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イイね!
2008年11月01日

日本人として・・・

日本人として・・・












(開戦に最後まで反対しつつ、開戦後は
軍人として最期まで責務を全うした山本
元帥。彼はシビリアンコントロールに反
していたのか?)




あまりこう言った内容のことはみんカラにはそぐわないと逡巡したのですが・・・(^^;


最初にお断りしておきますが、私は右翼ではないしその反対でもありません。

私の祖父は、かつての「大東亜戦争」で広島からの開拓団として新天地を夢見て入植したソ満国境の土地で現地徴兵され、終戦間際のソ連軍侵攻により捕虜となり5年間のシベリア抑留生活を生き延び生還した人でした。
私の祖母は、終戦後の大混乱のなか、残留孤児の悲劇が多く生まれるなか満州から私の父を含めた子供7人を全員連れて帰った人でした。
祖父は私が幼い頃亡くなったので直接聞いて覚えている話は少ないですが、祖母から、また終戦当時8歳だった父から戦争の悲惨さ、引き上げ時の地獄絵図の話は多く聞いています。

戦争にはもちろん反対です。これは大前提です。

それをご承知頂いた上で、空幕長田母神氏が自身が書いた論文の内容につき更迭されるという件について、彼が書いた論文とはどんなものなのか、日本人としてぜひ知って頂きたく、全文を掲載します。


批評は致しません。しかし、一部報道の表面的な、偏向的な記事の情報操作に依らず、読んで頂けた皆さま個々人の、ご自分の郷土と祖国に対する心情と、ご自分の歴史観に照らし合わせご判断頂ければと思います。

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日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留し
ている。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意
された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮
半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留
も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19
世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手
国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府
から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露
戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守
るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力
をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だと
いう人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したこ
とがない。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人
に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日
本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛
け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、と
ても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を
追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコ
ミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミン
テルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込ん
でいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊
させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年
8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻
(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京
政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表し
た。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なので
ある。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言わ
れてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日
本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢
東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、
ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝
春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて
有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬
溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われて
きた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の
記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官
はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦
争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのなら
ば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問い
たい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならな
いが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しよ
うとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとし
た国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な
植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月に
は3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、
1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は
何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからで
ある。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけ
がない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15
年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮
半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と
約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊
かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われ
ている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々
はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したので
ある。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に
力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残して
いる。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北
帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立
したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝
国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝
鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国
人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑に
なった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)
という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学
校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後
輩には金錫源(キンソグォン)
大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日
本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴
散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いてい
る。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍
士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期
後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。
李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業
生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日
本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重
に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)
殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)
妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃
候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもり
ならこのような高貴な方を李垠(イウン)
殿下のもとに嫁がせることはなかった
であろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州
帝国皇帝であった溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ
殿下のもとに嫁がれたの
は、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満
州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っ
ていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがイン
ド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士
官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインド
に嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメ
リカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5
族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって
仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられてい
た当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議に
おいて、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イ
ギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば
当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ
1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置
いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年に
は袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、
いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵
略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一
般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わな
い。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、
パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21
箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフ
ランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見
た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認
の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本
軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬
溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数
十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原
喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針で
あり、それは今も昔も変わらない。
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に
突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本
は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今
では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕
掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテ
ルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書
がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福
井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナ
ファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信
記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8
年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用し
ていたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、
日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなん
と37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解
読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中
であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了
し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これに
よれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政
権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇
りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本
人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモー
ゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日
米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを
認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルン
の工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣
するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻
撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、
隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日
米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必
要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を
決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ
日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を
避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、
アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像
がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日
本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯
機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の
歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されるこ
とに甘んじなければならない。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支
配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問
題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そ
して大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの
時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るの
があと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たち
は日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英
霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊
かな生活を営むことが出来るのだ。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争
などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているの
であろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかり
である。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難で
ある。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地
を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠さ
れたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたもの
である。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお
日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略
する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうという
ものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出
来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁
止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きでき
ないようになっている。このマインドコントロールから解放されない
限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメ
リカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメ
リカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法
もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国
の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なので
はないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らし
ているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日
米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良
好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良
好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも
親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を
未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく
普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き
届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがた
い苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジ
ア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要
がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシ
アで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直
接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接
見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いこと
も知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何
に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だっ
たなどというのは正に濡れ衣である。
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければなら
ない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自
分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実
を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいこと
であることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を
向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中
でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本
の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の
一途を辿るのみである。

---------------------------------
11/20追記
大東亜戦争(太平洋戦争)の何たるかは、ぜひこちらをご覧ください。


※下記はクワトロさんから頂いたコメを操作を誤って削除してしまったものを、改めてこちらに記載させて頂きました。
クワトロさん、ごめんなさいm(_ _)m
その下は、クワトロさんのコメに対する私の返信です(^^;

クワトロさんからのコメ↓
読ませていただきました♪私もこの論文の批評は致しません!

>私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。

>歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

襟を正して聞くべき言葉だと思います!


対する私の返答(11/2加筆修正)↓
自衛隊のトップという立場にあって、今回の田母神氏の行動はやはり軽率であったとは思います。
しかしながら、論文の内容がすべて間違っているかのようなマスコミの言い方には疑問を感じます。

論文中で旧満州や朝鮮半島が「日本政府と日本軍の努力によって、圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」と植民地支配を正当化していると報道では糾弾されていますが、当時の大英帝国は植民地であった印度に対して同様の施策をしていたのでしょうか?搾取こそすれ日本が行ったような大規模な、現地民に対するインフラ整備はしていなかったかと思います。フランスやアメリカ等欧米列強が植民地化した他の地域、アフリカや東南アジアなどでも同様だったと思います。
中国国内に於いても、かつての上海租界のように、白人の住む地域だけ綺麗に整備し、中国人の住む地域は未開発というのではなかったと思います。
私は20年ほど前に約3年間中国に暮らしていましたが、大連や長春のように日本が統治した都市は、街自体が整備され日本人、満州人、漢人といった区別はなかったようです。北朝鮮では未だに当時の日本が作った発電所や多くの橋が現役だそうです。ただし、どこの国の都市でもいつの時代でもそうですがスラム街はあったようですが。
中国を旅行した人ならお分かり頂けると思いますが、日本人が作った街と漢人が作った街のどちらが綺麗か一目瞭然だと思います(あくまで都市基盤整備における考え方の相違ということで日本人、漢人の優劣ということではありません)。

日本の統治政策と欧米のそれとの違いはやはり「人種差別」であろうかと思っています。
私は欧米には旅行も含め行ったことがないので実感として分かりませんが、行ったことのある人、住んだことのある人の話を聞くと、やはり未だに根強い人種差別が残っているようです。
捕鯨問題で再び表面化したオーストラリアの「白豪主義」は人種差別としては近年はっきり分かる形で白人の中にある有色人種に対する人種差別の根深さを見せつけられた気がします。

