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2019年11月09日 イイね!

ティン・パン・アレー/キャラメルママ

ティン・パン・アレー/キャラメルママ 今日の午前。
 母を買い物に連れて行き帰宅。W1Sを掃除する前に、ちょっとだけネットを見ようと思いパソコンの前に。
 いつもいらっしゃって下さる同じロードスター乗りの、ひーのりさんのページへ伺いました。何と、細野晴臣さん関連の展示会イベントに行かれたとのこと。

 うーん、ボクも行きたかったけれど、4日までとのことで後の祭り。

 中学生の時。
 当時としては斬新かつ画期的な、洋楽の臭いがぷんぷん漂うレコードが発売されました。それがこのティン・パン・アレーの「キャラメルママ」。結成当初はティン・パン・アレーではなく、グループ名をキャラメルママとしており、ミュージック・ライフ等の雑誌でも後者の名前を使用していましたが、このアルバムが発売された時には前者を名乗っていました。メンバーは細野晴臣の他は鈴木茂、林立夫、松任谷正隆と、まさしくオールスターですが、最初にクレジットされているのは細野さんで、事実上のリーダー格だったように思います。
 
 ティン・パン・アレーはその後、「ティン・パン・アレイ2」を発表しますが、その後細野さんは「はっぴいえんど」に加わります。名盤「風街ろまん」を含め数枚持っていたはずだなと思い出しました。

 ひーのりさんの記事を読み、自分が音楽を聴き始めた13、14歳頃のことが思い出され、レコードを探してみようと思い、一念発起しました。と言うのは、親父が亡くなり実家に引っ越したのが6年前。ブルーノートのレコード以外は「持ち込んだだけ」で、何が何処にあるのか、今もさっぱりわかりません。棚に収まりきれず、ダンボールに入ったままのものも、かなりあります。
 果たして、発見出来るのでしょうか…?



 リビングルームのレコード棚の現状です。
 ボクの未整理も原因ですが、ご覧のように前には大きなダンボールが鎮座しています。これは84歳になろうとする母が原因。衣類を探す目的でダンボールごとリビングに持ち込み、そのままになっているものです。他にも書道の道具や、コーラスに通っていた時の教材など、片づけられないままの状態です。母は几帳面でしたが、齢をとるにつれ、徐々にこんな風になりました。



 もう、笑うしかない状況デス!



 前に置かれた荷物をどかすと、行方不明だったニッパー君2匹が、埃だらけの状態で出て来ました。



 何とか、遮蔽物を取り除きました。
 棚に積もった埃が酷く、掃除機で丁寧に吸い取りました。



 探し始めると、意外に早く「キャラメルママ」が出て来ました。
 ジャケット写真は、ヨーロッパの何処かの旧い建築を彷彿させる、敢えてピンボケで撮影したと思われる写真。この時代、歌い手や演奏者の写真を使うのが一般的でしたから、これは画期的と言えます。



 盤とインナースリーブを出して並べました。
 ちょっとイイ雰囲気ですが、肝心の盤は針を落とすと雑音だらけです。
 キズ盤なのではなく、あまりにも何度も針を落としたので、すっかり擦り切れてしまったのでした。
 当時、お小遣いを貯めて、やっとこのレコードを買いました。所有していたレコードは、ジョーン・バエズの「勝利への賛歌」のシングル盤(RCA)、アメリカの「名前のない馬」のシングル(ワーナー)の、他に数枚程度。初めて買ったLP、家にあった電蓄を部屋に勝手に持ち込み、毎日何度も聴きこんだものでした。

 久し振りに聴いてみました。
 …まるで円形の黒いサンドペーパーに針を落としたみたい(笑)!
 でも、とっても懐かしかったー!

 チョッパーズ・ブギ
 はあどぼいるど町
 チュー・チュー・ガタゴト

 それに

 イエローマジック・カーニバル

 45年も前ですが、毎日憑りつかれたように聴いていたので、今でもソラで歌えました!

