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2021年12月11日 イイね!

ティン・パン・アレー / アップル・ノッカー

ティン・パン・アレー / アップル・ノッカー パソコンを買い替えてから、ネットの音楽や歴史的な動画を見ることが多くなりました。
 ボクは1960年生まれの61歳。中高時代は東北の田舎町でした。ロックやジャズ、ジャパニーズ・ポップスにのめり込みましたが、何しろ「情報」がない時代。最も手軽な情報源はラジオと音楽雑誌。毎晩のように音楽番組を聴いては、書店で音楽雑誌を「立ち読み」していました。毎晩欠かさず聴いていたのは、ニッポン放送で22時からオン・エアされていた「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」。当時2本持っていたソニー製の赤いC-60のカセットテープ。1本目のサイドA、B、2本目のサイドA、Bの順に録音。5日目には最初のサイドAに上書き録音ました。つまり、録音した番組を聴けたのは4日間だけ。当時の小遣いでは、LPなんて1年に1枚か2枚しか買えませんでした。

 12月決算の会社に勤めており、今週は次年度の年間販売計画の作成に忙殺されました。そんな昨日、帰宅してバーボンを飲みながらYou Tubeを見ていたら、「トンデモナイ」動画に遭遇しました。何と、ジャパニーズ・ポップスの草分けと呼ぶに相応しい、ティン・パン・アレー!You Tubeのコメント欄によると、1975年の新宿厚生年金会館でのライブの模様。



 この、清楚な女子大生風の方、どなただと思います?
 …ナントナント、あの吉田美奈子さん!
 今ではすっかり黒人風の風貌と歌い方で知られていますが、この映像ではそよ風を彷彿させる美声。それがグルーヴ感溢れる演奏に載り、都会的でお洒落な楽曲…。

 他のメンバーは、細野晴臣(Ba) 鈴木茂(Gt) 林立夫(Dr) 佐藤博(Key) ジョン山崎(key) 浜口茂外也(Per,Fl) 小坂忠(Vo)。当時のポップス界の重鎮ばかり。まさにオールスターズ!



 ステージ上に凝ったセットはなく、演奏に特化した空間。
 小坂忠さんと吉田美奈子さんが、当時のアメリカの音楽テレビ番組「ソウル・トレイン」で流れていたようなダンスを披露します。この演奏と映像に、彼らがやっていた音楽は10年は早かったとの思いがしました。
 
 それにしても、「本物」は決して色褪せないと実感しました。

 ティン・パン・アレーの動画はこちらです。



Posted at 2021/12/11 10:10:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ
2020年11月23日 イイね!

もとまろ 「サルビアの花」

もとまろ 「サルビアの花」 昨日22日の日曜日。
 三連休の中日。一昨日訪れた篠ノ井線の廃線の記事を書き終えてから、少しだけレコードの整理をしました。すると、LPの間からポロンと、一枚のドーナッツ盤が零れるように出て来ました。



 ボクは、ドーナッツ盤を殆ど所有しておりませんが、大学入学後、生まれて初めて蒲田駅で下車。東口にあった有名な中古レコード店で購入しました。

 1972年(昭和47年)4月のリリース。
 
 小学6年生の10月16日。
 亡き親父の転勤で上野駅から特急「ひばり」に乗り、東北地方の某駅で片道切符を駅員さんに渡しました。以後、結果的に高校を出るまで無為な日々を過ごすこととなり、この年は我が人生最初の大きなターニング・ポイントとなりました。

 当時、TBSのテレビ番組「ヤング720」(1966.10.3~1971.4.3)に「フォークグループ勝ちぬき歌合戦」とのコーナーがあり、所謂素人が出演、バトル形式で毎週勝者を決めるものだったようです。

 1971年秋。
 当時、青山学院高等部に在籍していた女子高生のユニット「もとまろ」が出演します。海野圭子さん、山田真珠美さん、織間千佳子さんの三人。詳しい経緯は不明ですが、番組のスタッフが彼女たちの存在に気づき、出演を要請したとの説が有力なようです。

 「もとまろ」はあれよあれよと勝ち抜き、4週目が終わります。
 ところがこの時、大変なことが起きていました。
 何と、彼女たちのオリジナルは4曲しかなく、全て歌ってしまったのでした。まさか次週も4曲中のいずれかを歌う訳には行きません。
 この時、フォークソングに詳しい山田さんが「サルビアの花」を歌おうと提案したのでした。