「大東亜戦争」の是非はともかく、戦後多くの植民地が独立した歴史的事実は誰もが認めるところでありましょう。だからといって日本のした「戦争行為」がすべて正当化されるとは思っていません。
しかしながら当時の世界のパワーバランスに於いて、白人国家の列強に対抗する国力を持った有色人国家は日本しかなかったのもまた歴史的事実だと思います。白人支配に対して共闘すべき中国(共産党・国民党)が、大陸の支配を巡る争いに明け暮れ日本を巻き込んだのは大変な不幸であったと思っています(当時の朝鮮は共闘以前に国力も無い状態であった為、日本が当時の国際法上合法的に合併し、内地と同様に資本投下しあらゆる面で基盤整備をしていました。これは旧満州でも同様です)。
私が中国に住んでいた20年ほど前の中国は、今のような国策としての「反日教育」はありませんでした。日本兵の蔑称として「日本鬼子」や「ミシミシ(日本人が飯々と言っていたのが由来)」と言う言葉はありましたし、戦争体験をして日本軍にひどい目に遭ったという老人とも何人と会いましたが当時は今のような狂騒的な反日ではなく、過去の歴史として冷静に捉えていた人が若い人も含め大多数だったように思います。
私はこの論文を読んでみて、意外かも知れませんが「反米」的な、というか日米安保の見直しを含ませるような臭いを感じ取りました。だからといって親中というものではありませんが、日本が国家として自主独立し日本国民が民族自決の誇りを持たなければならないという、ごく当然の意見だと感じました。

今回の騒動でマスコミや政府与野党が大騒ぎするのは、彼の論文が何の根拠もない嘘っぱちだからなのか?軍国主義や過去の侵略戦争を肯定していると余所の国に取られかねない内容が問題なのか?公職の立場上、政府のスタンスと違った発言が問題なのか? 巷の報道ではそこの所が今ひとつハッキリ分かりません。
嘘八百だからマズイ、というのなら分かりますが・・・(^^;
戦争であった以上、攻めるか攻められるかは当然のことなので侵略云々はナンセンスですし。アメリカがイラクに対して行った「侵略」とその結果をどう考えますか?
自衛隊のトップとしての立場上マズイことを言ったというのなら、これも理解できますが、では内容としてはどうなのよ?という視点が報道には全くないように思えます。

このことだけでもマスコミの作為的な情報操作があるように感じ、まずは全文を多くの人に読んで判断して頂ければと思い転載しました。

批評しないつもりでしたが、結局書いちゃいました(^^;





論文URL↓
ブログ一覧 | 歴史・ミリねた | 日記
Posted at 2008/11/01 20:47:04

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この記事へのコメント

2008年11月2日 10:30
私のコメント、本文中に組み込んでいただいて恐縮です(汗

田母神氏の発言内容からはちょっとズレますが、16nightsさんの返信を受けて書かせていただきますと、例えば私は石原莞爾閣下の唱えたとされる満州国の建国理念「五族協和・王道楽土」の理念そのものは間違いではないと考えています…

ですが、もし仮に私が陸空海の幕僚長であったり国会議員であったとするならば、必ず低能なマスコミに発言『そのもの』を吊るし上げられ叩かれるでしょう。

理念の部分なんて読み解こうとはせず、ただ「軍国主義者だ!」みたいな感じで叩かれると思います。

私も分かってます。現役の制服組トップの発言内容としてはマズイのは!

ただ、自虐報道しか出来ない我が国の低脳マスコミには怒りを通して情けなくなります…
コメントへの返答
2008年11月2日 13:26
確かに要職にある人が「昭和の亡霊」のような理想論を言い出したらただでは済まないでしょうね(苦笑)。

「五族協和・王道楽土」の理念、私も素晴らしいものだと思います。
ただ、当時の世界の現実はそんなに甘くはなかった、ということだったのでしょう。

満州については、ソビエト、なによりも日本の皇統思想と相容れない社会主義思想の南下を恐れ、地政学的に日本までの防波堤にしたかったという思惑があったとは言え、島国の温室育ちだった日本人が理想を掲げ満州国を建国したものの欧米列強に否定されるや駄々っ子のように国際連盟を脱退した当時の指導部の外交センスの無さはとても不幸だったと思います。
日露戦争後、講和に持ち込んだ明治期の政治家達の外交センスが健在であれば、あるいは歴史は変わっていたかも知れません。
当時の陸軍指導部の思考の不幸は、日清・日露の二つの大きな戦争に勝ったことで、三八式歩兵銃に象徴されるように装備の近代化を図ることもなく明治期の精神論のまま大東亜戦争に突入したことです。
石原莞爾は陸軍内部でも異端だったようで、後に東条英機に政敵扱いされたのか干されてしまいますが、彼の理想論の上っ面だけを盲信した関東軍によって日中戦争の泥沼に陥ったことを思うと、「五族協和・王道楽土」を唱えたことと併せて功罪共に大きな人物だったと思います。
海軍はさすがに精神論では動かない軍艦や飛行機が主な装備だったこともあって、山本五十六はじめ井上成美に連なるリベラル派が多くいましたが、当時の内閣制度の不備や国内世論の勢いとそれを煽るようなマスコミの世論操作によって、戦争回避には抗しがたいものだったようです。

貧乏な農業国だった日本が近代化を図るために、なによりも白人国家に対抗し戦争継続のために豊富な資源を求めて大陸や南方に進出したのは事実ですし、戦時下であれば「侵略」だと受け取られる行為もあったかと思います。
しかしながら欧米列強が植民地を搾取するために支配しようと「侵攻」したのとは、クワトロさんが言われるような「五族協和・王道楽土」、「八紘一宇」という理想論が物語るように根本的に違うと思います。
不幸だったことは理想の実行が戦争行為を伴ってしまったからだと思います。
現に戦後の世界は、日本の掲げた理想論と多少違うにしても地球上から植民地が姿を消し、民族自決の結果として各国が独立した歴史的事実を見ると、日本の理想が決して「悪」だったとは思えません。
裏返せば植民地を奪われた欧米からすれば日本の理想は「悪」であり、有色人種に対する人種偏見と相まって白人に楯突いた日本憎しから理不尽極まりない「東京裁判」が開かれたのだと思っています。
中国、朝鮮の不幸は、この東京裁判で火事場泥棒のように日本の権益を放棄させ奪い取り賠償させる「白人側」に回ったことです。
インドのパール判事の談話は有名ですが、もし両国が欧米の差別支配に対して目先のことに囚われず日本と共に戦っていれば、現代に繋がる民族間のわだかまりも違ったものになっていたと思っています。