 浪人中にイエローマジック・オーケストラが大ヒットしましたが、そのバンド名を聴き、ピンと来たことを思い出しました。

 ボクはこのレコードで音楽に魅せられ、楽器を持つことになりました。
 大学を出て就職したのは、レコード会社でした。
 様々な部門を渡り歩きましたが、やがて貸しレコード、廉価な輸入盤、音楽配信などの逆風に見舞われ、レコード会社はどこも追い詰められて行きました。ボクが働いていた会社も例外ではなく、毎年のように希望退職募集と、限りなく一本釣りに近い下級管理職を狙った好条件提示が続きました。
 やがてある日、役員室に呼ばれ、19年10か月勤めた会社を退職することになりました。その後の8年間は亡き妻の病気もあり、出口のないトンネルを歩くような日々が続きました…。

 人生、何がきっかけになるか、本当に分かりません。
 ボクの場合、良くも悪くもこの「キャラメルママ」が、人生に大きな影響を与えてくれました。でも、その出逢いがあったからこそ、今のボクが存在するのは紛れもない事実。後悔は全くありません。

 久し振りに、自分自身のルーツに触れた思いがしました。
 ひーのりさん、良いきっかけを与えて下さり、有難うございました!

 今日の「オマケ」!

 探していたら、いろいろヘンテコな物も含め、あれこれ出て来ました。
 少しだけご披露します。
 ちなみに、値段の張るオリジナル盤は全くありません(キッパリ)(笑)!



 縦に保管してはいけないSP盤が、その状態で出て来ました(笑)!



 これは、山下達郎さんの、CMに使われた音源ばかりを収録したシングル盤。



 60年代のアメリカ的イラストが収められた絵本の形式で、



 最後の扉にシングル盤が添付されています。

 基本はCMなので、どれも短い曲ばかり。中には「浣腸は、イ・チ・ヂ・ク」なんてものもあり、ほほえましくもあります。





 もうすぐ、クリスマス!
 スターバックスのお店は、既にクリスマス・ムードを演出しています。

 クリスマス・ソングのアルバムが2枚、出て来ました。
 上はアメリカン・ポップスの重鎮、フィル・スペクターのもの。
 下は対称的にブラック・ミュージックの巨匠、スティーヴィー・ワンダーのものです。同じクリスマス・ソング集でも、味わいが異なるから面白いものです。



 日本人に愛されたジャズピアニスト、ソニー・クラークの、ブルーノートからのデビュー・アルバムです。最も有名なのは女性のハイヒールをクローズ・アップしたジャケット写真で知られる「クール・ストラッティン」ですが、ボクはこちらの方が好みです。



 同じジャズでも、モダンに移行する以前、デキシーランド・ジャズで最も有名なクラリネット奏者、ジョージ・ルイスの「オハイオ・ユニオン」。ディスク・ジョッキーというマイナー・レーベルが、初回プレス50枚でリリースしたとされていますが、今となっては正確なことはわかりません。
 この日本盤の発売元はミノルフォン。既に存在しません。



 「ザ・ドリフターズ」です!
 ドリフとは言っても、いかりや長さんやカトちゃんのアレではありません。
 リズム・アンド・ブルースの黒人グループです。



 最後。
 萩原健一さん(ショーケン)がお亡くなりになり、グループ・サウンズが亡くなった気がしました。
 これはグループ・サウンズで最も大物とされた「ゴールデン・カップス」のアルバムです。レタリングが、当時のアメリカのヒッピー・レター的で味があります。
 メンバーの写真をよーくご覧下さい。
 その後、「ガンダーラ」が大ヒットしたゴダイゴの、ミッキー吉野さんが写っています。


 オマケの「オマケ」!



 埃を被ったニッパー君2匹を丁寧に水洗いし、軽井沢で買った2匹と並べてパチリ!
 母は「これ以上、買って来ないで!」と、のたまいマシタ(!!笑笑)



 





 
Posted at 2019/11/09 16:45:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ
2019年11月09日 イイね!