 
   いつもいつも思ってたサルビアの花を
   あなたの部屋の中に投げ入れたくて
   そうして君のベッドにサルビアの紅い花敷きつめて
   ぼくは君を死ぬまで抱きしめていようと

   なのになのにどうして他の人のところへ
   ぼくの愛の方がすてきなのに
   泣きながら君のあとを追いかけて花吹雪舞う道を
   教会の鐘の音はなんて嘘っぱちなのさ

   扉を開けて出てきた君は偽りの花嫁
   頬をこわばらせぼくをチラッと見た
   泣きながら君のあとを追いかけて花吹雪舞う道を
   転げながら転げながら走り続けたのさ


 伝説のロックバンド、ジャックスのリーダーだった早川義夫さんが作曲、作詞は彼の高校同級生、相沢靖子さんで、彼のソロアルバムに入れた曲でした。
 上の歌詞をお読み戴くと、振られた「情けない男」がストーカーまがいの行為に走る内容とお分かり戴けると思います。一方、早川さんは「男女の営み」をシンボライズしたものと語ったと伝えられています。

 ほぼ同じ頃。
 ヤマハが主催しプロへの登竜門となった「ポプコン」の前身、「第3回作曲コンクール」に「サルビアの花」がエントリーされ、オフコースが歌い入賞を果たします。そんな背景も手伝ってか、もとまろがTBSで歌ったバージョンが、ニッポン放送の「コッキーポップ」でオン・エアされました。すると毎週、大量のリクエストが寄せられる事態となりました。

 1972年。
 この曲はスタジオでレコーディングされ、彼女たちが青山学院大学と短期大学に入学した4月に発売されました。和製ポップスとしては大変な売れ方だったとか。また、彼女たちのレコードでこの曲は広く知られるところとなり、その後多くのカバーが生まれました。

 なのになのにどうして…。
 
 彼女たちはプロになる気持ちはさらさらなく、このシングル一枚だけが「もとまろ」の作品となったのでした。

 以下、某サイトからの引用です。

 もともとプロになる気のなかった「もとまろ」のメンバーたち。その後マスコミに顔を出さないまま大学や短大に進学し、「もとまろ」は解散した。

 ただ、彼女たちには心配事が残りました。曲を勝手に使われた早川さんが怒っている、とうわさで聞いていたのです。「お会いしておわびしなければ」。そんな気持ちを引きずったまま、30年が過ぎました。

 結婚して松本姓となった海野圭子さんは現在(当時)、長野県にある玉村豊男さんのワイナリー「ヴィラデスト」で働いています。

 東京・渋谷のライブハウスで2003年12月、松本さんはようやく、早川さんがピアノを弾きながら歌う「サルビアの花」を聞く機会を得ました。「頭をガーンと殴られたような衝撃を受けました。女子高生がうたうような曲ではなかった」

 演奏後に配られたアンケートで素性を明かし、おわびを書きました。ほどなく早川さんから手紙が届きました。曲を世の中に広めてくれて、むしろ感謝していました、という旨でした。

 


 閑話休題。

 ボクがこの曲の存在を知ったのは、高校入学直後でした。
 当時、民放のFMは東京、愛知、大阪、福岡にしかなく、当時ボクが暮らしていた県にはFMはNHKだけ。そんな時代でしたが、毎週土曜日の15時から18時は、各地方局が独自に編成した番組を放送していました。その中に聴取者からのリクエストで選曲・放送するコーナーがあり、初めて聴いたのでした。
 アルペジオで始まるスローな女声コーラス。
 情けない男が主人公の歌詞を、何処かエキゾチック、繊細なガラス細工のような三人の女声が歌う…。そのギャップが魅力に思えました。

 

 

…今だから言えますが、実はボク、浪人が終わった時「情けない男」になりました。
 

 

 辛い高校時代でしたが、それでも男女5、6人ほどでグループ交際していたことがありました。その中のある女性に恋心を抱きました。独りの男として何も言い出せぬまま浪人が決定、晴れて大学生になった暁には、真正面から告白しようと決め、必死に勉強しました。
 
 
 合格直後。
 彼女に電話をし、会って告白しました。既に女子大2年生。
 
 
 …一転、それまでの笑顔が消え、暫く間を置いてから、俯いたまま珠を転がすような声で、こう言いました。


「●●クン(=ボク)のことは好きだし、とってもいい人と思うわ。でも、ごめんなさい。…私、…将来を誓った方がいるの…」

 
 …やっと合格したばかりなのに、暫く立ち直れませんでした。
 この時、思いました。
 
『「サルビアの花」は、ボクのための曲に違いない…!』

 と…。

(今となっては大爆笑!)