また、よく大東亜戦争に突入したのは陸軍指導部の暴走だったとの論評を聞きますが、陸軍を後押ししたのは新天地を求めて熱狂した他ならぬ当時の日本国民とマスコミによる世論操作だったのを忘れてはならないと思います。
この点において、日本人は過去の歴史を正確に検証し反省すべき点をふまえた上で未来に繋がる思考を構築すべきだと思っています。
然るに現在のマスコミは戦前の自身の大罪を隠蔽し、今また同じ愚を犯そうとしています。
戦前は国民を死地に追いやるために。現在は亡国の民とするために。


2008年11月2日 11:17
おはようございます。

私の祖父、曾祖父も職業軍人です。
私は父からの教育よりも、祖父からから躾をあるいは歴史を学びました。

中学、高校と進んでいく中で大きな二つの疑問を持ちました。
ひとつは、日本の歴史教育は正しくない。
もう一つは、教える順番が違うと言う事です。

日本の歴史教育が正しくないと言うのは、その内容がまるでGHQの占領下にでもあるような、事実に基づかない自虐的な内容が多いと言う事です。

私はアメリカの大学院へ留学した時に思い知らされました。
それは、民族のアイデンティティは、その歴史にしか根付かないと言う事です。
今の日本の歴史教育では自分が日本人だというアイデンティティを持てる人が、それを外国の人に語れる人がどれだけいるだろうかと言う事です。

歴史の解釈は難しい事です。
南京大虐殺と言われている事件でも、戦国時代の話でない、わずか70年前の話でもその正否は闇の中です。
ですから、尚の事、今現在明らかな事、日韓併合などの経緯や東京裁判の真実を歴史教育に含めて教えるべきです。

二つ目に挙げた教える順番も、歴史を教える内容と共に大問題です。
縄文時代や弥生時代を教えるなとは言いませんが、我々が生きて行く上でそれほど重要だとは思えない事を順番に教えるのではなく、現代、近代と言う風に遡って教える事が必要なのです。
下手をすると、明治維新くらいで授業は時間がなくて終了と言う事になりかねないから、現代へ至る大切な歴史を知らない日本人がどんどん増えてしまうのです。
歴史は入試に出るか否かの現況ではなく、自らのアイデンティティを知る、確立すると言う重大な事だと考えております。

自虐的で白痴なマスコミ、自らの議員定数すら削れないで行政改革を叫ぶ世襲制議員、これらの者が今回の空幕長の論文、発言を表面上だけとらえて更迭するなど言語道断であると思います。

歴史を正しく学んだ事もない、安全保障と軍備を同じようにしか思わない平和ボケした、利己的な事なしか興味のない、かって、勤勉と言われ、自らの身を律する事が出来た、日本人は死滅してしまったのか?と思い悲しくなります。

休日出勤しながら、思わず16nightsさんの文章に書き込みをしてしまいました。
思いつくままに書きましたので、乱筆乱文ご容赦ください。

コメントへの返答
2008年11月2日 13:19
室長さま、コメントありがとうございます♪

私は海外には中華圏しか行ったことがないのですが(笑)、よく国際化とかグローバリゼーションと言った言葉を聞きますが、国際人というのは決して無国籍人になることではないと思います。

民族としてのアイデンティティ、本当に仰るとおりだと思います。
まずは日本人としての土台がしっかりしてないと、外国人と接してもバカにされますね(^^;
その為には当たり前ですが郷土愛、広い意味での愛国心がなければいけません。今の教育、マスコミの偏向報道の中身を見ると、どうも日本人に日本人としてのアイデンティティを持たれると困る勢力が有るように思えてなりません。

歴史の解釈は難しいですね。
仰るように「南京大虐殺」にしても、もし戦時中に本当にそんな事件があれば蒋介石が格好のプロパガンダに利用したはずですが、この件を言い始めたのは戦後です。なぜ?
答えは単純、そんな事件は「無かった」からと「私」は思っています。

また、学校での歴史教育の順番、これも当にその通りですね。
上代の歴史も確かに重要ですが、いま目まぐるしく変化する現代を生き抜くバランス感覚と日本人としてのアイデンティティを養うことを考えたとき、重要度はそれほど高くないと思います。
逆に近現代史こそこれからの未来を担う若者に知って欲しい「歴史」だと思いますね。

正しい歴史を教えると、何か不都合でもあるのでしょうか?と、穿ったことを考えてしまいます(^^;

私も思いつくまま、つらつらと書いてしまい返答として的を得たものではないと思いますがご容赦ください。

コメントありがとうございました♪

2008年11月2日 11:46
16nightsさん、クワトロ@さん、室長さんこんにちは。平和ボケ組の私ですから大層なことを申せませんが、戦争とその謝罪問題・・いつまで続くのでしょうかと考えることがあります。室長さん・クワトロ@さんのおっしゃる通り、当時そこで何があったのか?闇に葬らず明らかにし、同じ過ちを繰り返さないことこそが大切なのではないでしょうか。(学校教育も含めて)その上で日本人として誇りを持って生きていきたいです。
すいません。つたない内容で・・・
コメントへの返答
2008年11月2日 13:30
どもです♪

こんなデリケートなネタにコメント頂きありがとうございます(^^;

私も勿論平和ボケのアフォですが(笑)、今回の件は歴史問題をタブー視するいまの悪循環を断ち切るチャンスかも知れないと思ったりしてます♪

2008年11月2日 21:32
残業漬けのころのブログ内容と今回の内容のギャップが、正直、たまりません(笑)。

論文の内容の賛否はともかく、「こう言った考えの方が自衛隊の中枢に居られるんだなー、でも少数派ではないだろうなー」と思いました。
やり方が良かった悪かったかは分かりませんが、大東亜共栄圏という考え方は、悪いアイデアだとは思いませんし、今でも有効だと思います。もう、日本が先頭に立てるとは思いませんが。

ただ、布教班を尖兵隊に侵略を繰り返してきた国々(十字軍なんて名前、笑っちゃいますよネ)や、3000年の殺戮の歴史を持つ誇り高き民族から見たら、クマの着ぐるみ着て、猟友会のドアをノックしたようなもんだと思います。

やはり、「戦争は勝ったほうが正義で、負けた方が悪」という人類の普遍的な真理(笑)に私の中ではたどりついてしまいました。

一番大切なのは、私たちの子孫の未来だと思います。相手方がしびれを切らして過去は不問にと言い始めてるのを混ぜっ返す(報道も)のは如何なものかと思いました。
コメントへの返答
2008年11月3日 7:07
いやー、普段はあんまりこういったことも考えずのんびりしたものなんですけど・・・(笑)。
小学生時分からタミヤの戦車やら戦闘機やらウォーターラインシリーズの軍艦やらばっかり作ってたのですが、いま思うとプラモデルの取説にあったそれぞれの兵器解説は、武器の開発経緯や時代背景、戦史を変な思想もなく詳しく書かれていたので教科書なんかよりよっぽど勉強になり、お陰で小学生の頃からいっぱしのミリヲタになれました♪