上田映劇(長野県上田市)

上田映劇(長野県上田市) 11月2日の土曜日。須坂市での難聴の治療の帰路、ご報告済ですが上田市と青木村を訪れました。紅葉の深まった菅平を越えて上田市に入り、大変素敵なクラシック家具のお店に寄り、青木村の桃太郎でランチにしました。
 途中、上田電鉄別所線の千曲川を跨ぐ赤い鉄橋が落ちた現場を通り、何とも切なく、胸を締め付けられる思いがしました。少しでも足しになればと思い、休み明けの4日、会社が入居するビル1階の銀行で、3000円を振り込みました。

 閑話休題。
 そもそも先週、上田市に行こうと決めたのは、こちらを見学するためでした。



 上田市のほぼ中心部に、こんなレトロな映画館が存在します。
 勿論、今も現役。この日も上映中でした。
 ところが…



 「あさくさ雷門ホール」のネオン看板が、嫌でも目に入ります。
 ここは信州の上田市、浅草六区ではないのに…?
 正解は、上部の横文字看板。
 「UEDA MOVIE THEATER」。
 そう「上田映劇」が正しい名称です。



 左にはストリップ劇場「ファンタジー座」のテントが。

 上田映劇は、1917年(大正6年)に劇場として開館、昭和の初期には映画館に改装され、芝居と映画を並行して上演したそうです。しかし2011年、シネコンの進出で客足が遠のき、定期上映を終了せざるを得なくなります。その後は不定期で演劇やコンサートの会場として使用される形で運営されました。
 2016年には上田市の有志が立ち上がり「上田映劇再起動準備委員会」が発足、定期上映の復活を各方面に働き掛けます。そして開館100周年を迎えた2017年(平成29年)4月15日、実に6年ぶりに定期上映が再開され、現在に至ります。

 これら「あさくさ雷門ホール」と「ファンタジー座」の表示は、映画の撮影を目的に、上田映劇に装飾を施されたものを、記念として今も遺してあります。休館中の2014年(平成26年)に公開された映画『青天の霹靂』がそれで、原作と監督は劇団ひとりさん。2013年(平成25年)8月にロケが行われ、旧き良き時代の浅草六区の映画館として登場しました。



 寄席に使用されたことを今に伝える、出演する芸人の木製の名札です。落語と講談は黒文字、それら以外の漫才、腹話術、物まねなどは赤い文字です。
 所謂「色もの」という日本語の表現の起源はこれで、寄席では落語と講談以外は格下とされていた時代の名残です。今では落語も漫才も同格視する方が殆どだと思いますが、寄席が大衆芸能の中核だった時代、芸人の間で歴然と差別が存在したのでした。芸人に巡業はつきもの。その日の糧を求めて舞台に立ち、千秋楽が来れば次なる興業地への旅。着いた先でも名札や舞台脇の「捲り」には赤い文字…。当時、赤文字で扱われた芸人の方々は、さぞかし悔しく辛い思いをされたことでしょう。



 「切符売り場」です。
 表示は新しいものですが、敢えて「入場券」という単語を使わない心意気を粋に感じました。
 窓口と狭い甲板の木枠の色と、周囲のグリーンとの対比がイイ!





 上映中のプログラム紹介と時間割です。
 …ナ、ナ、ナント、今ボクが見たい映画の筆頭、「ブルーノート・レコード ジャズを越えて」が上映中!

 ブルーノートとは、モダンジャズを創造し続けたと言っても過言ではない、アメリカのマイナーなレコード会社。初期の例外を除き、一貫して黒人ミュージシャンの作品を紹介し続けましたが、そのプロデューサーはナチスの迫害を逃れて渡米したユダヤ系ドイツ人、アルフレッド・ライオンでした。
 
 ボクは大のブルーノート・マニア。
 さすがに1枚数万円から数十万円もするオリジナル盤は一枚も持っていませんが、今もコツコツ蒐集を楽しんでいます。
 この映画館でブルーノートの映画を見るとは、これ以上の贅沢はありません。が、上映時間から考えると、帰宅がかなり遅くなってしまいます。



 この重厚な扉を開けようか、本当に散々悩みました。
 最後まで後ろ髪を引かれながら、泣く泣く諦めました…。

 今度訪れる時は、上演プログラムと時間割を事前に確認しようと誓いました。
 その瞬間、閃きました。

 「ニューシネマ・パラダイス」をこちらで見てみたい、と…。
 
 ゼッタイの「嵌まり」デス!!

上田映劇

長野県上田市中央2丁目12番30号
0268-22-0269


Posted at 2019/11/09 08:46:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧き良き建築 | 日記
2019年11月04日 イイね!

