(今夜(3月27日夜から28日未明にかけて)は月齢11日です♪)
え~~、今夜の月つながりのお題は、大東亜戦争中の「スラバヤ沖海戦」後にあった世界の戦史上でも稀な感動の救出劇を・・・♪
この逸話は以前拙ブログにBird Dogさんから頂いたコメントの中でも触れられていたものです。
1942年2月にインドネシア・スラバヤ沖で起きた「スラバヤ沖海戦」は、戦闘時間が述べ46時間にも及び2度の夜戦を含め都合5回の海戦が行われました。
当時の月齢は11日前後だったそうですから、丁度今夜の月と同じ輝きだったと思われます。
詳しい戦闘経過は別に譲るとして、この「スラバヤ沖海戦」と続く「バタビア沖海戦」の勝利によって、日本軍はインドネシア近海の制海権を掌握しジャワ島攻略に成功します。
この動画のエピソードは、その「スラバヤ沖海戦」がほぼ終息し、掃討作戦に従事していた駆逐艦「雷(いかづち)」が戦闘海域で戦闘中の危険を顧みず、乗組員総出で沈没した連合軍艦艇の乗組員422名の救助を行った時のお話しです。
この再現ドラマでは触れられていませんが、この時には僚艦の「電(いなづま)」も同様に救助活動に従事し、撃沈された英重巡洋艦「エクセター」の乗組員376名を救助しています。
全力で戦った相手であっても慈悲の心を忘れない。これぞ“武士道”。
日本人が忘れてはいけない心意気だと思います♪

(在りし日の吹雪型駆逐艦「雷」♪)
余談ですが、「夜戦」は日露戦争の「日本海海戦」当時から旧日本海軍の「お家芸」とも言われ、大東亜戦争を通じ幾度となく起こった海戦の中でも、この「スラバヤ沖海戦」や直後に起きた「バタビア沖海戦」、戦艦同士が壮絶な撃ち合いを演じた「第三次ソロモン海戦」や「ルンガ沖夜戦」のように数多くの夜戦が行われました。
レーダーが満足に機能していなかった戦争初期には、練度に勝る日本軍側に有利な結果となることも一度ならずありましたが、その一方で当時世界最強と謳われた「酸素魚雷」がその威力を発揮する場面は「第1次ソロモン海戦」で顕著に見られる程度で、実際にはそれほどでも無かったようです。
そして戦争中期~後期になると、日本側と米国側のレーダーの性能差が大きくなり連合艦隊の損耗も激しく、戦闘形態も航空戦が主体となり戦力差が開くに従って一方的な戦闘結果に終わるようになり、初期のような華々しい艦対艦の撃ち合いは少なくなっていきました。
因みに、旧帝国海軍艦艇で当時「月」の付いた艦は駆逐艦のみで「睦月型」の12隻、「秋月型」の12隻がありました。うち、終戦まで生き残ったのは秋月型の「冬月」をはじめ6隻のみでした。
なかでも、戦艦「大和」と共に沖縄水上特攻(天一号作戦)に出撃した「涼月」は米艦載機群の猛攻で大破浸水し、微速後進しか出来ない状態で佐世保に帰港と同時に力尽き着底しました。
この沖縄特攻では、生還を期さない作戦であるとのことから大和はじめ全艦燃料は片道分だという話をよく聞きますが、燃料タンクの小さい駆逐艦が全力運転の戦闘時間を経て帰還していることを考えると、実際には十分な燃料を積んでいたのでは?と思っていますし、wikiを見たらそんな旨の記述もありましたので多分そうなのでしょうね~。

(睦月型1番艦の「睦月」♪)

(秋月型8番艦の「冬月」♪ ※資料によっては艤装の簡素化の為「冬月型」とするものも有り)
またまた余談の余談として、現在の海上自衛隊には「つき」の付く護衛艦は就役しておりませんが、過去には「たかつき型」として4隻が就役しておりました♪

(たかつき型4番艦「ながつき」♪)
それにしても、現在の海自艦艇の艦名がすべて平仮名なのはソフトな印象を受けますが、やっぱり漢字のほうが「らしい」気がします~♪w
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歴史・ミリねた | 日記
Posted at
2010/03/27 00:28:18