 そんな想いを胸に秘め、蒲田の中古レコード店の大量の在庫を必死に漁り、やっと発掘したのがこれです。



 キャニオンの製品なのに、何故か東芝の袋に入っていました(笑)。
 
 …還暦オヤジの「淡い青春の想い出」のレコードです。

 

 


 老若男女を問わず、

「しょーがねーヤツだなー…!」

と、笑って戴ければ幸いです!

 


 お後が宜しいようで…(笑)。








Posted at 2020/11/23 10:50:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ
2020年09月06日 イイね!

山下達郎 / It's a poppin' time

山下達郎 / It's a poppin' time 先週日曜日、少しだけアナログレコートの整理をしましたら、こんなものが出て来ました。
 山下達郎さんの2枚組ライブ盤「It's a poppin' time」。
 ボクの長年の愛聴盤です。

 丁度40年前。
 浪人時代に暮らしていたのは、東横線学芸大学駅至近のボロアパート。当時から東横線沿線はハイソな街が多く存在しましたが、学芸大学駅は東口、西口から庶民的な商店街が延びていました。
 2月下旬でした。
 合格発表で受験番号を確認しましたが、大学周辺の公衆電話は長蛇の列。飯田橋駅まで歩いても同様でした。仕方なく学芸大学まで戻り、駅の公衆電話で親に合格を伝えました。
 電話を切ると、「やっと浪人が終わった…」との実感が去来。自分へのご褒美を買おうと思い立ちました。
 向かったのは西口を出て少し進んだ左側にあった、小さなレコード屋さん。「音楽堂」という屋号で、入口から正面のカウンターまで、幅1メートル、奥行き5メートルほどの通路を挟んだ両側に所謂「えさ箱」が置かれ、更に上は天井までレコード棚になっていました。おそらく、先代からの老舗ですが、当時は若い三兄弟が交代で店に立っていました。
 ボクが探し出したのがこれでした。
 高校三年生の時の発売。どうしても欲しかったのですが受験が目前、晴れて入学したら買おうと決めていました。
 正面のカウンターに90分のカセットテープと一緒に持って行き、お金を払う時に、こうお願いしました。
 
「今日で浪人生活が終わったので、自分へのご褒美として買います。ですが、アパートにステレオはなくラジカセだけ。済みませんが、お金を払ったら置いて行くので、時間がある時にこのカセットテープに落として戴けませんか」

 この時はご長男でした。
「それはおめでたい!」と、快諾して下さいました。

 閑話休題。

 このアルバムで、ボクが聴く曲は限定されています。

 A面

 2曲目 「雨の女王」
 3曲目 「ピンク・シャドウ」
 4曲目 「時よ」

 B面

 4曲目 「Candy」

 D面

 1曲目 「Solid Slider」
 2曲目 「Circus Town」

 ほぼ、上記です。

 これらの曲では、女声3人のバックグラウンド・ヴォーカルがフューチャーされています。吉田美奈子さん、伊集加代子さん、尾形道子さん。3人の声が見事にハモり、まるで一つの楽器の如き存在感を放ちます。達郎さんの透き通った声の背後で3人の声が轟くと、大変にソウルフルな印象を放ちます。
 
 吉田美奈子さんは、説明不用のポップス・シンガー。デビュー・アルバムで大滝詠一さん作曲の「夢で逢えたら」を歌いヒット。でも薦められたシングルカット拒み、アルバム・アーティストを目指したという逸話が残っています。当時の達郎さんのエンジニア・吉田保さんの実妹でもあり、自身による曲を幾つも提供、またスタジオでのレコーディングにも参加しています。上記でも「時よ」は作詞&作曲、「ピンク・シャドウ」を除く全てで作詞を担当しています。

