジャズを創造し続けたと言っても過言ではない、アメリカのマイナーなレコード会社。初期の例外を除き、一貫して黒人ミュージシャンの作品を紹介し続けましたが、そのプロデューサーはナチスの迫害を逃れて渡米したユダヤ系ドイツ人、アルフレッド・ライオンでした。
ボクは大のブルーノート・マニア。
さすがに1枚数万円から数十万円もするオリジナル盤は一枚も持っていませんが、今もコツコツ蒐集を楽しんでいます。
この映画館でブルーノートの映画を見るとは、これ以上の贅沢はありません。が、上映時間から考えると、帰宅がかなり遅くなってしまいます。
この重厚な扉を開けようか、本当に散々悩みました。
最後まで後ろ髪を引かれながら、泣く泣く諦めました…。
今度訪れる時は、上演プログラムと時間割を事前に確認しようと誓いました。
その瞬間、閃きました。
「ニューシネマ・パラダイス」をこちらで見てみたい、と…。
ゼッタイの「嵌まり」デス!!
上田映劇
長野県上田市中央2丁目12番30号
0268-22-0269
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旧き良き建築 | 日記
Posted at
2019/11/09 08:46:23