「大東亜共栄圏」という考え方は、理想としては良かったのかも知れませんが、あくまでも日本が主導権を握るという考え方と戦時中の逼迫した戦況から実際のところは東南アジアの植民地支配が欧米から日本に変わるだけに終わったような気もします。それでも仰るようにアイデアは良かったと思います。戦前には国家間での「軍事同盟」はあっても「経済共同体」という考え方はまだ一般的ではなかったようですし。
そして戦後、日本の主導ではありませんが経済共同体を目指すという意味で、この考え方はアジアではASEANとして、欧州ではECとして現実のものとなっていると思います。
そうしたことを考えると、日本が負けはしたけど白人至上主義の欧米列強に対して立ち上がって戦ったことは大いに意義があったと思いますし、日本人自身がそのように評価しなければ、先の戦争で亡くなった多くの国民の尊い犠牲に対してあまりにも申し訳ないと思います。

この論文の内容をあーだこーだと騒ぐ今回の件も、正直「井の中の蛙大海を知らず」だと思います。
恐らくアメリカなども「いつまでそんなことぐだぐたやってるんだ」と思っていることでしょうし、お隣の大国にしても、もう実際のところこんなことは問題ではないと思ってるのでしょうが、日本側が勝手に騒いで(当にご注進報道ですな)また一つ「恐喝カード」が出来たと密かに喜んでいるような気がします。
なにせ「靖国問題」だって戦後暫くはまったく何の問題も無かったのですから。それを某新聞がご注進報道してから外交カードとして利用されることになった事を考えると、この新聞社は一体何処の国の為の新聞なのかと常々疑問に思っています(^^;
余談でした。

日本なんて有史以来対外戦争なんて数えるほどしか経験のない温室育ちで、戦国時代にしても調略で大抵は戦う前から結果の分かった仲良し子よしの戦争しかしてないのですから、異民族同士で戦争に明け暮れてきたすれっからしの大陸の人間からしたら、日本の理想論など児戯に等しいのかも知れませんね(苦笑)。

「勝てば官軍」、「歴史は強者によって作られる」、一歩下がって冷静に考えれば日本の識者と呼ばれる人たちも十分に分かっているだろうに、誰に気兼ねするのか、なかなか本音を口に出来ない今の風潮は大変残念ですね。
これこそ論文でいうところの「マインド・コントロール」というやつでしょうか(苦笑)。


2008年11月2日 23:45
私も右翼ではありませんが、この文章はある程度の事実を書いていると思います。問題点はそれを書いたことというより、コミンテルン、つまり共産主義というものは、近隣の某国を見てもわかるように、「捏造」が大切な役割を担っていると私は思っています。
先日、中山元国土交通相が、「日教組を解体しないといかんと思っている。(日教組を)ぶっ壊す運動をしたい」、「日教組は教育のがんだと思っている」などと発言して更迭されてしまいましたが、私もこの意見をよく言ってくれたと思っています。
戦後教育において、日教組は日本をおかしくした原因のひとつと私は考えます。
このような発言についてやたらと噛み付く朝日新聞もそうですが。

あまり細かく書くと取りとめもなくなってしまいますが、日教組に加入し、熱心に活動している教員の目指すものは、例を挙げると北朝鮮型の集団指導体制なのです。そのなのを目指されて少しでも実現に近づけられてしまったら、たまったもんじゃあありません。旧国鉄がなくなってもまだ亡霊のごとく活動している千葉動労などもこの流れですね。

戦後、せめて昭和20年代に強烈なレッドバージを引いていればこんなことはなかったかもしれません。でも、先の論文にもあったとおり、アメリカにもコミンテルンに傾倒した政治家が数多くいたわけですから、到底実現は不可能だったでしょうね。

日本が正しい、アメリカが正しいとは言いませんが、集団指導体制が優れたものかどうかは東欧の民主化を見ればわかるように、未来はないのではないかと思います。また近隣の某国を見ればわかるように、指導者側しか潤わないのです。
コメントへの返答
2008年11月3日 7:34
私は幸いにして(?)、日教組を構成する人たちと接点がなく実際に彼らが何を目指しているのかは分かりませんが、そんな無知な私でも疑問に思う彼らの行動があります。
それは「国旗掲揚・国歌斉唱」に反対するという、常識有る国民から見たら異常としか思えない考え方と行動です。

どこの世界に自分が生まれ育った国の国旗や国歌をないがしろにしようとする人間がいるのでしょう?しかも未来有る子供を育てる「聖職」と呼ばれる先生が!!
彼らの主張としては、「大事な子供を戦場に送るわけにはいかない」だそうですが、何処の世界に子供を喜んで戦場に送る親がいますか!?
そんな当たり前のことと国旗・国歌を学校で否定することと何の関係があるのですか??
卑屈な愛国心を持てない人間が長じてどうなるか、いまの世相を見て分からないほど日教組というのは想像力の乏しい集団なのでしょうか。
自分の生まれ育った国の国旗や国歌が「軍国主義の象徴」などと、どっちが「亡霊」なんだか分かりませんね。そんなに日本人でいることが嫌なら大好きな国へ移住して帰化したらどうかと思います。そんなこと出来もしないクセに。

こういう言い方もどうかと思いますが、たかだか一度戦争に負けただけでその戦争責任を未来永劫重い十字架のように背負い子供達に生きていくように教える姿勢には一切同意できません。
先の戦争も謝罪と賠償は国際上済んでいます。もう過去のことです。もちろん同じ過ちを犯さないように歴史を正しく学ぶことは必要ですが、生まれる前の親の罪を子供に被せる必要などありません。
これこそポリバケさんの言うコミンテルンの思考であり活動だと思っていますし、良識有る人はみなそう思っていると思います。
2008年11月5日 22:27
大変参考になる論文、ありがとうございます。
ハードすぎてなかなかまともな文章が書けそうにありません。
絶対正義なんてものは、幻想だし、どこまでが虚構で、本当なのかは、タイムマシンでも出来なければわからないのかも知れませんね。
コメントへの返答
2008年11月6日 9:16
コメントありがとうございます♪

正義というものはあくまで相対的なものですから、仰るように「絶対」というものは無いのでしょうね。
みんな「正義は我にあり」と言いますし(笑)。
ぶっちゃけて言えば勝った者の言い分が「正義」であり、負けた者には正義を口にする資格は無い、ということに尽きると思います。