 残りの伊集加代子さん、尾形道子さんですが、このお二人を知る方は、かなりの音楽マニアのはず。いずれも男女2人ずつの混声コーラス・グループ「フォー・シンガーズ」のメンバー。解散後には女声3人によるコーラス・グループ「シンガーズ・スリー」として活躍しました。
 中でも、特筆に値するのは伊集加代子さん。当時3オクターブの発声域を誇る歌唱力で、スタジオミュージシャンとして一説には2000曲以上に参加されたとか。また、アニメソング、CMソングでも「有名な作品」を歌っています。
 
 例えば、

 青い 青い空に バン ボ ボボン
 弾むボールが 夢を描く
 明日の太陽 バン ボ ボボン

 サーブ レシーブ トス
 ジャンプ スパイク アタック

 6つのハートが
 ひとつに 燃える

 ボクの齢に近い方は、上の歌詞を読めば旋律が浮かぶかも…。
 女の子向けバレーボール・スポ根アニメ「アタック ナンバーワン」のエンディング・テーマです。ただ、子供向けの平易なハ長調の曲を伊集さんが歌うと、学校の音楽の先生が「お手本」で歌っているみたいな印象でした。

 それとは逆に、彼女のセクシー・ヴォイスの凄さを実感出来るのが、誰でも知っているこの曲。

 ダバダーーバーダー ダバダー ダバダー
 ダバーーダダーバー ダー ダバダー
 ダバダー ダバダー ダー

 そう、「ネスカフェ ゴールドブレンド」のCM曲!

 この3人によるB.G.V.は、間違いなく当時最強でした。
 グルーブ感に溢れ、一度聴いだけで、心を掴まれてしまいました。

 上の曲はどれもスゴいのですが、ボクのお薦めは「ピンク・シャドウ」と
「Solid Slider」。
 
 「ピンク・シャドウ」では
 「ピ!ピンク、ピンク!ピンクシャードー、ピンクシャドウ!」
のリフが、何と20回も繰り返されます。4回目のリフで少し乱れるのが残念ですが、「モノスゴイ!」としか言いようのないグルーブ感、アーシー感!ここだけ聴くと、殆どソウルミュージックの世界、背中がゾクゾクします。

 「Solid Slider」も同様。
 こちらでは「ハァー ハァハーーー ハアアーーー」のリフが繰り返され、その合間に達郎さんのヴォーカルとシャウトが挟み込まれます。



 やっと写真が出て来ました(笑)。
 中面はコラージュ風の、大変に凝ったデザインです。
 CDは、車内で聴くために買いました。
 ボーナス・トラックが2曲、入っています。

 ターンテーブルに載せ、新しいカートリッジと針で、久し振りに聴きました。
 当たり前のことですが、優しいアナログの音が鳴りました。
 同じ作品でも、CDとは全く異なります。
40年前の合格発表の日の喜びが、胸に満ちて来ました。
 まさしく「アルバム」そのものと実感しました。

【今日の「オマケ」!】

 今日もいろいろと「副産物」がありました。



 遂に発見!
 ムーディー・ブルースのジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジのデュオ作品「ブルー・ジェイズ」です。この作品については、別途ご紹介します。



 いぶし銀の声を持つ偉大な男声ブルース・シンガー、ジミー・ラッシンのアルバムが3枚、纏まって出て来ました。声といい歌う曲といい見事なブルースですが、彼は長年、カウント・ベイシー楽団の専属歌手でした。ボクはレーザーディスクで彼が歌う姿を見て、一発でK.O.されてしまい、ソロ作品を買うようになりました。枯れた渋い男声が好みの方には、うってつけです。



 何と!沢田研二や加橋かつみが人気を誇ったグループ・サウンズ、「ザ・タイガース」の解散コンサートのライブ盤が出て来ました。
 久し振りに聴いてみましたが、既に加橋かつみは脱退後。「花の首飾り」は、ちょっと鼻に掛かったハイ・トーンの加橋ヴォイスではなく、ベタッとした沢田ヴォイス。買った時もそう思ったことを思い出しました。
 加橋さんの「花の…」が入ったアルバムを買ったことはないはずなので、チャンスがあれば入手したいと思います。

 
Posted at 2020/09/06 15:08:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ
2020年04月26日 イイね!