麺屋MANI(埼玉県川越市)

麺屋MANI(埼玉県川越市) 今日の午前。
 6時からずっとW1Sをせっせと磨き、どうにかみっともなくない程度を回復すると、俄然乗りたくなりました。早速キック!何と一発で624CCは目覚めました。

 さて、走り出した途端、お腹が「グー!」
 作業に没頭してしまい、朝食を食べなかったのでした。
 何処へ行こうかと考えると、ふとあるお店が思い浮かびました。
 16号線を川越へと北上しました。

 お店の名前は「麺屋MAIN」
 熊本ラーメンを食べることが出来ます。
 ボクは久し振りの2度目の訪問です。



 お店の外には、メニュー写真がデカデカと掲示されています。
 さあ、入ります。



 「いらっしゃいませー!」

 可愛い女性のスタッフが、笑顔で迎えてくれました。
 他に、店主らしい男性の、計2名でのオペレーション。
 ボクは券売機で、特製角煮950円とねぎ150円を購入、麺かためでお願いしました。



 店内はカウンター7席だけ。
 小さなお店ですが、大変清潔感に満ちています。



 暫くして、

「おまちどうさまデシター!」

 ウワー、いかにも「オイシソー」!
 白いトンコツスープに真っ黒な麻油!
 育元のものと瓜二つです。
 というのは、こちらのご主人は、長く育元で働き独立されたのだそうです。
 具は角煮大2つ、小1つ、キャベツ、キクラゲ、煮玉子1/2、青ねぎ。メンマが入らないことも含め、具も育元と同じです。



 ピントが甘くなってしまい、ごめんなさい。
 麺は中太のストレート。
 「かため」でお願いしましたので、ボソッとした食感。
 でも、それが好きなんです。



 角煮です。
 脂身がトロントロンで、こちらは育元よりも、桂花によく似たタイプです。土曜日に訪れた桃太郎のものは、桂花出身なのに育元に似ていましたので、こちらは真逆です。



 煮玉子が半分入ります。
 黄味が固まり切っておらず、スープとの相性は抜群!
 大変美味しく戴きました。



 という訳で、本日は無理なく「完食」しました!
 やはり、青木村の桃太郎は、デフォルトで量が多いと思いました。

 いやー。
 東京生まれの東北育ちなのに、最近は熊本ラーメンに引き摺り込まれています。好き嫌いがはっきりするラーメンたせと思いますが、熊本県民以外にも嵌っている方は多いような気がします。

 ごちそうさまでした。

麺屋MANI

埼玉県川越市連雀街8-3
049-222-0505

木・金・月
11時30分~14時30分 / 17時30分~20時30分

土・日
11時30分~20時00分


11時30分~14時30分

水休み

ボクのおススメ度(味のランキングや評価ではありません)

★★★★★ + ★★★

★1つ追加は、川越のド真ん中のロケーション。
小江戸観光に行かれ、お昼にこちらで「熊本ラーメン」を味わうのは、何ともギャップはありますが、不思議な体験になると思います。

★2つ目の追加は、桂花と育元の「いいとこ取り」的なおいしさ!
こちらの角煮、おそらく桂花もそうだと思うのですが、煮上げた後でさらに蒸しているような気がします。

★3つ目の追加は、女性客が多い点。
ボクが伺った時、ボクの他にはオーストラリア人男性と日本人女性のカップル、レンタルの和服姿の若い韓国人カップルが。ボクの入店直後には、日本人の若い女性が一人で入って来ました。
女性は不衛生だったり臭いがキツいお店は敬遠します。こちらのお店は精魂込めて調理されていると思いますし、お店も丁寧に清められています。おいしいものを、きれいなお店で食べられるのは最高!
彼女や奥様、お嬢さんを連れて行かれると、きっと喜ばれると思います。



 



Posted at 2019/11/04 14:46:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 熊本ラーメン | グルメ/料理
2019年11月04日 イイね!