戦後の日本は、アジア地域に大変な禍根を残した「正義なき侵略者」との烙印を押され、謝罪し賠償してきました。
国際法上は戦後処理が終わったことになっています。しかし今もなおいくつかの国から「侵略者」と言われ続け、日本人自身もそう思い続けて萎縮し続けています。

しかしながら、大東亜戦争に於いて日本に正義はなかったのか?敗者となった日本はすべてが「悪」だったのか?
こうした疑問に対して、田母神氏の論文は一つの考え方を示したものだと思います。
虚構と真実、この論文にしてもメディアに露出する部分だけを見て論じるのであれば「虚構」に踊らされているとなるのかも知れませんが、銀@トラミッキー?さんが実際にご覧になったことは「紛れもない真実」ですから、その結果どのように感じたかが銀@トラミッキー?さんにとって本当のことだと思います。

私が感じる戦勝国側の正義と敗戦国側の正義について。
2発の原爆投下、東京大空襲をはじめとする大都市無差別爆撃は正義だったのか?
当時の中国で戦線不拡大の方針であった日本が本格的に対中戦に踏み切る切っ掛けの一つになったとされる「通州事件」の残虐行為は正義だったのか?(ご存知なければ検索してみてください)
「南京大虐殺」の捏造(と私は考えています)とプロパガンダは正義なのか?
白人至上主義だった世界から人種差別を無くし植民地支配解放を唱えた日本の主張は正義だったのか?
満州国建国は正義だったのか?
朝鮮併合は正義だったのか?
日本軍の占領地での軍政支配は正義だったのか?
「ガ島」はじめニューギニア戦線での無謀な消耗戦、サイパン・硫黄島をはじめとする数々の玉砕、沖縄戦での民間人の犠牲、特攻隊など・・・、正義ゆえの犠牲なのか?

そして、「東京裁判」の判決は公平で正義そのものなのか?連合国側に「戦争犯罪」は無かったのか?

戦後のことではありますが、日本の領土とされる「竹島」を軍事占領し警備隊を常駐させる韓国のやり方は正義なのか?
中国のチベット弾圧は正義なのか?
何の罪もない民間の日本人を拉致した北朝鮮は正義なのか?
日本の教科書を問題視し内政干渉をしながら、国策として反日教育を続けるのが中国・南北朝鮮の正義なのか?
対して言われるままに黙っているのが日本側の正義、或いは誠意なのか?

記憶に新しい中国での「反日デモ」やサッカー日中戦でのブーイング、中国選手のラフプレーは彼らの正義ゆえなのか?(これはちょっと脱線ですね、苦笑)

朝鮮戦争、ベトナム戦争はじめ世界から無くなることのない戦争・紛争に正義はあるのか?

アメリカのイラク侵攻、フセイン処刑は正義なのか?
アルカーイダ・タリバンの言い分は正義なのか?

いろいろ広げすぎましたが、私の中では、日本が負けてなお「正義」だったと確信を持てるものもありますし、そうでないものも、まだ分からないものもあります・・・。
それは今現在の世界でも同様です。

田母神氏の主張が全て歴史の検証として「正しい」かは私にも分かりません。
しかしながら、個人の歴史認識の視点として大事なのは、現在の自分を取り巻く生活環境、政体、国家の成り立ちにどのような歴史的背景があるのか正しく認識することだと思います。
祖先より営々と築き上げた歴史なのか、誰かに与えられた歴史なのか。
誰のお陰で今に至っているのか、あるいは誰のせいでこうなったのか。
自分がこうして生まれ育ち、大抵のことは不自由なく暮らしていける。
親が健在だから自分は生まれた。その親を生かしてくれていたのが何だったのか、誰だったのか。
好きなことを出来、好きなことを自由に言えて、食べて、遊べる社会は誰がもたらしたのか。
誰かのお陰なのか、誰かの犠牲の上のものなのか、または本当はもっと良い暮らしが出来ただろうに誰かのせいで今の暮らしに甘んじているのか。

今日より明日をより良く生きるためには何が出来るのか、何をすべきなのか。

時々ですが、つらつらとそんなことを考えてしまいます(^^;
済みません、長くなりすぎて自分でもワケ分からんようになりました(苦笑)。

タイムマシンがあれば私もぜひ過去の「真実」を見てみたいですね♪

長文、失礼しました。

2008年11月6日 10:28
時にはこういったことに頭を使う?ことも必要ですね。
結局「生きること」の根源的な部分にまでさかのぼるのかな。
「豚のいた教室」って映画があります。
食べるために小3から豚を飼い、卒業時にさてどうしようって話(実話ベース)
韓国で犬を食うって聞いた西欧人が顔をしかめる。
でも彼らだって食うために牛を飼ってる。
世界には牛を食うことに顔をしかめる人たちだっているのに。
われわれは生かされてるんだってことです。
忘れては、いけないんじゃないかな。
コメントへの返答
2008年11月6日 13:23
こんにちは。
「豚のいた教室」、映画は見ていませんがドキュメンタリー番組を見ました。正直、小学生にはきついテーマだとは思いましたが、「生きる」ということはほかの「命」を犠牲にするという大切な事を学べたのではと思います。

日本の家庭ではどこも食事の際に「頂きます」と言うと思います。何に対して「頂きます」なのか。目の前の食事を摂ることができる素直な喜び、自分の命を長らえるために糧となった生き物の命に対する感謝の念、食事を作ってくれた人に対する感謝の念、食材が食卓に並ぶまでの過程での仕事をする生産者から販売者、実際に食材を買う代金を働いて稼いできてくれた人への感謝の念といった気持ちが込められていると思います。日本は長い間貧しい農業国でしたから、作物を作るためにどけだけ苦労を伴うか骨身にしみて知っていた。だから食べ物は粗末にしてはいけないし食べるときには「頂きます」という。私は祖母からそのように教わりましたし、子供にもそう教えています。
最近のほかのご家庭ではどうなのでしょうか・・・。

また、私はキリスト教信者ではないので以下は伝聞による想像ですが、これがキリスト教国ですと食事前に「神」に感謝こそすれ食材となった生き物に対する感謝の念は日本人と比べると薄いのではないかと感じます。豚や牛を殺して食べることになんの躊躇いも無いようですし。私はそれを否定も肯定もしません。ただ「そういうものなのかなー」と受け入れるだけです。

ただ、そんな白人が日本の「捕鯨」に対して批判する根拠としてあげる一つに「クジラは賢い、人間により近い高等生物だから殺して食べるのは野蛮だ」というものには非常に違和感を覚えますが。「捕鯨」は日本の伝統的な食文化です。鯨油の為だけに、一度はクジラを絶滅寸前まで乱獲し殺し続けた欧米人に言われたくありません。昔の日本人は殺したクジラはそれこそ余すところ無く活用しましたし、クジラの慰霊碑というのも各地に残っているほど、クジラに対して畏敬と感謝の念を抱いていた文化があります。現在はそうでもないようですが(苦笑)。