山下達郎 / Melodies

山下達郎 / Melodies 昨日、白沢峠で「生きていてヨカッタ!」と思いましたので、今日は「巣篭り」に協力です。毎週日曜日は84歳の母親を連れての買い物が恒例でしたが、今日からはボクが独りで行きました。

 午前の早い時間に済ませ、あるレコード探しをしました。
 何とか無事見つかったのがこれ、山下達郎さんの「Melodies」です。

 勿論、ボクは山下達郎さんの大ファンですが、敢えて今日探そうと思ったきっかけは、先週報道された、ブルー・コメッツのリーダー、ジャッキー吉川さんのご逝去です。

 このレコード、達郎さんの名刺代わりとも言える名曲「クリスマス・イブ」を収録した名盤。あまりにも有名ですが、実は意外と知られていないのが、A面の1曲目「悲しみのJODY」で8小節の短いテナー・サックスのソロを吹いているのが、元ブルー・コメッツの井上大輔さんなのです。

 ブルー・コメッツ時代。
 テレビの出演時、中央前列に3人が並びました。中央が井上大輔さん(リード・ヴォーカル、フルート、テナー・サックス)、右が三原綱木さん(ギター、コーラス)、左が高橋健二さん(ベース、コーラス)の布陣。全員短髪の背広ネクタイ姿。タイガースやテンプターズとは一線を引いたファッション。ソフトでメロディアスな旋律に、甘く抒情的な歌詞。今でも通じる作曲のセンスが凄かった…。中央に立つリード・ヴォーカルの井上さんは左右の二人より背が低かったけれど、吹かないフルートを両手で握り締めて懸命に歌う姿に、子供ながら感動したものでした。



 当時のブルー・コメッツのフロントです。

 ブルー・コメッツの文句のつけようがない代表曲と言えば、「ブルー・シャトー」。この曲は、井上大輔さんのペンによるもの。この他にも「青い瞳」なども書いています。後年には、当時のシャネルズの大ヒット曲「ランナウェイ」やフィンガーファイブの「恋のダイヤルナンバー6700」などを作曲、アーティストの代表曲になりました。一方、サックスやフルート・プレイヤーとしても多々のレコーディングを遺した、職人肌の「天才ミュージシャン」でした。

 「Melodies」を発売日に購入、嬉々として針を落としたのが1曲目の「悲しみのJODY」。1番の歌詞を達郎さんが歌い終えると、野太いテナー・サックスが!ビリビリとした硬いリード特有の音で、絶妙のタンギングで低音から高音まで変幻自在に吹きまくりました。僅か8小節のソロ、もっと聴きたいと思いました。このプレイヤー、一体誰だろうと思い参加ミュージシャンの名前を見ると「Daisuke Inoue」とありました。
 
 当時、大学4年の6月でした。
 既に就職活動が始まっていましたが、マスコミ志望だったボクは、まだ学生会館で勝手にテナーやソプラノを練習しながら、チンドン屋さんのバイトもしていました。そんな時にこのアルバムが発売され、井上さんの強烈なテナーにノックアウトされました。僅か8小節のソロに、楽器を奏でるテクニックだけではなく、「歌ごころ」を感じ、「さすが井上大輔!」と頷きました。

 そんな彼ですが、2000年5月30日、突然自ら命を絶ちました。
 病気がちだった奥様の看病疲れと、自身の網膜剥離に悩んでいたそうです。そして翌年には、奥様が後を追い自死されます。

 当時、ボクは妻の心の病気と闘っている最中でしたので、尊敬する井上大輔さんの自殺が物凄いショックでした。同時に「あれほどの人でも、凡人のボクと同様の悩みを抱えて生きているんだ…」と思い知らされました。

 ジャッキーさんの死の報で、井上さんのことを思い出しました。
 実際にお会いしたことはありませんが、ブラウン管を通じて見る笑顔は、とてもハンサムなのに人懐っこいものでした。



 今日、何度も繰り返して「悲しみのJODY」を聴きました。
 
 「こういうサックスが吹けたらなぁ…」と思っていた当時を、懐かしく思い出しました。あの頃は常に、夢や希望が胸に満ちていました。音楽を聴き、小説を読み、映画を見ると、その度に似ていて非なるロマンティズムのようなものが、次から次へと沸き出ました。振り返って見れば、きっとそれが「若さ」だったのだと思います。
 
 今でも井上さんの足元にも及びません。
 が、久し振りに聴き入ってしまい、あの頃感じたロマンティズムが胸に去来しました。
 …そう、たとえ今年還暦でも、人生にはロマンティズムが不可欠!!