W1S磨き その3

W1S磨き その3 今日は、朝6時から作業を開始しました。
 全体を錆と埃に覆われており、このままで乗るのは、さすがに「みっともない」状態です。昨日はYカヴァーをやりましたので、今日は左側の大物、一次チェーンケースからです。

 

 作業の仕方はYカヴァーと全く同じです。
 面積が大きいため、2時間掛かってここまで来ました。まだまだ磨きが足りませんが、とりあえず「みっともない」と思われてしまう状態からは脱しました。



 シリンダーヘッドもゴシゴシしました。
 白い水アカはキレイに取れました。



 リアショックです。
 ボクの処に来た時、このショックは既にサビサビの状態。何とか磨き込み、ここまで来ました。



 右マフラー。このバイクの最大の特徴、嫌でも目につきます。
 丁寧に作業しました。



 今日はここまで。
 と言うのは、俄然「乗りたく」なってしまったのでした!

 まだまだ細かい箇所には、たくさんの錆と埃が残っています。
 少しずつ、隙間の時間を作業に宛てて行こうと思います。

 それにしても…。
 問題は、フレームの塗装が、かなり剥がれていることです。さすがに50年選手、当然と言えばそうですが、はて、どうしたものか…。フレーム塗装をやり直すとなれば、フルレストアにも等しい作業になってしまいます。そんなお金、何処をどうひっくり返しても、我が家にはないのでした…(トホホ)。

Posted at 2019/11/04 13:30:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | W1S | クルマ
2019年11月03日 イイね!

W1S磨き その2

W1S磨き その2 今日は11月3日、日曜日。
 午前中は、毎週恒例の母を連れての買い物。
 午後から先週の続きで、W1S磨きをしました。

 今日は航空自衛隊入間基地の、年に一度の航空祭。
 快晴の青空に恵まれることが多いこの日ですが、今年は残念ながら曇天。バイクを磨いているとブルー・インパルスが飛び始めましたが、その姿は殆ど見えませんでした。現在15時丁度。まだ飛行機のエンジン音が轟いています。

 お昼丁度に始め、14時45分まで、ひたすら磨き込みました。使用したのは先週と同じ、ピカールの半ネリ、ワコーズ、そしてマザーズ。ピカールは多目にウエスに取り、本当に「ざっと」磨きます。次にワコーズをちょっとずつ取り、丁寧に磨き込みます。最後はマザーズで仕上げです。
 一度に広い面積をやらず、狭い範囲で仕上げながら広げて行くのがコツです。



 今日の2時間45分の成果です。
 近くで見ると「柚子肌」はまだまだ残っておりますが、こんなに綺麗になりました。先週触れたヤマハXS-1の最初期型と比べればアルミの材質は落ちますが、それでもこの時代のカワサキも、品質は素晴らしいと改めて思いました。
 何か、設計者・技術者のロマンティズムみたいなものが、磨いている指先からボクの指紋を通じ、徐々に染み込んで来るような気がしました。
 
 ところが、メグロ製作所のKに端を発するWシリーズは、設計・開発部門よりも営業が声高に意見を具申した結果、長期間販売されました。
 国産車最後の右シフトをドイツ式の左にし、メツキタンクを2色のツートンのアスコットにしたのがW1SA、当時開発が進んでいた名車Z1の進捗の遅れから延命策が取られ、フロントダブルディスクブレーキが採用され、Zと同様の細かいメーター周辺表示がなされたのがW3。いずれも全て、設計・開発からの意見ではなく、営業が「売るためには、こうしてくれ!」と要望したのだそうです。このように、最後まで営業の意見が強く反映された車両は、極めて珍しいとのことです(「W1 FILE(山海堂)」より)。



 反対側、一次チェーンケースです。



 左シリンダーヘッド周辺です。
 こんな状態デス…。

 1年半の放置の結果です。
 でも、少しずつ時間を見つけて、やって行きます。
 「磨き」系のケミカルや材料で新発見があれば、ご報告させて戴きます。

今日の「オマケ」!



 昨日、上田市内で、こんなバイク屋さんを発見!
 早速ロードスターを停めて訪問しました。

 バイク屋さんと言うよりも、「元」がつくお店。
 元のスペースにはこの青Wの他に部品取り2台とビラーゴがあるだけ。
 更に奥の修理場では、自転車のスポークを張っていました。

 青いツナギのご主人は、新車の時からウィンドウに飾られたSを乗って来たそうです。時々「売ってくれ」という人が来て閉口すると仰っていましたが、そんなに困った表情ではなく、むしろ嬉しそうでした!

Posted at 2019/11/03 15:46:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | W1S | クルマ

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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