ヒンズー教では牛を食べることが禁忌なように、イスラムでは豚が禁忌なように、「食文化」というのは民族、地域、宗教によって違いますしそれぞれの長い歴史の上に成り立っています。そうした生活習慣、風習、伝統がムラから町へ、町から国へと単位を大きくして一つの民族、国家の歴史となっているのだと思います。

人間は一人では生きてはいけず、助け合って頼り合わねば生きていけません。自分には両親がいて、その両親にもまたそれぞれ両親がいて・・・、先祖を10代(約300年)遡るだけで自分に命を与えてくれたご先祖は約千人、これが30代(約千年)遡ると約10億人(!)のご先祖がいることになります。そしてその間の誰一人として欠けていれば自分は生まれなかった。その途切れることのない命の連鎖の奇跡の果てに自分という命がある。決して自分がなにか偉そうなことをしてるから生きている訳ではない。多くの命の積み重ねの上にちょこんと乗っているだけのなんとも儚い存在でしかないのです。
その儚い命を与えてくれた、生かしてくれている家族や郷土、ご先祖に対する感謝と畏敬の念を持つこと、ご先祖が作り守ってきた伝統文化に敬意を払うことが広い意味での愛国心となっていくのだと思います。

主題の論文からずいぶんずれてしまいましたが(笑)、田母神氏が文中の最後に言いたかったことは、この日本の長い歴史の中で、民族として国家として生きるための「生存権」を賭けた戦いを今一度冷静に振り返り、自分の郷土やご先祖を自ら貶めるような所謂「自虐史観」というものを見直してもいいのではないか、と言う風に私は受け取りました。

これは過去の戦争で日本も犯したであろう「戦争犯罪」を否定するものではなく、「正義の解放者」を気取った歴史観に改めようとするものでもないのだと思います。ただ、正しい史実を積み重ねて正しい歴史認識を持つことの必要性を訴えているのだと思います。

またまた長文失礼しました(^^;

2008年11月6日 14:59
こういう論文を高校生の社会科の教材とすべきなんですが、アホナ政治家、マスコミ政争の具くらいにしか出来ないのでしょうね。
歴史を考える上でのとっても良い教材足りうると思いますね。
現存する殆どの歴史書は勝者のそれであって、本当の出来事なのかは分からないんですからね。
自由に言いたいことが言えるってことだけは、一応今の日本のいいところですけどね。
コメントへの返答
2008年11月6日 17:13
またまたコメントありがとうございます(笑)。

言いたいことが自由に言えて、犯罪者でもなければ行動の自由も保証されている(女風呂はNGですが!、笑)。
日本は自由の国だと思います♪

ただ、「自由」というのを「法に触れなければ何をしてもいいんだ」と勘違いしてる人間が増えた気がして少々心配ですが(苦笑)。

昔はよく人の行動を律する表現で「ご先祖様に申し訳ない」なんて言葉を聞いた気がしますが、最近は「先生に怒られるからやめなさい」、「となりのおじさんが怒るからやめなさい」という感じらしいですね。子供を叱るのに親が自身の規律に照らし合わせて叱るのではなく、第三者に怒られるからという、なんとも情けないしかり方が増えたそうですが、これなんて先のコメでも書いたように、自分が誰のお陰でいま生かされているのか、誰のお陰で命が在るのか、親がまず分かっていない。
途切れることなく繋がる命の果てに自分の命がある。その命の有り難さ、親が子を育て、子は成長し親になることで自分が親に育てられた恩の大きさに気づき感謝し、我が子を育てることで命を繋いでくれた先祖への恩を返す。当たり前のことですがとても大切な事が分かっていない人が増えた気がします。

脱線しました(^^;
この論文が教材として適切かどうかは微妙ですが(笑)、仰るように勝者の歴史の影に敗者の歴史があるわけで、往々にしてこちらのほうが真実に近い気もします(^^;
いまの時代は書籍だけでなくネットで様々な史料が探せる一方、史料としての信頼性や勝者の論理に沿ったものかどうか、見極める「眼」を養う必要はありますね。
この論文はリアルタイムで読むことが出来、これがこの先歴史の中でどう評価されるのかを見届けるのは大切なことだと思います。

この記事も本文と皆さまから頂いたコメントと合わせてものすごい長さになってしまいました(汗)。
冒頭からここまでお読み下さった皆様方、心より感謝申し上げます(^^)

2010年7月12日 18:31
ご紹介があった記事を拝見いたしました。以前いた組織のトップの例の論文ですね。私は制服を着ていた人間としても別段問題とは思いませんが、やはり問題なのでしょうか?或る意味正論ではないでしょうか?私が制服を着ていた頃はバブル真っ只中で、当時の社会党は我々を人殺しの集団呼ばわりしていたのを今も思い出します。その後村山富一首相が誕生し彼に中央観閲式で栄誉礼もしました。複雑な心境でしたね。

或る意味、武器の怖さも一番知っているのでそれを人に向ける意味合い、自分に向けられる意味合いも戦後の平和になれた日本人の中では知っている方だったと思います。どうしてこれを好んで使いたいと思うでしょうか?寧ろ使いたくない、使ってはならないと思ってました。話がそれました。

私がいた部隊、場所(熊谷)は陸軍少年飛行学校があり、その時代に生まれたがために短い生涯を閉じた先人達が残した末筆を拝見するとこれ等がとても高卒から大卒程度の年齢の人間が書いたものとは思えない達筆であり、且つ純粋な気持ちが伝わってくるものであり涙が出てきます。とても狂気じみた心境で書けるような代物ではないと私は感じ、学校で日教組の教師達が教えてくださった歴史が本当であったろうかと違和感を感じました。

両親、とりわけ母親、兄弟、故郷、祖国、私達将来の日本人の事を案じて身をささげた人たちにどうして蔑む様な事を言えるのか理解に苦しみます。この悲しい事が起るのが戦争であり、これ等の事が起こらないように正確な理解と未来への展望を持たないといつまで経っても進歩はないでしょう。

占領統治はまだ継続中のようですね。
コメントへの返答
2010年7月13日 11:19
こんにちは。

私個人としての考えは、つらつらと上記に書いた通りで、田母神氏の論文内容については2年経った今も変わらずに支持しています。
ただ、氏の当時の職責上の立場からすると、意見の内容というよりも発表の仕方に問題はあったのかなぁとは思います。
しかし、それで氏の考えや人格まで全否定するかのような当時のマスコミの取り上げ方には大変な疑問と憤りを感じました。