 最後に。
 ジャッキーさん、安らかにお眠り下さい。
 あちらで、井上さんと旧交を温めて下さいね…。



Posted at 2020/04/26 16:40:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ
2019年11月09日 イイね!

ティン・パン・アレー/キャラメルママ

ティン・パン・アレー/キャラメルママ 今日の午前。
 母を買い物に連れて行き帰宅。W1Sを掃除する前に、ちょっとだけネットを見ようと思いパソコンの前に。
 いつもいらっしゃって下さる同じロードスター乗りの、ひーのりさんのページへ伺いました。何と、細野晴臣さん関連の展示会イベントに行かれたとのこと。

 うーん、ボクも行きたかったけれど、4日までとのことで後の祭り。

 中学生の時。
 当時としては斬新かつ画期的な、洋楽の臭いがぷんぷん漂うレコードが発売されました。それがこのティン・パン・アレーの「キャラメルママ」。結成当初はティン・パン・アレーではなく、グループ名をキャラメルママとしており、ミュージック・ライフ等の雑誌でも後者の名前を使用していましたが、このアルバムが発売された時には前者を名乗っていました。メンバーは細野晴臣の他は鈴木茂、林立夫、松任谷正隆と、まさしくオールスターですが、最初にクレジットされているのは細野さんで、事実上のリーダー格だったように思います。
 
 ティン・パン・アレーはその後、「ティン・パン・アレイ2」を発表しますが、その後細野さんは「はっぴいえんど」に加わります。名盤「風街ろまん」を含め数枚持っていたはずだなと思い出しました。

 ひーのりさんの記事を読み、自分が音楽を聴き始めた13、14歳頃のことが思い出され、レコードを探してみようと思い、一念発起しました。と言うのは、親父が亡くなり実家に引っ越したのが6年前。ブルーノートのレコード以外は「持ち込んだだけ」で、何が何処にあるのか、今もさっぱりわかりません。棚に収まりきれず、ダンボールに入ったままのものも、かなりあります。
 果たして、発見出来るのでしょうか…?



 リビングルームのレコード棚の現状です。
 ボクの未整理も原因ですが、ご覧のように前には大きなダンボールが鎮座しています。これは84歳になろうとする母が原因。衣類を探す目的でダンボールごとリビングに持ち込み、そのままになっているものです。他にも書道の道具や、コーラスに通っていた時の教材など、片づけられないままの状態です。母は几帳面でしたが、齢をとるにつれ、徐々にこんな風になりました。



 もう、笑うしかない状況デス!



 前に置かれた荷物をどかすと、行方不明だったニッパー君2匹が、埃だらけの状態で出て来ました。



 何とか、遮蔽物を取り除きました。
 棚に積もった埃が酷く、掃除機で丁寧に吸い取りました。



 探し始めると、意外に早く「キャラメルママ」が出て来ました。
 ジャケット写真は、ヨーロッパの何処かの旧い建築を彷彿させる、敢えてピンボケで撮影したと思われる写真。この時代、歌い手や演奏者の写真を使うのが一般的でしたから、これは画期的と言えます。



 盤とインナースリーブを出して並べました。
 ちょっとイイ雰囲気ですが、肝心の盤は針を落とすと雑音だらけです。
 キズ盤なのではなく、あまりにも何度も針を落としたので、すっかり擦り切れてしまったのでした。
 当時、お小遣いを貯めて、やっとこのレコードを買いました。所有していたレコードは、ジョーン・バエズの「勝利への賛歌」のシングル盤(RCA)、アメリカの「名前のない馬」のシングル(ワーナー)の、他に数枚程度。初めて買ったLP、家にあった電蓄を部屋に勝手に持ち込み、毎日何度も聴きこんだものでした。

 久し振りに聴いてみました。
 …まるで円形の黒いサンドペーパーに針を落としたみたい(笑)!
 でも、とっても懐かしかったー!