氏はその後各地での講演活動を積極的に行っているそうですが、先々で氏の訴える言葉に多くの人から共感を得られていることを思うと、国民の多くは戦争の重みを忘れずにバランスを保った考え方を持っているのではないかと感じます。ただ、今の若い世代にその思いが伝わっているのかは残念ながら少々悲観的ではあります。これはやはり戦後教育の在り方の問題であろうと思いますし、マスコミがその部分を隠し、氏が反社会的な危険人物のように十取り上げるのは決して正しい報道姿勢ではないと感じ、当時このネタを書いた次第です。

あれから2年。自民党政権から民主党政権に変わり、普天間問題や尖閣諸島も含め国家の安全保障を軽んじている風潮は大変危険だと感じています。

私は、祖父母や父から戦争体験を聞いただけの人間でありますが、その言葉の裏にあった事実を知りたいと実際に中国に渡り、祖父母が開拓団として暮らしていた旧満州(現在の黒竜江省)をはじめ各地を歩き戦争体験を持つ現地の中国人から当時の話を聞いたりもしました。

武器を人に向けた時の、或いは向けられたときの恐怖、これは実際に体験した人にしか分からないことだと思いますが、その話を聞きその恐怖の何分の一でも疑似体験できたことは、その後の私の昭和の歴史観に大きな影響を与えたと自分でも感じています。

戦争は決して賛美出来るものではありませんが、個人の意志とは関わりなく巻き込まれ戦地に赴いていった先人の御霊を忘れてはならないと思います。

「護国」、今の時代、この言葉はともすれば右翼的な国粋主義者の使う言葉のような偏見に満ちています。しかし、自分や家族がこうして生きている意味と今の時代に繋げる為に、日本が日本であり続ける為に散っていった先人達の思いを、もう一度見つめ直さねばならないと感じています。

2011年7月6日 22:27
過去の記事にコメントさせて下さい。


日本人の尊厳の為
また真の独立の為
国軍を持てば良いと思います。

しかし、手短な仮想的国は14億の人口を持つ中国、
然らば、日本国は国民皆兵となります。
50歳でも60歳でも武器は持てずとも雑役や
便所掃除、、草履取りもできます。


皆さんに国家の要望に対して
愛国心の証として

仕事や家族をおいて兵役につく覚悟があるが一番の
問題だと感じます。

少しくらい税金が上がっても良いから
軍備を整え国軍を作れ!、、を安全なお茶の間から
主張するのが一番日本の為になりません。

日中戦争突入も軍部の独走を狂喜した世論に議会が負けたのでは無いですか?


憂国の気持ちがあるなら
自衛隊に任せず
いざとなれば息子を喜んで兵に差し出し
息子が死ねば自身が戦う覚悟があることです。

昨今の時節を鑑み、そう感じます。

コメントへの返答
2011年7月7日 1:13
こんばんは。コメントありがとうございます。

乙かれさんの仰ること、正論だと思います。
勇ましい事を口にしても自分は別で他人任せ、という人が大半であることは私にも理解できます。なによりも私もそんな口だけの人間ですから・・・(^^;

そんな私ですが、可能な限りは「現場」を知りたいとの思いから、満州で兵役に取られシベリア送りとなった祖父や引き上げ時の祖母や父達が経験した出来事の片鱗を知りたいと思い、中国各地をを2年半見て回ったのはもう20年以上も前の事です。

この度の東日本大震災も、実際に自分の目で見、体験せねば人様に物を言うことはできないと感じ、福島原発も近寄れるだけ近くを通り、被災地を見て回り、現地の様子をほんの少しですが見る事が出来たのは大変貴重な体験だったと感じています。

愛国心にしても憂国にしても、実際のところ何がそれに当てはまるのか、乙かれさんが仰るような戦う覚悟がそうなのか、他に体現できる方法はあるのか、正直申し上げて私にはよく分かりません。
分からないので靖国神社にも何度か行きました。ですが、まだ私の中では人に示せるほどの覚悟は出来ておりません。

ただ、上記に頂いたコメントに書いた返信の中で私が申している事はありのままの私の有り様ですので、こればかりは自分でもどうすることも出来ません・・・(^^;

あまりまともな御返事になっていないこと、どうぞお許し下さい。

2011年7月6日 23:45
追伸、

私には国家に殉じる気持ちなどサラサラありません。

他国に馬鹿にされようが
占領されようが
のうのうと生きていたい。
何なら日本人を辞めても構いません。


元幕僚長は単純に
自身並びに自衛官の社会的地位向上
を望んでいたのでは無いでしょうか?

幕僚長なら退役しても諸外国なら
名士であり尊敬の対象に成りうる人物ですが、
日本なら、只の年寄りですね。
それが不満なだけでは無いでしょうか?


彼の文章や発言から
歴史観や思想を感じないのです。
コメントへの返答
2011年7月7日 1:27
これもまた正論、というかほとんどの人がそんな気持ちなのだとは思います。

表現の違いはあっても、誰でも生きていたいという思いは世界中、どの時代でも共通した本能のようなものでしょうし。

ただ、その一方で死を賭して個人や民族、国家の矜持を守ろうとした人々が今も昔も居る事もまた事実なのだと思います。
その思いが独りよがりなものであったとしても、私にはそれを肯定も否定も出来ません。
なぜなら私にはそうした人々の思いに対するだけの強い覚悟が無いからです。

それでも、少しでも自分の背中に責任を持てるような人間になりたいとは思っていますが・・・(苦笑)

田母神氏の人物像については、私には批評できるだけのものがありません。
この論文の内容はともかく、現職の立場にあり政権批判ともとれる言動をしたことは適切ではなかったかと思っておりますが。
ただ、彼の論文に対するマスコミの当時の攻撃には憤慨したのは事実であります。

これもまた的外れな返答で申し訳ありません。

2011年7月7日 11:28
お返事ありがとうございます。

うちの父も旧軍に志願して
山西省におりました。
終戦後 国共戦争が始まり
父の部隊から約3000人ほどの日本兵が
中国名に名前を代え中国国民党軍に編入して
父の部隊は壊滅状態になるまで3年間闘っています。

生前・・・話は聞いておりましたが
数年前に亡くなった父の遺品を整理していると
山西残留部隊の生き残りの人たちが個々に書き記した手記の印刷物や
記録が写真が沢山出てきました。(戦友会のような組織があるようですね)

その多くは ドラマチックではなく各筆者の所属した立場から
淡々と日記の様に行動記録として書かれているものです。



3000名の日本兵残留者を出し国民党軍の応援をしたわけですから
アメリカや日本政府が知らぬはずはありません。
防共のため、そうしたのでしょうね。

山西軍 山西残留 などで検索すると詳しく分かりますが
多くの元残留兵証言は反戦的な事柄が多いですが・・・

ちなみに若い頃の父は軍隊生活が好きで好戦的で
残留を志願したそうです。

そんな父ですが引退してからは、度々中国を訪れ
駐屯地近郊の小学校へノートやエンピツの寄付をしていた
様です。
実家に来る中国人留学生の世話もしていましたね。
留学生はみな中国で立派に成っていますよ。


その父が申しておりましたが
日本人も中国人も韓国人も台湾人も仲良くするのが一番
だそうです。




話変わって

日中戦争の発端となった盧溝橋事件・・
演習中の日本軍に中国軍が不法な挑発行為を繰り返し
発砲までされ・・
我慢に我慢を重ねた日本軍が 反撃して敵を蹴散らした事件です。
その後 長い戦争が繰り広げられますね。

その事件に日本の議会は軍の暴走と不快感を表しましたが
日本の民衆世論は狂喜しました。

尖閣などで同じことが起これば、日本の世論は狂喜するでしょうね!
みんカラなどでも 中国の不法には断固攻撃せよ・・など意見がありますよね。

数十年前 敵の巨大さを知らず
戦争に追従した 日本国民に今も良く似ているような気がします。

貴殿がもし現場の自衛官なら 命令のもと越境中国漁船を撃てるでしょうか?
私は命令があっても越境くらいの行為では 命令無視しても撃ちません。
愛国心が無いから撃てないのでしょうか?
はっきり言って漁船がぶつかってくる位で攻撃は嫌ですね。
更迭されても構いませんね。

盧溝橋で反撃した部隊の部隊長の一人は牟田口と言う指揮官と記憶しています。
彼はその後 マレー攻略 シンガポール陥落
(シンガポールで彼の指揮下の師団は中国系住民を虐殺してるのではないですかね?)

そして軍団の長となり 最後はインパール作戦を指揮します。
矢つき刀折れ・・・敗走してくる自軍の将兵に精神論で鞭打った人ですね。
この人は自身の出世欲や思い込みのために 軍を動かしていませんかね?

元幕僚長の文章を見て 
関係ないですが 軍部の暴走・・・盧溝橋・・牟田口中将を
連想してしまいました。

大東亜戦争は末端の国民の愛国心を利用して
軍部中枢は 出世欲に駆られ無意味な作戦を立案し
都合で兵を動かしたようなことは無かったでしょうか?

取りとめも無く申し訳ありません。

記憶に残る事柄を 
つらつら書いているだけで 間違いがあればお教えください。

また非礼を お許しいただければ幸いであります。


コメントへの返答
2011年7月7日 16:00
こんにちは。超長文コメントありがとうございます♪

そうですか、御尊父も中国戦線に居られたのですか。

私が山西省や河北省、浙江省などに行った時には、旧日本兵のグループが鉛筆など学用品を配っていた話を聞いた事がありますので、ひょっとしたら同じお話しなのかも知れません。

>日本人も中国人も韓国人も台湾人も仲良くするのが一番

これは全くその通りで、敢えて反目し合い敵対する理由が見つかりません。
強いて申せば、今の中共や南北朝鮮が推し進める国策としての反日教育に反発するぐらいです。
これとても、戦前の日本が欧米の実力和認めつつ「鬼畜米英」として白人に対する憎しみを植え付けていた事と大差はなく、場所と姿を変えて「歴史は繰り返す」なのかと嘆息致します。

ただ、今の日本人が当時の愚を知っているのであれば、今の中共、南北朝鮮が同じ轍を踏まぬように友好的に対話が出来ればいいのですが、昨今の隣国の言動を見れば、現実はなかなか厳しいと思わざるを得ません。

韓国の人は個人的に知る人もいないので、実際の所はどうなのかは私には申す資格もありませんが、中国人は個人的に知っている人たちは悪い人ではありませんでした。
私が中国に行っているときに日中戦争当時の話を聞いた老人達も、決して今のような冷静さを欠いた反日感情は持っていなかったように記憶しています。

戦前の軍部の暴走と国民の熱狂、これも仰る事が大いにあったと思っています。辻正信のような亡国の徒の跳梁を許したのは大いなる不幸であったと私は考えています。

田母神氏を戦前の軍人と同列で論じる事は、同時代の私には少々荷が重いですね(苦笑)。
これは各人が考え判断すれば宜しいかと存じます。

また、仮に私が自衛官だったらの問いには、残念ながらお答えする事ができません。
これは、決して乙かれさんの質問が不快だからではなく、先刻の覚悟のお話しと同様で、仮定としての話はどこまで論じても空論でしかないからです。
こうした判断、行動はその立場にある人にしか出来ず、その責のない人間があれこれと論じても無意味であると考えております。
どうか誤解無きようご理解頂ければ幸いです。

こちらこそ不躾な返答で礼を欠いた乱文、お許し下さい。

2013年12月31日 19:03
大晦日にご紹介をいただいたこの記事にコメントを残させていただきます。

日本での戦後史は戦勝国によるバイアスが掛かっています。
また、このバイアスが掛かった状態を良しとした独立国家政府の事情もあります。
この両面を知っておかないと判断を間違えると私は思います。

戦勝国から目をつけられた日本が”奇跡の高度経済成長”を成し遂げられたのは何故か。
日本がスパイ天国と言われる状態が続いていたのは何故か。
私は関連していると考えています。

 ただ、問題は本当の歴史を知っている人々が鬼籍に次々と入り、嘘つきの嘘を指摘できなくなりつつあることです。当時の様子を知っている終戦直後から高度経済成長前に首相だった人々の末裔たちは家で口伝されているでしょう。彼らが組閣したのは偶然では無い。今がまさに戦後日本の”過ち”を正す正念場であろうと思います。

 私は高度経済成長期に高校受験をした世代です。私はとても不思議なことを経験しています。それは、公立高校の入試範囲に「第二次大戦後から現代は出題範囲外」だったということです。何故そうだったのか、今なら理由はわかります。

 とある人が「韓国にとって歴史はファンタジー、中国にとって歴史はプロパガンダ、日本は・・・」と言っていますが、言いえて妙な表現だと思います。自分を含めて日本人が歴史を歴史として正しく認識する努力をしないといけないと思っています。
コメントへの返答
2014年1月2日 10:43
明けましておめでとうございます♪

本年も宜しくお願い致します(^^)

大変重厚なコメントありがとうございます。

このトラフィックは今でも時々読み返しています。
近現代史に対する、というのは大袈裟ですが、非常に稚拙ではあってもここに書いた感想が私の考え方の原点だと思っています(^^;
私も受験時に同じようなことを感じました。
上に頂いたコメントでも書かれているように、本来であれば今に直接繋がる戦中戦後史から学ぶべきなのに、それがなされていない不思議さ。

「仕組まれた」という一言で片づけるのは乱暴なのでしょうけども、戦後の体制づくりのなかで何らかの力が働いたことは間違いないのでしょうね。

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