 チョッパーズ・ブギ
 はあどぼいるど町
 チュー・チュー・ガタゴト

 それに

 イエローマジック・カーニバル

 45年も前ですが、毎日憑りつかれたように聴いていたので、今でもソラで歌えました!

 浪人中にイエローマジック・オーケストラが大ヒットしましたが、そのバンド名を聴き、ピンと来たことを思い出しました。

 ボクはこのレコードで音楽に魅せられ、楽器を持つことになりました。
 大学を出て就職したのは、レコード会社でした。
 様々な部門を渡り歩きましたが、やがて貸しレコード、廉価な輸入盤、音楽配信などの逆風に見舞われ、レコード会社はどこも追い詰められて行きました。ボクが働いていた会社も例外ではなく、毎年のように希望退職募集と、限りなく一本釣りに近い下級管理職を狙った好条件提示が続きました。
 やがてある日、役員室に呼ばれ、19年10か月勤めた会社を退職することになりました。その後の8年間は亡き妻の病気もあり、出口のないトンネルを歩くような日々が続きました…。

 人生、何がきっかけになるか、本当に分かりません。
 ボクの場合、良くも悪くもこの「キャラメルママ」が、人生に大きな影響を与えてくれました。でも、その出逢いがあったからこそ、今のボクが存在するのは紛れもない事実。後悔は全くありません。

 久し振りに、自分自身のルーツに触れた思いがしました。
 ひーのりさん、良いきっかけを与えて下さり、有難うございました!

 今日の「オマケ」!

 探していたら、いろいろヘンテコな物も含め、あれこれ出て来ました。
 少しだけご披露します。
 ちなみに、値段の張るオリジナル盤は全くありません(キッパリ)(笑)!



 縦に保管してはいけないSP盤が、その状態で出て来ました(笑)!



 これは、山下達郎さんの、CMに使われた音源ばかりを収録したシングル盤。



 60年代のアメリカ的イラストが収められた絵本の形式で、



 最後の扉にシングル盤が添付されています。

 基本はCMなので、どれも短い曲ばかり。中には「浣腸は、イ・チ・ヂ・ク」なんてものもあり、ほほえましくもあります。





 もうすぐ、クリスマス!
 スターバックスのお店は、既にクリスマス・ムードを演出しています。

 クリスマス・ソングのアルバムが2枚、出て来ました。
 上はアメリカン・ポップスの重鎮、フィル・スペクターのもの。
 下は対称的にブラック・ミュージックの巨匠、スティーヴィー・ワンダーのものです。同じクリスマス・ソング集でも、味わいが異なるから面白いものです。



 日本人に愛されたジャズピアニスト、ソニー・クラークの、ブルーノートからのデビュー・アルバムです。最も有名なのは女性のハイヒールをクローズ・アップしたジャケット写真で知られる「クール・ストラッティン」ですが、ボクはこちらの方が好みです。



 同じジャズでも、モダンに移行する以前、デキシーランド・ジャズで最も有名なクラリネット奏者、ジョージ・ルイスの「オハイオ・ユニオン」。ディスク・ジョッキーというマイナー・レーベルが、初回プレス50枚でリリースしたとされていますが、今となっては正確なことはわかりません。
 この日本盤の発売元はミノルフォン。既に存在しません。



 「ザ・ドリフターズ」です!
 ドリフとは言っても、いかりや長さんやカトちゃんのアレではありません。
 リズム・アンド・ブルースの黒人グループです。



 最後。
 萩原健一さん(ショーケン)がお亡くなりになり、グループ・サウンズが亡くなった気がしました。
 これはグループ・サウンズで最も大物とされた「ゴールデン・カップス」のアルバムです。レタリングが、当時のアメリカのヒッピー・レター的で味があります。
 メンバーの写真をよーくご覧下さい。
 その後、「ガンダーラ」が大ヒットしたゴダイゴの、ミッキー吉野さんが写っています。


 オマケの「オマケ」!



 埃を被ったニッパー君2匹を丁寧に水洗いし、軽井沢で買った2匹と並べてパチリ!
 母は「これ以上、買って来ないで!」と、のたまいマシタ(!!笑笑)



 





 
Posted at 2019/11/09 16:45:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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